「さーむーいー! 白竜さっさとドライヤー終わってよ」

 ドライヤーは名詞であって動詞じゃないぞ。と、内心突っ込みつつ白竜は櫛で髪をとかす。隣でシュウは薄いバスタオルにくるまって震えている。カチン、とスイッチを切ると、そのバスタオルを剥ぎとった。冷気に素肌が晒され、「ぎゃっ」と可愛らしくない悲鳴を上げる。

「ドライヤー終わった? じゃあ、ベッドに入ろう」
「まだだ。お前髪乾かしてないだろ」
「えー! いいよ僕は、いつも乾かしてないもん」

 毎回乾かしている白竜には信じられない、二度目の驚愕である。白竜は眩暈がした。自身に手入れを怠らない自分がおかしいのか、という気持ちになるが、ぐずるシュウを無理やり立たせる。

「よくない! お前が髪乾かさないで寝るだろ。ベッドが濡れるだろ。寒いだけだ」
「うーん、正論でこられると全く反論できないねー」
「一緒に寝るんだから、濡れていちゃ困る」
「え」

 一瞬白竜の言葉にシュウは挙動不審になったが、「……あ、うん、そうだね」とワンテンポ遅れて頷く。その様子に、白竜はきょとんとしていたが、自分の発言を思い返し、顔を赤くした。一緒に寝るって。そういう意味ではない、白竜は首をぶんぶんと振った。
 シュウは大人しく白竜のされるがままにされる。まるで幼子を持った母親のような状態に、白竜はため息をつく。
 あんなにサッカーが上手くて上手くて、憎たらしい奴だ、倒すべき奴だと思っていたのに、こんなにも子どもらしい一面があるとは。普段は訓練中の様子しか見ることができないからか、思わぬ相手の一面を知らされ、白竜の中のシュウ像は、ここ十数時間で金槌を振り下ろされたかのようにばきばきに壊れていた。

「なんで乾かさないんだよ」
「だって面倒くさいし」
「風邪引いてもしらんぞ……」
「あは、心配してくれるんだ? ありがと」

 嬉しそうなシュウの言葉に、ぎょっとする。
 心配? 俺が? まさか。
 「風邪をひかれたら俺が困るからだ」とつぶやく。ムスッとした口調になってしまったが、それをどうやら照れ隠しと受け取ったらしいシュウはころころと笑う。それがむかついたので、白竜は多少絡まる髪の毛を無視して櫛を下ろした。「いた!」とシュウが叫ぶ。「乱暴だなあ」

「終わった」
「照れなくてもいいのにね」

 ドライヤーを片付ける白竜の横でまだシュウがそんなことを言うので、いいから早く行け、との意を込めて軽く彼の足を蹴る。きゃあきゃあと逃げる様(勿論鎖の届く範囲内だが)は、普通の中学生のようだった。白竜の心のなかを、本の間から出てきたメモを見つけた時のような、夕方の誰もいないサッカーコートを走った時のような、懐かしいとも悲しいとも言いがたいものが走る。
 友達同士のじゃれ合いのようなものは久しくしていなかった。フィフスセクターに従属してから、ずっと訓練漬けだったのである。普通じゃない今日の中で、そんな普通のことを沢山味わった気がした。
 俺はどうなりたいんだろう? 白竜は思う。
 答えは簡単だ。強くなりたい、その一点だけである。しかし、そこにシュウが絡むと、すっきりと整っていた思考回路が突然こんがらがる。
 憎いと思っていた気持ちが、今は毛布にくるまれたかのように、温かく、不透明になっていた。無邪気に白竜を待つシュウを見ながら、白竜は考える。
 俺はこいつとどうなりたいんだろう?
 敵だろうか。仲間だろうか。友達だろうか。そこまで考えて、白竜の思考は止まった。

