》白竜が女の子と二人でいる所を目撃したシュウ
シュウと白竜が恋人同士という関係になってから明日で丁度一ヶ月である。記念日というものにはとんと興味を持たないシュウであったが、この日だけは違った。一か月前の白竜の様子、告白の言葉、抱きしめ、抱きしめられた体の熱を思い出す度、ぽうっと呆けてしまう。恐らく一生忘れられない日になるだろう。自然シュウは浮き足立つ。
しかし彼の囁かな喜びは予期せぬ出来事によって打ち砕かれてしまった。足が震える。シュウは服の裾を握り締めると、背を向けて足早にその場を去った。彼に何か贈り物をしようとして買いにきた駅前のことである。
彼が見たのは見知った背中だった。間違えるはずがない。
白竜が、白竜が、女の子と二人で歩いて。さらさらと揺れる髪の毛がフラッシュバックする。吐き気を催しそうだったので、思わず口に拳をあてた。吐瀉物の代わりに、涙がでてきた。
「どういうことだ」白竜が眉間に皺を寄せる。「説明しろ、シュウ」
翌日、シュウがとった行動は実に単純なものであった。
「だから、別れようってば」
「それだけじゃ説明にならん! 何故だ、何故突然」
「何故って、君がよく分かってるんじゃないの」
「なんだと?」
あからさまなため息をつくと、白竜の怒気がさらに増したのが分かった。怒りたいのはシュウのほうであったが、涙も怒りも全て昨日のうちに流してしまった。「ごめんね」冷めた目で彼を見る。「……僕にはやっぱり無理だったよ」
誰もいない階段の踊り場、その声は小さくもよく響く。白竜は拳をきつく握りしめ、二度三度まばたきをして長い息をつく。シュウの胸が緊張に鐘を鳴らし始めた時、白竜は静かに頷いた。
「……わかった。別れよう」
シュウの全身を衝撃が貫いた。足元が崩れ落ちるような心地がしたが、なんとか持ち直す。涙が滲んだので、急いで白竜から顔を逸らし、「そっか」と蚊の鳴くような声でつぶやいた。
どうしてそんなに簡単なんだよ。シュウは胸の内で毒づく。もっとしがみついてくるかと思ったのに。
何度思い出したかしれない、もううんざりするほど思い返した情景が蘇った。やはり彼は男の自分よりも、女の子のほうがいいのだと思う。
どのくらい時間が経ったのか分からない、シュウが顔を上げた時には、白竜は既にその場に居なかった。薄汚れた壁が歪む。
ありがとう、とでも、別れてせいせいした、とでも、言えばよかったのかもしれない。例え歪んだ形だとしても、白竜の心に傷として自分を残しておきたかった。しかしその白竜は既に居ないし、これから彼と普通に過ごせるとは到底思えなかった。
翌日、やはりシュウと白竜は互いに会話もなく、目を合わすこともせず一日を過ごした。そのまま一週間が経過し、放課の鐘がなった途端、二人の様子を見守っていた天馬が慌てたようにシュウに詰め寄った。
「どうしたの、シュウ! 白竜とあんなに仲よかったのに、一言も話さないなんて!」
「どうもしてないよ」
「……白竜死にそうな顔してたよ」
「……知らない。僕には関係ないから、……ごめん」
白竜の整った顔に陰りがさしていると思うと、胸が疼く。これから部活だから、と切って、逃げるように天馬から離れた。彼の瞳を見ていると、全て吐いてしまいそうになる。白竜と付き合っていたことも、彼と別れたことも、そして別れたあとも彼が大好きなことも。
「シューウ!」天馬の声がシュウを追いかける。「ちゃんと向き合わないと、ダメだよー!」
そんなのはわかっている、シュウは叫びたくなる気持ちを堪えて廊下を走った。しかし体が白竜としゃべるのを拒否する。彼と会話を交わす度に、あの日の光景がフラッシュバックして消えない。胸の痛みがシュウを揺さぶる。
シュウは部室には行かなかった。部室への曲がり角を無視して、あまり使われていない美術準備室の戸を開ける。埃が制服を仄かに白く汚したが、構わずシュウは古びた机と椅子の埃を拭うと、乱暴に腰掛けた。ポケットから携帯を取り出し、それを弄ぶ。
付き合って欲しいと言ってきたのは白竜であった。最初は俺が断られるわけがないというような自信に満ちていたのに、「欲しい」と告げるときにはしなびた野菜のようにしょぼしょぼとしていて、なんだかそれがおかしくて、愛しかった。
彼の告白を受けた際、幸福が全てシュウを占めていたわけではない。白竜と共に、不安もシュウを力強く抱きしめてきていた。
