シュウの部屋は実に質素だった。あまりものがない。持ち主の性格を表しているような部屋とはまさにこのような部屋を言うのかもしれない。
 小さなテーブルにりんごジュースを置くと、シュウは「妹になつかれたんだね」と苦笑した。

「そうなのか」
「うん、そうだよ。もう泊まっていっちゃえば?」
「いや、さすがにそれは」嬉しいお誘いだが、少し焦る。「ご両親も突然のことで迷惑だろう」
「二人はこの間懸賞で当たった神の楽園、ゴッドエデンツアーに旅行中でーす」

 カーペットに座り、りんごジュースをちびちび舐める俺に、ベッドに寝転んだシュウはパンフレットを突き出してきた。最近人気の観光スポットである。美しい自然の写真の上に、ゴッドエデンの文字が大きく踊っている。
 しかし、家族で旅行ではなく、子供二人(それも義務教育中の)を残して夫婦で旅行とは、珍しい家族である。それを告げると、シュウは肩をすくめた。

「僕のお父さんとお母さんは、夫婦じゃなくて、恋人なんだよ」

 意味が深いような、深くないような。とりあえず俺は納得した。結婚して何年経とうと、いつまでも初々しい愛を交わせるというのは素晴らしいことだ。
 「俺達もそんな風になれるといいな」と何気なしにつぶやくと、今までごろごろと転がっていたシュウが突然身を起こした。

「本当にそう思ってる?」
「は?」
「ほんとうにそうおもってる?」

 今度は一字一字、区切るように言われる。俺は即座に頷いた。しかしシュウの視線は冷たい。
 先ほどの件のことを考えているのだろうか、と思って俺は姿勢を正した。いやあれは全く疚しいことなんて何一つ考えていなくて、と言い訳を始めようとした時、「部屋にエッチな本あるし」と斜め上の指摘をされた為、俺は傾いた。
 エッチな本とは、この間見ていたアレのことだろうか。いやそうに違いない。俺が反応を見せると、シュウの眉間に谷ができる。「この間、ああいうのみてするって言ったよね、今も持ってるんだ、へえ」
 ここでふと違和感に気づく。シュウの言葉の端々に棘を感じる。これは俗にいう、嫉妬というやつだろうか。
 気づいた途端に頬が緩むのを必死でこらえた。シュウは足をぶらつかせながらりんごジュースをぐいぐいと飲んでいる。極力表面に出していないつもりだったが、何かを感じ取ったのか、乱雑にコップをおいた。

「女の人見て興奮するんだね」
「まあ生理現象というか」
「……僕じゃ駄目なの?」

 なんという殺し文句だろう。恥ずかしそうに目をそらすシュウに頭がくらくらとした。ここで全身全霊で愛を叫びたくなったが、今シュウが求めているのはアダルト雑誌についての説明であって、恐らく俺の愛情表現は冷たく凍てつかされるだけだろう。俺は何とか言葉を飲み込んだ。
 しかし俺はシュウを思って自慰をしたことはない。いざしようとすると、吐き気を催してくるのである。なんだか、やってはいけない気分になるのだ、本当に罪を犯しているかのような。とにかくシュウは俺にとって神聖なものだったらしく、汚してはいけないという意思が格別強かったのだ。神社に吐精する馬鹿はいない。
 アダルト漫画なんかで、好きな人を思って自慰をする場面があるが、あれは嘘だと思う。本当に好きな人が出来たら、そんなことをしようと考えるだけでおこがましく思えるというのに。
 といっても、無意識化ではその統制が効かないわけで、俺は夢の中で何度もシュウに殴るよりも酷いことをしてしまっているのだが、それは許していただきたい。
 しかしそんなことを伝えられるか。
 できれば高校生になるまで一線を越えるつもりはなかったが、どうしてもというなら、と、欲を孕んだ眼差しを向けてみると、察しのいい恋人はすぐさま首を横に振った。

「や、やっぱりいいや。それはおいとく」
「そうか、残念だ」

 シュウはまだ膨れている。嫉妬されているのだと思うと、一挙一動が可愛らしく見えてきて、困る。まるでなつかない猫にねこじゃらしをふっているような気分だ。俺はシュウが座っているベッドに近づく。

