桃色破廉恥 | ナノ


 




毎週水曜日夜10時20分からある10分アニメの再放送を欠かさず見るのが私の日課であり、至福の時間である。小学生の男の子と犬との友情ストーリー。涙と笑いにあふれており、1人暮らしの長いOL女の心をぐっと掴んで離さない。だから、水曜日だけはそそくさと定時で上がり、家で缶チューハイ片手にテレビの前に胡坐をかいている。

「…………」

そう、今日は水曜日でいつもならそうしているのに。私がいるのは快適な自宅なんかではなく、殺伐としたオフィス。ふかふかのお気に入りのクッションではなく固いコロ付きの椅子に座り、山のように両サイドに積まれた書類を見て呆然とする。

「…………」

普段はもっと余裕を持った仕事をしているのに。上司から渡された書類を明日の朝までに対会社用に社長が使える資料に仕上げとけとのご命令が下ったのがちょうど定時で。とんでもない書類の量に格闘していたらあっという間に7時を過ぎ、あれよあれよという間に時計の針は10時を回っていて。絶賛仕事を渡してきた上司と仲良く残業になっている。…今日、ビデオセットしてない。唯一の私の週の楽しみが。

「……何の拷問だ…」
「口動かしている暇があるなら手、動かせ」

ぱちぱちと静かなオフィスに響くキータッチ音がぴたりと止んだので、書類をめくる手を一旦止めて声の主を恨めしそうに見つめる。オールバックにいかつい顔。省エネ対策で真上の電気しかついていない影響でいつも以上にヤクザ顔に見えるのは上司の片倉室長。私の所属している部署の鬼上司。鬼の片倉。余りにハードな職場なので人の出入りの激しい部署だが、なんやかんやで私は長続きしている方だ。…顔はコワイけど、性格は普通だし。顔はコワイけど、本当にヤバイときとかはちゃんとフォローに回ってくれるので、特に今まで不満はなかった。なかったけどさ。

「しつちょー…私、一週間の生きる糧を奪われたと同じなんですが」
「何訳の分からねぇこと抜かしやがる。やらねぇと終わらねぇぞ」
「うう……ですよね…」

涙目になりながら書類に目を落とす。こうなれば、DVD買うかとか考えて、なんとかこの状況を乗り越えるための心の支えを作り出す。そうでもしないと心折れるよ私は。

「……悪ぃな」
「へ?」
「何か予定でも入ってたのか」

手は動かしたまま片倉室長はぽつりと呟く。顔を上げてそちらを見るが、パソコンの画面から目は外れてないので、私も書類に再び目線を落とし、口だけを動かす。

「いえ、特段特別な用事というわけではないので…」
「生きる糧がどうとか言ってた奴が何をいう」

男と約束あったんじゃあねぇのかと片倉室長は手を止め、手首のストレッチをし始める。私はというと、室長の落とした爆弾に固まっていた。オトコとか言ったかこの人は。

「……セクハラですよ、室長」
「今の発言のどこがそうなるんだ」
「所詮独り身女の唯一の楽しみなんて、テレビしかありませんよ!」
「何逆ギレしてるんだ…。そうか、独り身だったか。悪かったな」
「……謝られるほうが惨めでなりません」

DVDで作られていた心の支えはあっけないほど簡単に崩れ去った。神妙そうにこちらを見つめてくる片倉室長の視線が痛すぎる。だめだ、集中切れた。やってられるか。彼氏がいなくて何が悪い。
少しデスクから離れて、椅子から立ち上がり伸びをする。窓も開いていないオフィスなので、少し蒸し暑い。

「…窓、開けるか」
「冷房は駄目ですか?」
「せめて梅雨明けまで冷房は待て」
「……ハイ」

残念、と肩を竦めて窓を開けに行く。開けてもなお蒸した空気は充満している。早く帰りたい。くるりと何の気なしに振り返ると、片倉室長も少し休憩しているのか応接椅子であるソファに腰掛けぼんやりと天井を見つめている。ふとネクタイを緩めて、シャツの詰襟の部分を外す。