白竜は好きだ。しかしそれだけでこの先も過ごしていけるとは到底思えない。シュウは机に伏せながら髪の毛をかきむしった。
明日遊ぼうと白竜に送ったメールの返信を、シュウはいつまでも眺めていた。その日は家族と出かけるから無理だと書いてある。その日とは間違いなく、シュウが白竜が女子と歩いているのを目撃した休日だった。
白竜に女の家族は母親以外に居ない。彼は一人っ子である。従姉妹という考えもあるが、色々事情があり疎遠になっている、そのことをシュウはよく知っている。家族と出かけるなら、と諦めたが、とんでもない、真っ赤な嘘だった。
(どうして、嘘なんかついたの)
白竜なら今度こそ信じられると思っていたのに。
彼は女性のほうがいいんじゃないか、本当に自分が好きなのか、友好と愛情を履き違えているだけじゃないのか。何度も考え何度も白竜なら大丈夫だと不安を飲み込み思い直したが、杞憂が正しかったことを知る。
シュウがこの町に引っ越してきて、白竜に出会ってから数年が経つ。彼に自分の過去を話したことはなかったが、シュウは以前の学校で友人の裏切りを受けたことがある。それが転校の直接的な要因ではないのだが、シュウの心の奥底で深く根ざしているのは間違いなく、彼が人を信用しきれていないところに起因している。
友人の裏切りを受けて人に信用を置けなくなった分、危険な程白竜に依存していることは自分でも理解している。それに振り回されることは彼も自分も傷つけることになるであろうことは容易に予測がついていたが、それでも許せない。
(白竜、好き。一番好き)
話せなくて辛いのは白竜だけではない。顔には出さないが、シュウの心はひどく疲弊していた。
縮こまるように自分を抱きしめると、突然、大仰な音を立てて戸が開いた。
「シュウ!」
思わず顔を上げると、髪を乱した白竜が、肩で息をしながら戸口に立っていた。
「ずっと探していた!」白竜、と驚いたシュウが名前を呼ぶ前に白竜はシュウを立たせると、強く抱きしめた。細かな埃が慌てたように舞う。彼は部活動中のはずであった。汗の匂いと白竜の匂いが混じり合い、まるで薬のようにシュウを混乱させる。
「……やっぱり俺は、お前が居ないと駄目だ」
「やめろ!」その声に、悲鳴にも似た叫びを上げながらシュウは白竜を押しのける。しかし叶わず、やはり白竜の胸の中に閉じ込められてしまう。四肢を大きく動かして拘束から逃れようと暴れるが、解かれる様子が無くシュウは焦りを顕にする。
「ッ嫌だ、やめろ、離せっこのっ!」
「嫌だ、断る、シュウ! 俺はお前が好きだ!」
「っあ、」
「女々しいしカッコ悪いが、お前と離れたくないんだ」白竜の真摯な瞳に見つめられ、シュウの流したはずの怒りが激しく煽られた。
「……どの口がそれを吐くンだよッ!」
握っていた携帯を力任せに投げる。白竜と色違いにした黒いそれは、壁に叩きつけられた衝撃でカバーと電池パックが外れ、方々に散った。
「見たよ、僕、見たよ、君が女の子と二人っきりで歩いてるの!」
「何、」
「ねえあれだれ? 君家族と出かけるって返事したよね? 嘘ついたんだね? 嘘ついて女の子と二人っきりでデート、楽しかったかい?」
「あれは」
「……君だけは僕を裏切らないと思ってたのに。信じてたんだ。…………嫌いだ、君なんかダイッキライだ!」
デート、と言葉にすると、悲しくて悲しくて乾いた筈の涙がでてくる。
「嫌い」思わず口をついてでた言葉であったが、それにも拒否反応を起こしそうになる自分が嫌で仕方がなかった。本当は白竜が好きだと愛を叫んで、ごめんねと仲直りして抱きしめたいが、許され難い愚行である。
白竜は焦ったようにシュウの腕をさすると、再度抱きしめた。抵抗したかったが、白竜に胸のうちをぶちまけたせいか、ひどく体がだるい。ぶらりとさげた手が寒かった。
「嘘をついたこと、本当にすまなかった。お前を傷つけた」
「もう遅いよ。君は女の子とデートしてた、それは事実だ」
「違う、アイツは男だ。笹山滝、俺の友人だよ」
「……何言ってんの?」
驚いて白竜の顔を見つめると、白竜はほっとしたように息をつく。「やっと視線を合わせてくれたな」
彼の心底安堵したというような表情に心臓がきゅうとしまって、いたたまれなくなってシュウはすぐに視線を外した。
「……嘘だ」
「本当だ。なんなら今から本人を呼んでもいい。あの日の格好を寸分違わず再現してもいい」