(友達?)
「白竜」
「……は」
「しまったなら早くベッドに行こうよ。湯冷めしたら風邪ひいちゃうだろ?」

 大分待たせてしまっていたらしい。シュウは先ほど剥ぎとったはずのバスタオルにくるまっていた。まるでミノムシだ、と思考を瞬時に切り替え、白竜は頷いた。


 半裸で寝る。欧米映画のワンシーンのような行動に、一刻憧れたことがあるのは事実だ。これで革靴でもあれば最高である。
 しかし、今の季節では全く歓迎しないシチュエーションであった。
 まず布団が冷たい。シュウと白竜は一気に布団に潜り込むと、生身の肌にささる冷たさに震えながら体温が移るのをひたすら願った。上半身一枚ないだけでこんなに寒いのか、とシュウは風呂に入ったことを若干後悔、若干白竜に申し訳なく思っている。
 次に体温が移ってくると、出るのが大変億劫になる。それでなくても寮内は寒い。まるでこたつだ。夏なら良かったのに、とどちらともなく呟いた。
 シュウと白竜の間には人一人分が入れるくらいのスペースが開けてある。寒いといえど、上半身裸でくっつくのは恥ずかしいし、何より虚しい。初めてのダブルベッドは二人にはひどく大きく、一人分のスペースを開けようともまだまだ自由がある。

「……ダブルベッドに寝るんだったら、もっと違うシチュエーションが良かったな」
「そうだな」と白竜が徐々にぬるくなってきた布団の中で答える。二人共お互いに背を向けていた。
「もっと暖かい季節でさ。こういうのって普通……愛し合ってる二人とかがやるもんだよね」

 最後の方はぼそぼそとしていて聞き取りづらかったが、確かに白竜の耳には届いた。

「お前、相手がいるのかよ」

 なんとなく聞きたくなって、シュウの方を振り返る。シュウはやっぱりこちらに背を向けている。健康的な色のうなじがひどく寒そうだった。
 長い沈黙の末、シュウは先ほどよりももっとか細く、

「…………うん」
「えっ」
「わかんないけど。りょうおもいじゃないし」

 いるのか。思わず白竜は上半身を起こす。寒い、と文句を言われ、慌てて掛け布団を引っ張った。相変わらずシュウはこちらを見ない。その様子に、白竜はがあんと殴られたような衝撃を受けた。
 同年代の男の切ない恋の想いを述べられたのは初めての経験であるが、そのショックだけではなかった。

(好きな奴いるのか)

「誰だ」
「いっ! 言うわけ無いだろ。もう早く寝ようよ」
「いるのか」
「……いるってば……」

 シュウの肩が震えるのが見えた。そっと布団を寄せる。ありがとう、とシュウはお礼を言うが、反応がさっぱり来なかったので、恐る恐る振り向く。

「うわっ」
「…………」
「……なんで泣いてるんだよ」
「は?」

 あれだけ寒いと言っていたシュウががばりと起き上がり、白竜の目元にそっと触れる。指がすいつく感触に、白竜はやっと、涙を流していたという事実に気づいた。
 涙腺は緩い方ではないはずである。少なくとも人の前で泣いたことはなかった。こんなことは異常である。それも、なぜ泣いているのか分からない。胸に穴が開いたかのように、すうすうとする。
 泣いていたといっても、一粒だけだ。はたからみれば、目にゴミが入ったから流しただけかのように素面なのに、なぜかシュウはおろおろとしている。

「ごめん。僕変なこといった?」
「いや。泣いてないし」
「泣いてるだろ……ああ、ごめん」

 ごめん、と謝罪の言葉を一つ落とすたび、シュウがどんどん泣きそうに顔を歪ませるので、白竜は心配になった。何も彼が泣くことはないのだ。胸の穴がどんどん広がっていく。
 「いいから寝ろ」と無理やりシュウを倒し、布団をかける。目元を乱雑に拭う姿はひどく男らしく、シュウはじっとその表情を見つめた。

「やっぱり君、カッコいいよ」
「……なんだ、いきなり」
「なんでもない。ごめん。おやすみ」
(……白竜はいいやつだ)

 ちょっとだけ笑みをこぼすシュウに胸がぎゅうう、となる。「うん」と子供じみた返事をして、白竜も布団に潜る。中は暖かいのに、一人分開けたスペース、背中が、ひどく寒い。
 シュウは羽毛布団を握りしめくるまっていた。指先が冷たい。足を抱える。先ほどの白竜の一挙一動がビデオ再生のように鮮明に思い出された。
 まだ、廊下からかすかに音楽が聞こえる。まだ眠るには早い時間であった。クリスマスソングの応酬も、この手錠でつながれた関係も、今日で終わりだ。
 「白竜」シュウがそっと名前を呼んだが、うとうととまどろんでいた白竜は言葉にならない返事を返す。シュウの声音が優しくて、暖かいミルクのようだとぼんやりと考えた。ぽっかりと空いた穴に注がれているような。

