シュウと名乗る新入部員が、白竜の家の居候となるのに時間はかからなかった。 
 松風天馬がどこからかスカウトしてきた少年は、実力も十二分にあり、すぐに一軍へとのし上がった。
 そんなシュウを興味深げに観察していたのが白竜であった。元ゴッドエデンファーストチームのキャプテン、今はゴッドエデンという呪縛から解き放たれ、『楽しいサッカー』を一からやり直している途中ではあるが、彼をより高みへと奮い立たせてきた強い者への好奇心と執着心は、長年の時を経て、彼の性格と化していた。
 それにシュウが気づいたのか否かは定かではないが、シュウはよく白竜と組みたがった。
 ほとんど親交を深めていないのに変なやつだと白竜はいぶかしがったが、悪い気はしなかった。シュウと繰り出す必殺技は、出会ってからそんなに経っていないのに、まるで長い間共にプレイしてきたかのような、僅かな懐かしさと気持ちよさを白竜に与えてくれたのである。

「お前との必殺技は、相変わらず気持ちがいいな」練習のたびに、白竜はシュウにそう言った。
「僕達、息が合うんだよ」その度に、シュウは花が咲くような笑顔でそういった。

 そんなシュウが白竜の家に置いてくれと頼んできたのは入部してから3日後のことであった。
 家がないのだと、シュウはあっけらかんと言った。最初、白竜は冗談だと思ってまともに取り合わなかったのだが、「それならばこれまでどうしていたのか」と聞くと、

「公園で寝たり、知らない人に泊めてもらったりしたかな」

と真顔でいうので仰天した。
 それは紙一重だし、危険過ぎると諭しても、シュウはあどけなさの残る顔で――少年性愛趣味の人間がいかにも好みそうな――疑問符を浮かべたので、白竜は戦慄した。真面目に取り合わねばならなくなってしまった。
 とはいえ、白竜が自分の家にシュウを居候させる義理はない。シュウにも探せば親戚はいるはずだし、最終手段としては施設という手もある。確か、チームメイトの狩屋という少年は、円堂監督の知り合いの施設の出身のはずだ。
 しかし、白竜はシュウを助けてやりたくなった。たった数日で自分に何を見出したのか分からないが、白竜をこれと見初めて、自分だけに、助けを求めてきた儚い少年を、自分の手で守ってやりたくなった。
 何が白竜を突き動かすのか分からない、シュウを見ていると、胸の奥の奥から、じんわりと熱いものがこみ上げてくるのである。
 白竜はシュウを家におくことを了承した。しかし、彼を居候とするには、白竜の意思だけでは足りない。

 現在、白竜の家には両親がいない。長らくゴッドエデンで外部との通信を絶って切磋琢磨を続けていた間、両親の生活にも変化が生じたらしく、白竜が戻ってきた時には、彼らは自宅から遠く離れた地で生活していた。
 白竜が戻ってきたことを両親は喜んだが、仕事から手が離せないために、あと数年は現在生活している地から離れられないだろうと嘆いた。
 もし白竜がよければと、共に生活するよう誘われたのだが、白竜はこれを断った。近くの雷門中でサッカーを続けるためである。
 そんなわけで、現在は白竜が一人暮らしをしているも同然であった。しかし、家の持ち主はあくまでも両親、彼らに承諾を得なくてはならない。
 白竜はシュウが見守る中、両親に電話をかけた。シュウが心細げに、そっと自分の服の裾を掴んでいる姿に、胸をぎゅうと締め付けられながら、両親にシュウの居候の許可を請うた。
 あっさりと許可が出た。
 電話を切った途端、白竜は座り込んでしまった。電話でここまで緊張したのは初めてである。シュウが喜びに顔をほころばせながら、白竜の背中を撫でた。

「ありがとう、白竜。本当に、ありがとう。嬉しいよ」

 それから正座して白竜に向き直ると、こほんと一つ咳をして、照れくさそうに手を差し出した。

「これからよろしくね」

 白竜はほっと息をつくと、同じく照れくさそうに、差し伸べられた手を握った。
 これから、今度は、二人の生活が始まるのである。友人と一つ屋根の下で生活をするのは初めての経験だった。自然と白竜の胸が高鳴る。
 しかしシュウとの生活は問題だらけであった。



 まずシュウには常識というものがなかった。正確に言うと、彼の常識と白竜の常識が、まるで違うのである。
 知らない人間に家に泊めてもらうくらいだから、相当変わっているだろうと思っていたが、予想以上だった。
 トイレの後、電気を消さない、シャワーの際風呂場の扉を閉めないというような細かい事柄から、町中で突然空を飛ぶ鳥を狩ろうとするような常軌を逸した行動まで、シュウがしでかす行為は様々で、白竜を酷く悩ませた。白竜は、彼が突飛なことをしでかすたびに、白竜が思う世の中の一般常識というものを、そして、シュウの行動によって起こる迷惑などを、彼に教えなくてはならなかった。
 しかし、それは白竜にとって造作も無いことだった。究極を目指す人間として、右も左も分からないような人間を導くのは義務だと思っていたし、その程度でシュウと一緒にいることを後悔するほど、小さな人間ではなかった。
 シュウの行為は白竜を苛立たせたりはしなかった。けれども、最も白竜を悩ませ、乱した大きな問題は、シュウ自身にあった。