「……ちょっと、待って」頭がくらくらしてきた。顔に熱もたまってきたが、体調不良のせいではない。「じゃ、なんで嘘付いたの。普通に男友達と遊ぶって言えばよかったのに」
「お前についてきたいと言われたら断れる自信が無かったし、頑なにそいつとだけで遊びたいと言ったらちょっと気持ち悪いだろ」
「なにそれ。じゃあその男の子と浮気してたってわけ」
「違う。……その……言おうか迷ったんだが、次の日は俺達が付き合ってから一ヶ月経つ日だったから、お前にプレゼントがしたくて……」
先ほどの真剣な表情が紙のようにぺらりと剥がれ、みるみるうちに白竜の顔が紅潮していくのを、シュウはぽかんと見つめていた。白竜は伏し目がちに続ける。
「お前に何をあげたら喜ぶのか、全く検討がつかなくてな。同じクラスで予定が空いていた笹山についてきてもらったんだ。そしたら……お前に別れようと言われて」
「……ご、ごめんなさい……」
「いや。構わない。俺が嘘をつかなければよかったから……」
二人共黙りこんでしまった。自分の勘違いに恥ずかしさを覚えたシュウは、白竜の顔をまともに見ることが出来ず、俯いてかっかと顔を火照らせる。申し訳なさで肩が重かった。
すると、視界の端に見えていた白竜の靴が、シュウに近寄った。おずおずと顔をあげると、白竜が思いの外至近距離にいたことにどきりとする。
「……白竜、ごめんね。勘違いして、君を振り回しちゃった」
「気にするな。……シュウ、もしお前がまだ、俺を好きでいてくれているなら、俺ともう一度、付き合ってくれ。今度はお前を傷つけたりしないと誓う」
「それは、こっちの言葉だよ。……白竜、ありがとう。……よろしくお願いします」
シュウが微笑むと、白竜は歓喜を顕にしてシュウを強く抱きしめた。シュウも応えるように手を回す。埃っぽさなど気にならなかった。
穏やかな雰囲気の中、シュウはどうして別れを告げた日、あんなにもあっさりと引いたのか、尋ねることにした。わざわざ自分を探し、再度告白してくれるほどに好いているならば、白竜の性格からして少し不自然に思えた。
白竜は言いにくそうに視線をそらす。しばらく右から左へと動かした後に、「……あまりしつこいと、お前に嫌われてしまうかもしれないと、思って。格好悪いところは、見せられなかった」と口ごもった。
それを聞いて、ついシュウは噴きだしてしまう。白竜が睨んだが、優しく背中をさすると、また視線を逸らした。
(女々しいとか、格好悪いとか、そんなの、思ったこと無いよ)
いつだって自分を高めるために、失敗してはまた挑戦する彼がたまらなく好きだった。
「そうだ、プレゼント」と白竜は懐を探る。「お前に渡したくて常に持っていたんだ」
一週間遅れだが、と差し出されたそれを、シュウはしげしげと眺めた。手のひらにのるほどの小さな箱にである。蓋をあけると、赤い袋がちょこんと座っていた。口を開けると、木製の指輪が顔をのぞかせた。
小さくて細い輪には、見事な細工が施されていた。「お前は、こういうのが好きそうだったから」と白竜は赤い頬のまま呟く。
シュウは嬉しそうにその指輪を手の上で転がしたが、すぐに表情を暗くさせた。
「ありがとう、白竜。すっごくうれしいよ。……でも、僕は君達を見た後、すぐに帰っちゃったから、君に渡すものが何もないんだ。ごめんね」
白竜は「そうか」と少し残念そうな表情をしたが、ふとシュウの手をひいて準備室から出た。部活動に勤しむ生徒たちの声や音が薄く広がっている。
「何もなくていい」と白竜はシュウの手を握りしめた。息を二度三度大きく吸い込み、決心したように白竜はシュウを見つめた。瞳は日を反射して、炯々と光っていた。
「そのかわり、もう別れるなんて言うな。俺と一緒にいろ」人の居ない廊下に、やけに響いた。
「…………そんなのでいいの?」
「なっ、そんなのと言うな! ……返事はどうなんだ」
シュウはなんだか気恥ずかしくなってしまって、答えることができなくなってしまった。代わりに、そっと手を解くと、先ほどの指輪を左手の薬指にはめた。
--
咲織さんリクエストありがとうございました!
少し長くなってしまいました、お疲れではないでしょうか。
結局女の子にならず……笹山くんに申し訳ないことをしたような。
好きな人の前でカッコつけたいと思ってしまう中学生は本当に可愛いと思います。
本当にカッコつけることができるであろう剣城とはまた違った魅力がある白竜が好きです。