「本当に、絶対牙山教官に提出したほうがいいって!」
「うーん、わかってるけどさ」

 カイは眉尻を下げて説得にかかる。
 ペットボトルで遊んでいるシュウは、いまいち乗り気ではない。ペットボトルの中には、ごく少量薬が残っていた。

「提出して、検査して、解毒薬を作ってもらったほうが絶対にいいだろ。いつ元に戻るか分からないし」
「……怒られるかな」
「……怒られるかもしれないけれど、今のままよりずっといいって」

 カイの言うとおり、ペットボトルを提出して解毒薬を作ってもらうのが良策だとシュウも思っていた。しかし、相手が相手である。
 大事なアンリミテッドシャイニング、それもキャプテンに怪しげな薬を投入しておかしくしてしまったのだ。責任は多大だった。
 相手がバレたら、いや確実にバレるだろう、怒られる。牙山の恐ろしさはシュウも、そしてカイも充分に理解していた。

「……もう少し様子を見て、自然に元に戻らなかったら提出するよ」
「……わかった」

 ペットボトルを揺らすと、中の液体も揺れる。責任は取るつもりだが、軽はずみな行動でここまで事態が面倒になるとは、悔やむばかりだ。
 椅子に寄りかかりながら遊んでいると、カイがじっとこちらを見ているのに気がついた。

「何?」
「いやあのさ……うーん」
「なんだよ。いいなよ」
「……もしかしてシュウさ、ちょっと名残惜しいとか思ってたり、してない?」
「はあ!?」

 とんでもない話だ。思わず立ち上がる。

「してない! 絶対にしてない!! なんで!?」
「いやなんかさー、前より白竜につっけんどんにしなくなったじゃないか。こないだ、何かあった?」

 この間とは森から帰ってきたことを言っているのだろう。二人揃って帰ってきて、アンリミテッドシャイニングの者は喜んだ。その場にカイもいたのだ。
 途端にシュウは気まずそうな顔をする。カイから目線を逸らして、少しの沈黙のあと口を開いた。

「……何もない」
「本当かよ」

 カイは訝しげである。本当だとは思っていないようだ。
 だが本当に何もなかった。薬を飲んでから言われ続けてきたことをまた言われただけだ。
 大したことではない。しかし、シュウはどことなくもやもやするのだ。胸の中に霞がかかったようだった。

「もしかして、白竜のこと好きになってたりとか」
「なってない。あいつ男だろ」

 冗談ではない。自分に男色の趣味はない。この問いには即答できた。ただし、目を合わせずに。




 自身の部屋の扉をノックする音と共に、白竜の声が聞こえたので、シュウは咄嗟にベッドの中に潜り込んだ。
 しばらくして、遠慮がちに扉が開かれる。何の用だ、と内心思いつつも、息を殺した。

「シュウ。……寝てるのか」

 ぎゅっと目をつぶっていると、不意に視界が暗くなる。どうやら白竜が電気を消したらしい。光が消えると、きゅうに胸の鼓動がどくどくと響き始めた。

「忘れ物を届けにきたんだがな……」

 小声で白竜がつぶやくのを聞きながら、シュウはますます身をこわばらせた。白竜がそっと近づいてくるのがわかる。起こさないように足音を消しているらしい。その気遣いがこそばゆかった。
 うわあ、どうしよう近づいてくる。
 心中穏やかでない。ベッドに潜り込んだのは正解ではなかったかもしれない。
 今の白竜のことだから、また何か好きだのと言ってくるかもしれない。シュウは恥ずかしさを覚えていた。元来言われ慣れていないのだ、軽くあしらっているように見えても内心焦っている。
 マンガなんかではありがちだが、寝てる間に……キスとかしてこないだろうな。してきたら殴ってやろう、とシュウは布団の中で拳を固める。
 ぎしり、とベッドが軋み、シュウの心臓は飛び跳ねた。白竜が腰掛けたのだ。
 物を置く音と、何かものを書いている音が聞こえる。置き手紙を書いているらしい。マメだな、とシュウは嘆息をついた。
 しばらくして、またベッドが軋んだ。今度は大きい。白竜が体重をかけたせいである。きた、とシュウは思った。

(うわ、うわ、うわー。うわー。やばいどうしよう本当にちゅーされるかもしれない。ああそれか、漫画とかでよくあるけど、頭なでられたりとか、するかもしれない。うわ。どうしよう。してきたら本当に殴ろう、いやでも起きてるのバレるかな。ちゅーするかな)

 今の白竜では不思議ではない。
 白竜の匂いがする。シュウの心臓は高なった。距離は近い。
 緊張で顔が歪みそうだったが、極めて平静を保つ。白竜が近い。本当に、されてしまうかもしれない。どくどくどくと、心臓が大きく跳ねる。恐らく顔も赤くなっているだろう。暗くて色合いがよくわからないのが救いだ。

(してくる、か、な)

 全身が破裂しそうだった。
 だが白竜はそのどれもしなかった。
 ベッドの歪みが直る。近距離に感じていた温かみが消える。白竜はまた音を消して歩み去り、扉を静かに閉めて出ていった。
 残されたのはシュウ一人である。目を開いた。

(……何もしなかった)

 少し呆然とする。白竜なら、キスくらいしてきてもおかしくないと思っていたが、何もしてこなかった。息をつく。

(なん、だ。何もしないんだ。ふうん……)

 あれだけ好きだ好きだと言ったのに、寝込みを襲うようなことはしなかった。紳士的というわけか。
 しばらく寝返りをうっていたシュウだったが、例えようのない喪失感を感じていることを知って、愕然とした。血の気が引いた。

(あれ、なんで、うそだろ……うそだ、うそだ、うそだ)

 知らず知らずのうちに嘘だとつぶやいていた。昼のカイの言葉が思い出された。
 まさか、好きだなんて、そんなことは。
 震える手で白竜が忘れ物を置いていっただろう場所を探る。置き手紙に指が触れた。性急に開く。
 暗い中でかろうじて見えた文字は、「わすれもの」の五字のみだった。
 それに胸がぎゅっと締め付けられるような心地がして、またそのことにシュウは絶望にも似た感情を抱いた。



 翌日、シュウは牙山にペットボトルを提出した。

【続】

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