「……なんだ、」
「………せ、セクハラです…」

声が思わず上ずるが、仕方ない。仕方ないよ、これ。片倉室長の一挙手一投足がなんというか…目が離せなかった。いつもは眉間に皺を寄せた鬼上司の癖に。これが大人の色気か。恐るべしギャップ。今もちらりと見える鎖骨が恨めしい。ぷい、と目を逸らしてデスクに戻り書類を捲るのを再開させる。

「……さっきから何がセクハラか聞いてるんだが?」
「ひぎゃ!」

真後ろの至近距離でドスの利いた声が地響きのように耳に届いて思わず身を小さくする。ばっと後ろを見ると、片手はデスクにおいて、私を包囲するように片倉室長は立っている。…ち、近い近い近い!ばっくんばっくんと心臓が動いているのが凄い分かる。これはどちらかというと恐怖に近い。片倉室長の顔は鬼の形相だ。

「…おい、」
「ししし室長っ!ち、近いです近い!とりあえず適切な距離とってください!そして私に少し常識を見つめなおす時間をください!」
「何言ってやがる…。お前が常識ないのは今に始まったことじゃねぇだろ」
「た、確かに……って!酷いですよ室長!」
「俺から言わせりゃお前のほうが酷い」
「な、なにが……」

片倉室長はちらりと私と合わせていた目線をそらし、下へと移動させる。私もそれに追って目線を下げる。

「っっっ!!」

あんまり暑いので、上着を脱いでいた。本当ならこんな状況になる前に帰るつもりだったから、上着は脱がない予定で。…つまりは、ブラウスが透けて下着が見えている。それはもうばっちり。

「こここここれはっ!ふ、不可抗力ですっ!片倉室長とりあえず落ち着いてくださいっ!」
「……男がいるんなら待つ状況だが、そうでもないんだろう」
「そうでもないですが、…っは!違う違うそういう意味じゃなくて!」
「問題ねぇな」
「問題大アリですっ!」

もう片倉室長の顔は間近に迫っている。よくよく見ると男前の部類に入るよね、この人とか考えている余裕があるならこの状況を脱却する努力をしろ自分。ぶんぶんと振っていた手はがしりと掴まれて、そこから伝わる体温が熱いくらいに感じて、思わず息を呑む。顔は多分首くらいまで真っ赤なんじゃないかと思う。ぐっと身体が近づいてきて、後ろに下がろうとしても、デスクがすぐそこにあるので不可能だ。

「か、かたくら室長、」

上手く言葉が出ない。ほんの少し動いたら多分唇が触れてしまうような距離に片倉室長がいる。私を射抜くように見つめてくる瞳の奥はゆらりと火が燃えているように見える。…この人、本気だ。食われる。がたん、と動揺のあまり肘がデスクにあたり、机に積まれていた書類の山が雪崩のように崩れる。やば、と意識がそちらに向いた瞬間、熱っぽい吐息が耳にかかった。



貴方の色っぽさに溜め息が出そうよ




噛み付くように重ねられた唇は、すべてを貪るようなもので、思わず片倉室長の身体にしがみつく。そうでもしないと、どうにかなりそうで。そっと気まぐれに離れたかと思えば、ふわりと身体が浮いて、ソファに横にされる。
組み敷かれて、下から片倉室長を見上げる形になって。もう、何も言えない。というか、何か抗議の言葉を吐こうとしても上手く出ずにぱくぱくと口が動くだけだ。…この角度からだと、逞しい身体がよく見えて、これからどうなるか嫌でも分かってしまって、ごくりと生唾を飲み込んだ。そんな私の様子を見て片倉室長はクツリと笑い、何本か垂れている前髪をそのままに私に囁く。

「悪ぃな。…止めねぇぞ」

その声が、姿が、動きが。全部私の身体を熱くさせる。
…この色気駄々漏れなのどーにかして下さい。






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