「……妹が白竜好きみたいでずるい」

 シュウは俺と目を合わせようとしない。やっぱり妹か。しかし、ずるいとは何だ。俺は首を捻る。充分妹に愛されていると思うのだが、シュウはそれでは足らないのだろうか。

「さっき話したけど、お前のことしか話さなかったぞ」詳しくは伏せるが。
「…………」
「妹さんは俺なんかより、シュウのほうがずっと好きだろう。可愛い妹じゃないか、お前によく似てるし……」
「……白竜はやっぱり女の子のほうがいいんだ」
「はあ?」

 何を言ってるんだとシュウを見上げて、ぎょっとした。大きな目からぼろぼろと涙をこぼしている。
 初めて見る恋人の姿に、俺は挙動不審になった。何も出来ずに居ると、「よく、言われる。妹と僕が、似てる、て」と鼻声混じりでシュウがこちらを睨む。

「や、やっぱり女の子が、いいんだ。こな、こないだも、本、あったし。仲いいし。似て、るし、可愛いって」
「お前、まさか妹さんに嫉妬なんか」

 そこまで言った所で、不意に胸ぐらを掴まれた。そのまま勢いよく引っ張られ、がちん、いてっ。唇に歯が思い切り当たって、思わず眉に皺が寄る。ん、歯が当たるということは。
 俺がそれに気づく前にシュウは唇を離すと、涙でぐしゃぐしゃな顔を隠そうともせず、「わるい?」と呟いた。

「妹のほうが、いいんだろ。そうだろ、浮気者、馬鹿、馬鹿、……馬鹿あ」
「俺は」
「……やだ、わかんないよ。白竜。が、妹と仲良くして、て、凄くやなんだ。女の人で興奮するの、想像すると、ぐしゃぐしゃになっちゃうんだよ。僕こういうの、初めてで、……うぇっ、やだ、白竜、やだよ。……離れないで……」
「シュウ、きけ!」

 ベッドの上に乗り上げ、両手で代わる代わる涙を拭うシュウの肩をつかむと、シュウはびくりと震えた。子供のような泣き顔に、ほんの少し恐怖の色が交じる。
 無償にシュウをぐしゃぐしゃにしたくなった。服を脱がせて、キスをしまくって、シュウが何も言えなくなるまで耳元で愛をささやきたくなった。けれど、今は暴力的にそんなことをすべきではない。征服欲と、性欲が、仲良く揃って鎌首をもたげているのを、俺は必死で振り払い、シュウに唇を寄せた。
 シュウの唇はしっとりとしていて、りんごジュースの甘い味と、それからほんの少しだけしょっぱさを感じる。先ほど、ろくなフォローが出来なかったことを悔やんだ。同時に、喜びも感じている厄介な自分に、翻弄されそうになる。

「俺はシュウが一番好きだ。何度も言ってるだろ。シュウじゃなきゃ駄目なんだよ」
「……」
「離れるなんて馬鹿なことを言うな。俺を本気にさせた責任をとってもらう。なんたって俺のは、初恋なんだからな」
「……僕だって、初めてだよ。責任、とってくれるよね」
「勿論だ。一生かけてとってやる」

 やっと、シュウが腕の中で笑顔になった。頬に張り付いている涙を袖で拭うと、「制服が汚れるよ」と咎められるが、抵抗はされない。
 シュウの涙ならむしろ大歓迎だったが、言葉にすると気色が悪かったので、無言で拭う。
 綺麗になった頬に、キスを一つ落とすと、くすぐったそうに身を捩られる。幸福感で胸が満たされていた。そのまま耳元に唇を寄せ、「えっちしたい」とつぶやいてみると、面白いくらいに分かりやすく、シュウが固まった。
 身を離すと、シュウは目をあちこちに彷徨わせて頬を火照らせている。

「だから、えっと、それは……その。もうちょっと、待ってというか。でも、したほうがいいのかな、あ」
「冗談だよ。だが今日はお言葉に甘えて、泊まらせて貰う」

 照れたように笑うシュウを見て、胸がほっこりとした。やはりシュウの代わりはいないのだし、きっと、俺の代わりだっていないのだろう。女がどうとか、そういうのは関係ないのだ。
 結婚もできないし、子供だって作れないけれど、きっと俺たちは一生隣にいるのだろうな、とぼんやりと考えた。それは事実のように感じた。いや、未来はわからないけれど。
 俺たちはずっと恋人同士なのだ。

【終】

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