「僕白竜のこと好きかも」

 かも、かも……。シュウは恥ずかしくなって、口の中で復唱した。確信が持てないわけではなかったが、断定するのも癪だった。そこは男の子の意地というものかもしれない、つまらないものだが。
 返事は期待していなかった。さて寝よう、と冷えてしまった布団の奥に足をのばすと、白竜の温かな足が触れた。

「俺も」
「え」
「俺も好きかも、しれない」

 どきんとシュウの胸が高鳴る。まさか。いやいや。白竜が以前から自分にあまりいい感情を抱いていなかったのは知っていた。だから手錠で繋がれた時、正直この関係を解消するチャンスだと思った。それなのに、子供臭い所や恥ずかしい所、ああなぜ風呂場であんなことを言ってしまったんだろう、失態しか見せなかったから、きっと彼もあきれていると思ったのに。先ほど泣かれたのも、ちょっとショックだった。
 彼はやはりカッコいいな、とシュウは鼻をすすった。関係を解消するどころか、君がカッコいいばかりだから、僕が君を好きになっちゃったじゃないか。不覚にも涙が出た。

「泣くなよ」
「……泣いてないよ」
「嘘が下手だな」

 闇に広がる笑い声に、体が熱くなった。なんて冷静な奴だ、くそ、と少しだけ毒づく。
 だが白竜は冷静ではなかった。白竜も同じようにどきどきと鼓動を響かせていた。好き。その言葉が体に沁み込んでいく。完全に眠っていなくてよかった、と心から思う。そうしたらシュウのあの、ミルクにたやすく溶けてしまいそうな言葉は二度と聞くことができなかっただろう。
 彼の言葉が耳に届いた時、それまで心に空いていた穴が、モヤモヤとしていた気持ちが、全て飲み込まれ、綺麗に払拭されてしまった。あんなににくいと思っていたのに、いつの間にか丸め込まれてしまっていた。そういうところも、今は少し憎たらしい。
 二人共、やはり一人分のスペースを開けたまま、背中を向けていた。

「……寒いね」
「……そうだな」
「僕冷え性だからさ。……ちょっと、足とか冷たい」
「そうか」

 言うが早いか、白竜の両手が伸びてきた。一人分のスペースは、いともたやすく消えてしまう。
 ぴっとりと足をくっつけると、たしかにシュウのつま先は冷たかった。「お前冷たい」とそのまんまの感想を述べつつ、ぎゅうぎゅうと抱きしめる。しばらく声にならない声をあげていたシュウであったが、大人しく白竜の体に手を回した。指先の冷たさに、白竜の声が若干上ずる。
 胸板が密着した。

「……ず、あったか」
「まだぐずってるのか」
「違う。鼻つまり」
「あっそ」

 やっぱり白竜の腕は筋肉質だ。ぽっと見とれていたので、彼の顔が近づいていたことに気づかなかった。
 息を吸う間もなく、唇に白竜のそれが触れる。律儀に目を閉じていたので、綺麗に生え揃っているまつげがよく見えた。シチュエーションに欠けた自分が恥ずかしくなり、目をつむってシュウも唇を押し付けると、白竜の手がぴくりと震えた。
 唇を触れ合わせるだけの稚拙なキスはそう長くは続かなかった。
 上半身裸で、おんなじベッドに寝て、抱き合って、キス。なんだかえっちだ。そう考えて恥ずかしさがこみ上げた瞬間、白竜の唇が離れた。どうやら相手も同じ事を考えていたらしい。照れくさくなって、しばらく目線を合さないでいると、手錠で繋がれた自分の右手が見えた。暗闇でよく見えないが、手錠には似合わないボタンのような突起物が、どこかから漏れた光を反射している。

(なんだこれ)

