シュウはベッドに座り込んで薄い紙をめくっている。雑誌か、と思ったがその正体に気づいた途端、俺の喉から変な音が鳴る。

「おま、おまえ」
「あ。ごめん白竜、勝手に見ちゃった」

 あろうことか、シュウが読んでいるのは、俺が先月ネットで注文したアダルト雑誌だった。人間本当に驚くと本当に息を呑むんだな、なんてとろけた事を考えながら、麦茶の乗ったぼんもそこそこに俺はシュウの手にある雑誌を奪おうとした。「返せ」「やだ」静かな応酬が続く。シュウがいたずらめいた笑みで雑誌を持った手を伸ばす度に、異様に肌色の多い表紙がひらひらとめくれる。その様子があまりにもミスマッチすぎて、恥ずかしい。

「君、いくら両親が出張中だからって、こんな本机にほったらかしとくのもどうかと思うよ」

 根負けしてうなだれる俺にさらにシュウがとどめを指してくるので、俺はベッドに頭をめり込ませるほかなかった。消えてしまいたい。今日シュウを呼ぶことは突発的なことだったから、机の上に無造作に雑誌を置いていたことなど、頭からすっぽり抜けていたのだ。失念。後悔しても悔やみ切れない、もし机の引き出しが時空間につながっていたら、俺はそこにダイブしたい気分だった。
 興味津々といった様相で続きを見るシュウの横に座り込む。官能的なシーンばかりが目に止まったが、シュウの表情は全く変わらない。それとなく下腹部を見てみたが、なんら変わりがなかった。少し残念だ。いやいや。
 「こういうの、見たことないんだよね」と雑誌から目を離さずにシュウが言う。

「エロサイトもかよ」なるべく頭の悪く聞こえないように気をつけた。
「妹がいるからね。どうしても見たいってほどでもないし」一呼吸置いて、シュウが続ける。「白竜も、こういうの見て、するの?」

 シュウがこういう話を降ってきたのは初めてのことだったので、俺は表面に出さず驚いた。ここで何を、と聞くほど純情を気取っているわけではなかったので、「まあ」と曖昧に頷くと、「へえ、そうなんだ、へえ」としきりに納得しながらシュウは雑誌に視線を戻す。その頬が微かに赤く染まっているのを、俺は見逃さなかった。
 不意に暗い気持ちが、静かに姿を現した。シュウのそういう、性的な部分を見てみたい。覗き込んではいけない、極彩色めいた暗い穴の中に隠されているものを、全て暴きたいというような、意地の悪い気持ちだった。
 駄目だ、と良心が叱責する。シュウは友人で、そしてそれはこれからも変わることはないんだ。友人以上のことはしてはいけない。
 頭ではわかっていても、その声は、鬱陶しさすら感じられる熱を下げるにはあまりにも小さすぎた。
 シュウ、と名前を呼ぼうとすると、シュウがが何やらうめき声を上げて雑誌から目をそらした。

「なんだよ」
「うーん、エッチなシーンとかは全然いいんだけど、キスは駄目なんだよね」

 見ると、男と女が濃厚なキスを繰り広げているシーンだった。頬を火照らせるシュウに「なんだそりゃ」と笑いかける。先ほどの厭らしい気持ちはすっかり収まっていた。
 純情なんだか純情じゃないのかよく分からない所で、シュウは大いに照れている。白竜は、と実に子供じみた声で呼ばれた。

「こういうの見てて恥ずかしくないのかい」
「いや、俺としてはセックスしてるシーンのほうが恥ずかしいと思うんだが」

 シュウはまたも呻く。「キスなんてしたことないからわかんないけど、してるほうも絶対恥ずかしいと思うよ」
 そこで俺の頭に打算的な考えが浮かんだ。どんなボードゲームをプレイしたときよりも、頭が回転し始める。
 「してみるか」とシュウの耳元で囁く。「えっ」とシュウが露骨に目を泳がせた。