 彼が何かをし忘れたりして、それを注意する。すると、シュウはいつもにこやかに笑いながら、白竜を詫びる。そして、

「それ、前にも、ある人に言われたな」

と、本の間に挟まっていた旧友からの手紙を見つけたような、酷く懐かしげで、どこか寂しそうな表情をするのだった。
 白竜はそれが気に入らなかった。大変気に入らなかった。
 最初は、自分が注意したことを思い返しているのかと思ったが、初めてしたはずの注意にもそんな表情をするのだと気づいてから、より一層苛立ちは募った。
 あの顔は、決して自分に向けたものではない。
 シュウは笑ったり、時に怒ったりと様々な表情を白竜に見せてくれたが、その表情だけは、白竜のものではなかった。白竜の顔を見ていても、シュウの目は白竜ではなく、記憶の中から忠告してくる人物を見ている、その人物のためだけの表情だった。
 シュウがそんな顔をするたびに、白竜は腹の中で何かがとぐろを巻くのを感じていた。

 白竜は推測する。シュウのいう『ある人』は、シュウにとって特別な人間だったに違いない。恐らく、シュウは、『そいつ』に、好意を持っていたのだ。そして、今も。
 『そいつ』が男か女か、若いのか老いているのか、はたまた家族なのか他人なのかすら、白竜には全く分からなかったのだが、シュウが『そいつ』を思うたびに、どうしようもなく、苛々とした。もし彼のその表情が仮面であったら、引き裂いてやったのにと惜しむくらいに、焦れていた。
 しかしシュウの前では出さない。怒りの矛先としてはあまりにもおかしい話であったし、なぜ自分がそんな思いを抱くのすら、わかっていなかったからだ。理解できない怒りをシュウにぶちまけても、理解されないに決まっている。白竜は必死に押しかくした。

 けれども、多感な時期の精神は、いつまでも怒りを覆い隠せるほど強くはない。
 白竜の精神は、棒倒しの砂のように、どんどんどんどん削られていって、ある日、ぱたりと、倒れてしまった。

 夕食のあと、電気を消し忘れたと謝るシュウの腕を唐突に掴み、白竜は驚くシュウに怒鳴った。

「何度も、何度も、懲りない奴だな。流石の俺にも我慢の限界というものがある。そんなにある人ある人というのなら、そいつに居候させてもらえばよかっただろう。俺じゃなくて、そいつに頼ればよかっただろう。そいつだって、お前なら邪険にしないだろうさ、お前と大層仲が良かったようだからな。お前だって、そいつが、」

 好きなんだろう、と言う前に、白竜は口をつぐんでしまった。
 シュウは酷く傷ついた表情をしていた。大きな目を驚愕に見開いて、それから、涙の膜を貼りながら、伏し目がちに頷いた。

「……ごめん」

 こんなに悲しい「ごめん」は、生まれてこの方、白竜は聞いたことがなかった。とんでもないことをしでかしてしまったような不安感に、白竜はシュウの腕から手を離す。よほど力強く握っていたのか、シュウの手首には痛ましい痕が残っていたが、シュウは自分の腕には目もくれず、白竜に背を向けると、廊下をぺたぺたと走って風呂場に駆け込んでしまった。
 白竜は耳障りなテレビの音を消して、どうとソファーに雪崩れ込む。胃の中がムカムカとして、まるで先ほど食べた夕食が全て胃の中で腐っているかのように感じられた。
 風呂場でシュウは何をしているだろうか。泣きそうな顔だった。
 白竜は二階の自室へと駆け上り、ベッドに入って布団をかぶった。シュウがすすり泣く声が聞こえてきそうな気がしたのだ。



 夜中、いつの間にか寝入ってしまった白竜は、胸糞悪い気持ちが夢と一緒に霧散してしまわないかと願っていたが、喉の渇きを感じて起きた時も、変わらず胸の中を暗いものが渦巻いているのを知って、ため息をついた。
 痛みを感じるくらい、喉が乾く。いつもはこんなことはないのだが、シュウと気まずくなったせいだろうか。白竜はそっとベッドから離れ、音を立てないように階下に慎重に降りた。
 寝る前にシュウが電気を消したようで、洗濯機と、冷蔵庫だけが寝静まった空間に、唸り声を響かせていた。
 水を飲んだ白竜が、ちょっとリビングを覗いてみようと思ったのは、全くの偶然であった。
 リビングでは、シュウが布団を敷いて寝ているはずである。両親のベッドに寝かせるのは少し抵抗があった為、客用布団に寝かせていたのだったが、それらしき白い影が全く見えないのに気づいて、白竜の脳は一瞬何も考えられなくなった。
 シュウがいない。シュウがいない。
 とっさに、白竜は、コップが落ちて割れるのを気にもとめずに、玄関へ走っていた。
 動いて音を出すとバレると思っていたのか、玄関では、最初に会った時のような黒い衣服を身にまとったシュウが、息を殺して座っていた。白竜の姿を見た途端、緊張に張り詰めた表情がゆるゆると弛緩する。