 無理して左手を伸ばし、ボタンを押してみる。と、カシャン、となんとも軽い音が響いて手錠は外れた。

「…………」
「…………」

 しばらく目をぱちぱちとさせていたシュウと白竜であったが、抱きしめていた腕を離し、白竜が自らの手錠を探って押してみると、やはり手錠は外れた。あっけなく。
 がばりと起き上がってベッド付近の電灯のスイッチを押す。ぱっと明かりがつき、二人の手首が白い光に晒されたが、赤い痕以外は何もなかった。
 引いてダメなら押してみろ、である。

「…………」
「うわーもうなにこれ!! 最悪、僕達こんな簡単なことに時間食ってたのか!!」

 シュウが布団に突っ伏す。利き腕がひどく軽かった。

「教官も教えてくれればよかったのに!」
「いや……よくよく見ないと分からないところについている。気づかなかったら気づかなかったでいいと思っていたんだろう」

 白竜も脱力した。気分は真っ白な灰だ。燃えた後には真っ白な灰しか残らない、まさしく今日は熱い一日だった。いろんな意味で。
 しばらく放心状態だったが、半裸のままだったことに気づき、のそのそと近くにあったユニフォームをかぶった。朝からシュウの部屋なのに、白竜のユニフォームが置いてあったが、明日の着替えのためだと思っていた。しかし、そうではなかったのかもしれない、自分の推理不足が悔やまれる。白竜はため息をついた。
 眠気も吹っ飛んでしまったので、ベッドに座っていると、シュウがちょいちょいと服の裾を引っ張ってきた。ばちりと視線が合うと、先ほどのキスが思い起こされて、なんとなく恥ずかしい。シュウも照れ笑いをしながら、枕元の白い箱を指さした。

「あ」
「君のクリスマスプレゼントって結局なんだったの? ずっと枕元に置いてあったけど」
「そういやすっかり忘れてたな。まあ今日は寒かったし大丈夫だろ」

 白竜が箱を開ける。どうやら生モノらしい、好奇心で目を輝かせたシュウが中を覗き込むと、色の違うものが、2つ、ちょこんと置かれていた。

「ケーキだ!」
「……ああ」
「しかも2つある! これ、普通のとチョコのだよね」
「……ああ」
「これが白竜のクリスマスプレゼントだったのか、ふうん」
「……ああ」

 しかし、なぜ2つ。白竜は元来甘いものがそんなに好きではない。シュウがその疑問を口にすると、白竜は答えるか答えまいか迷っていたが、やがて恥ずかしそうに目を逸した。

「……お前が」
「うん」
「ケーキを食べたことがないって言ってたから」
「……うん」
「可哀そうだから一緒に食べてやろうと……思ったんだ」

 大した理由はなかった。ただ、シュウとの会話が無性に思い出されたから、問われるがままに答えたのだ。小さいのでいいので、味の違うケーキを2つ。
 思えば、シュウの笑顔が見たかったのかもしれない。恥ずかしいので、言わないけれど。実際、シュウは嬉しそうに頬を赤くさせていた。

「やった! じゃあ僕も食べていいんだ?」
「ああ。好きな方を選べよ」
「ありがとう、大好きだよ!」

 その言葉に白竜はがっくりと肩を落とす。さっきの告白では「好きかも」なんて曖昧な言葉だったのに、ケーキ一つで簡単に口にしてしまっていいのか。
 だがそれがシュウなのだとも思う。嬉々として普通の白いショートケーキを取り出す――なんでもないことだが、その選択も白竜には嬉しかった――シュウを見て、ふっと自分も笑みをこぼす。
 寝る前に甘いものもどうかと思うが、箱に一緒に入っていたフォークを取り出し、いざ食べんとする。が、シュウは手をだそうとしない。

「どうしたんだよ。食べないのか」
「あのさ白竜……僕、ずっと利き手に手錠はめてたんだよね」
「知ってる」
「だから痺れちゃってるというか……えっと、食べさせてほしいなー、なーんて」

 ぐらりときた。さっきのような殴られたような痛いだけの衝撃とは違う、なんと甘い衝動か。
 「口開けろよ」と促すと、シュウが小さく口を開ける。その様子にやはり動物と接しているような感じは否めないながらも、白竜はフォークを運ぶ幸せを感じていた。

「あとで俺もやれ」
「うん」

 25日はまだ終わらない。あと数時間の猶予はあるが、白竜はきっと、0時を過ぎても、シュウと共にいるだろう。

【完】
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