「白竜、したことあるの」
「ないけど」
「なあんだ」

 冗談を言われたのだとシュウは顔を赤くしてもじもじした。
 あれ、これもしかしていけるんじゃないだろうか。胸の鼓動が大きくなる。
 今なら、ただの戯れ、そう、友人同士のじゃれ付き合いとして済まされそうだ。俺はたたみかける。その唇に触れたい。触れられるなら、例えその間に愛がなくたって、構わない。

「男同士なんだから、ファーストキスなんてカウントされないだろう」
「そういうことじゃないけど……」
「俺はキスがしてみたい」
「ちょっと白竜、本気?」

 近づく俺に、シュウは露骨に焦りを見せ始めた。更に距離を詰めると、ひざに踏まれた雑誌がめり、と音を立てた。キスをする男女の顔がゆがむ。
 全身の血液という血液が沸騰しそうな反面、頭の中で警報が鳴り響く。シュウは先ほどから、「本気か」と尋ねてくるばかりで、「駄目」だとか「嫌だ」など一言も言わない。それどころか、うっすらと涙をにじませて、何かに期待している風にすら見える。
 本当にしてしまいそうになる、冗談だと返せ、そう早鐘がうつが、今にも切れてしまいそうな理性はそれに従う力はなかった。

「……ん、む」

 シュウの柔らかな唇が俺のそれに触れた時、全身が粟立った。心はカーニバルの如く狂乱している。シュウの両手はそっと俺の袖を掴んでいた。抵抗は見せなかった。
 いつの間にか曲を流し終えてしまったようで、コンポは沈黙していた。静寂の中、角度を変える度に漏れるシュウの僅かな声と、お互いの熱い息だけが響く。

「はあ、あ……ッん、ちゅ」

 少しかさついた唇を食むと、シュウも遠慮がちに食みかえしてくる。欲望が鎖を噛み千切らん勢いで暴れているのを必死に抑えながら、俺は夢中でシュウの唇を吸った。勢い余って、シュウの両肩に手を添えてしまう。感動に胸が震えていた。
 そっと目を開くと、シュウは律儀に目をつむっている。赤らんでいる目元が近くにあることに、どきりとする。ちゅ、と音を立てると、伏せられたまつげが震えた。友人になった日を思い出す。あの時も、こうして、目を伏せていた。違うのは、頬のあからみだけ。
 急に不安が押し寄せてくる。なぜ抵抗してこないのか。このままだと本当に、本当に。友人同士のじゃれあいなんて言えるような長さではなかった。このままだと、本当に戻れなくなりそうだ。今まで大事に守って、隠してきた、大切な間柄だったのに。
 硬直する手に、何かが触れた。





 シュウは全身で歓喜していた。この胸の高鳴りが、白竜に聞こえていないか、心配なくらいにどきどきする。涙がでてきそうだった。
 白竜の唇が優しく唇をなぞる度に、体の芯から熱が高まっていく。白竜が触れている両肩が、唇が、焼けそうなほどに熱い。
 期待してもいいのだろうか。シュウは身を任せながらそう思う。悟られないようにと、幾重にも想いに重ねた鎧が溶けていく。ずっと前から、僕は、君が。期待してもいいの。
 これが初めてのキスで良かった。ファーストキスにカウントされないと白竜は言ったが、シュウの中でこれは永遠にファーストキスとして残るだろう。自分と白竜の意識の違いが、ひどく悲しく感じた。
 自分の甘い声が聞こえる度、白竜の息遣いが聞こえる度、淫蕩な心地に脳が侵されていく。シュウはひとまずの不安を忘れた。もう二度と経験できないであろうこの幸福をただひたすら享受することに没頭した。
 シュウは目を開ける。自分がひどく扇情的な表情になっているとはつゆ知らず、白竜の温かな手に触れた。

「白竜、もっと」

 もう戻れそうにないな、と白濁とした意識の隅でぼんやりと思う。何かが切れる音がした。

【完】

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