「……なんで、起きちゃうのかなあ」

 悲しげな声だった。

「……これから、どこへいこうとしていた」
「別に。どこでもないよ。でも、もう君の家には戻ってこないつもりだった」
「でていくつもりだったのか」
「うん。もう居られない、君だって、居てほしくないって思うだろ?」

 諦めたように、シュウが足をぶらぶらとさせる。白竜は「あてはあるのか」と尋ねた。もしかして、もしかして、と、嫌な予感が汗となって手ににじむ。
 シュウは少し考えたあと、

「そうだな……天馬とか……カイとか、こっちに来てから、知り合った奴はいっぱいいるから、なんとか泊めてもらおうかな。本当に困ったら、監督に相談して……」
「あいつのところにいくんだろう」
「は?」

 白竜の言葉に、シュウはきょとんとして彼を見上げた。同時に、冷たい視線とかちあって、怯むように肩をすくませる。白竜はシュウににじり寄りながら詰問した。

「あいつのところに行くんだろう、そうなんだろう」
「え、な、何、あいつってだれ」
「とぼけるな、お前がよく言うアイツだ。……くそ、駄目だ、許せない、アイツのところだけは絶対に許さんぞ!」

 少し高かったスポーツシューズを踏むのも、裸足に砂利が食い込む痛みも構わずに、白竜はシュウに接近する。 
 シュウが自分の知らない誰かと、シュウが想う誰かと、生活する。それがたまらなく許せなく感じた。そんなところを実際に見たら、発狂してしまうかもしれないという危惧感に見舞われた。
 その誰かが自分ではないことに、苛立ちと、嫉妬を感じた。
 どんどん感情を昂ぶらせていく白竜に恐怖を感じたのか、シュウはドアを開けようとした。しかし、鍵がかかったドアはガチャガチャと耳障りな音を立てるだけ開こうとせず、焦るシュウの横に大仰な音を立てて白竜が手をついた。その音にシュウの肩が揺れる。
 「やだ、白竜、離れてよ!」逃げ場のないシュウは振り向いて白竜の胸を押す。しかし白竜は離れるどころかさらに密着してくるので、シュウは泣きそうになった。無表情の端正な顔というのは、こういう時、想像以上の恐怖を呼び起こす。「離れろったら!」
 しかし白竜は燃えるような熱を瞳の奥に閉じ込めながら、シュウに言い放った。

「嫌だ。お前があいつのところに行かないというまで――俺のところにいると言うまで、離れん。あいつのところになんかいくな、俺は、お前が、好きなんだ!」

 自分の中でわだかまっていた思いを形作る言葉が見つかったような気がした。白竜はシュウの唇を塞ぐ。柔らかく、少しカサついているそれに触れた瞬間、シュウの肩がびくりと大きく震え、若干抵抗の意思を見せた。
 しかしシュウの抵抗をも飲み込むように拙いキスを深くしていくと、やがてシュウの手がそっと背中にまわった。体がじんと熱くなる。触れ合ったところから次第にどろどろと溶けていきそうな錯覚に陥る。頭がおかしくなりそうだ。
 ドアに体を預けたシュウが、ずるずると汚い地べたに座り込む。白竜もそれに合わせて腰を下ろす、その間にも感じる唇の柔らかさは途切れることがなく、
 何度かついばむようなキスを繰り返した後に、そっと白竜はシュウから顔を離す。シュウの目は潤み、熱っぽさを孕みながらも、しっかりと白竜の顔を見据えていた。
 「シュウ」からからの喉から、あえぐように言葉を紡ぐ。頬が焼けるように熱く感じる、恐らくみっともなく真っ赤になっているに違いない。

「お前が好きだ。お前と過ごした期間は短いし、俺はお前のことは何にも知らないが、それでも、お前がどうしようもなく好きなんだ。俺から、離れるな」

 この胸を突き上げる衝動を全てシュウに伝えたかった。白竜はそっと、汗がにじむシュウの頬を撫でる。
 白竜の言葉を聞いた途端、シュウははっとしたように刮目した。その黒々としたつぶらな目の淵から、じわじわと透明なしずくが溢れだしてきたので、白竜は慌てて寝間着の袖でシュウの目元を拭った。
 「泣くほど、怖がらせてすまない」と我に返り顔を青くする白竜に、シュウは「違う、違う」とうわ言のように呟きながら首をふる。

「……僕、は。……君のことが、ずっと。……ずっと前から……すきだったよ」

 その言葉に疑問符を浮かべる白竜を前に、シュウは色鮮やかな記憶を思い返していた。
 閉鎖される前のゴッドエデンで、今のように強引に、今と同じような文句で、白竜が自分に想いを告げてきた事を、自分が消滅すると共に、多くの人から――白竜も例外ではなく――拭い取られた記憶を、思い返していた。

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