日が暮れた。しかし、太陽が沈んだ重みで浮かび上がったかのように、またもや問題が顔を出した。
 入浴であった。

「服どうするんだよ。慣れたといっても自由に身動きが取れるわけじゃないし、今日はやめておいたほうがいい」

と理性的な意見を述べるのは白竜である。

「服はどうにでもなるよ。今12月だろ? 寒いよ、湯船に浸かりたいじゃん」

と欲望に忠実な旗を立てるのはシュウだ。
 この島は寒い。森の面積が多いため、島のほとんどが影で覆われている上に、人口密度が極端に少ない。放課後、人の消えた教室のように、冬になるとこの島は急激に熱を失っていくのである。
 度重なる討論の中、どこからか舞い込んできた冬の風が二人の間をすり抜けた途端、あっけなく軍配はシュウにあがった。
 寒さには勝てなかった。
 シュウと白竜は狭い脱衣所で服を脱ぐ。話し合いの結果、共同大浴場は使わず、個室についている簡易風呂を使うことにした。簡易風呂といっても、湯船もシャワーもちゃんとついている。
 本来一人用なので二人で入るには窮屈なのだが、この際文句入っていられない、二人はフィフスセクターに深く感謝していた。もっとも、この要因を作ったのはフィフスセクターであることには目を瞑る。感謝の気持ちは大事だ。
 テキパキと服を脱ぎ、いざ上半身、片腕で脱ぐにはきついものがあったが、なんとか手錠の鎖に二人の寝間着がぶらさがった。じゃらり、と布が覆っているため若干鈍い音がなる。

「……重たいな」
「そうだね」

 シュウはため息をつくと、ハサミを取り出し、白竜が止めるまもなくじょきり、と服を切った。

「あっ、お前!」
「別にいいじゃないか。濡れても重くて面倒なだけだし、また配給されるよ」

 なんとも潔い考えではあった。没個性ながらも長年着用してきて仄かな愛着心さえ湧いてきてしまった白竜は、しばらくその言い分に反論を探していたが、結局見つからず、自分もジョキンと思い切って服を切った。

「ふう、身軽になったね」
「……そうだな」

 時折、シュウのこのような行動には驚かされる。そして疲れる。シュウがゴッドエデンに現れてから少ししか経っていないとはいえ、人よりもシュウと一緒にいた自信はある白竜であったが、やはり掴めないところがあった。
 戸棚を漁るシュウをぼうっと見つめてみる。おや、シュウの顔が赤いなと思った途端、シュウは少し嫌悪感を見せながら睨んできた。

「……何。恥ずかしいからあまり見ないでくれる、かな」
「あっ?」

 そういえば、二人共生まれたままの姿であった。今更ながらにそれに気づき、顔に熱が走る。
 視界に入っている細くしなやかな手足、腰。他人の裸を至近距離で見つめたことはなかったので、うっかり意識してしまう。

「だから見るなって! 君と同じだよ!」
「あ、ああ。そうだな、悪い」

 シュウが背中を向けたので、白竜ははっと我に返った。口元に手を当てる。

(いやいやいや。俺は何をしているんだ……まったく、俺らしくない)

 同性の裸をまじまじと見つめてしまうなんて。
 ちらりとシュウの方を見ると、黒髪からのぞく耳が赤くなっている。ますます体が熱くなる。恥ずかしかった。
 パーソナルスペースを常に越えているような状態だ。普段大浴場で会う時には全く気にしないが、今はとかく気になってしょうがない。
 なんというか、自分の体とは違った。しなやかで、柔らかそうな肉体。だからこそあんなトリッキーな動きができるのか、と納得する反面、なんだか見てはいけないようなものを見てしまったような気分になる。トイレ事件再来だ。
 今朝の出来事を思い出し、ぽっぽと顔を赤くしている白竜であったが、背を向けているシュウもまた別のことで焦っていた。

(うう……見られた。恥ずかしいな)

 自分の体に筋肉がつきにくいのは自覚している。白竜と同じ量、いやそれ以上の筋力トレーニングをしているつもりだが、一向に筋肉がつく様子がない。男にしてはひょろりとしている自分の体に、シュウは軽いコンプレックスを持っていた。

(白竜はいいなあ。しっかりと筋肉がついてて。腕も太いし、手も僕と違ってカッコイイし)

 なんだかんだ言いつつ、シュウも白竜の裸体をしっかり見ていた。見ていた、というよりは見惚れていた、に近い。自分の理想の体がすぐ隣にあるのだ。しかも、白竜は色白の美少年である。童顔であるシュウにとって、どこまでも対極的な存在だ。
 羨望の思いを抱く反面、なぜかドキドキしていた。なんだかそのような思いで白竜の裸を見つめる自分が、いやらしく思えてきたのだ。
 また、二人の間を微妙な空気が漂っていた。

「とりあえず、入ろうか……」
「ああ……」

 その空気が打破されたのは、二人の体の熱が冷えてからであった。


 裸を見られるのがなんとなく恥ずかしい、という気持ちは痛感していたので、乳白色の入浴剤を浴槽に投入し、湯を濁らせる。
 じゃんけんで、最初にシュウが頭髪を洗うことになった。白竜はボディーソープを泡立てつつ、目の前で盛大に泡を飛ばすシュウを眺める。
 しかし大雑把な洗髪だった。手錠がついた重い腕で洗うのは至難の業のように思えたが、ここまでくると性格が出ているとしか思えない。まるで獣のような行水に、見かねて白竜は泡だらけの手をすすいだ。

「俺が洗ってやる」
「え? いやいいよ」
「いいからシャンプーハット外せ、洗いにくい」

 灰色のシャンプーハットをもぎ取ると、シャンプーを適量手にとって、わしわしとシュウの黒髪を洗い始めた。最初はシャンプーが目にしみるだろ、と騒いでいたシュウであったが、意外と白竜の繊細な指使いが気持ちよかったのか、今は黙ってぎゅっと目をつむっている。その様子がなんだか面白かったので、白竜は気付かれないように吹き出した。
 意外とシュウの髪の毛はコシが強い。それでいてしなやかだ。出会った当初は薄幸というか、ふらりとどこかへ消えて行ってしまいそうな虚弱さが垣間見えていたのだが、しっかりとしたその感触に少しだけ安心する。
 生きているのだと。
 いつもリンスなんてしないというシュウの発言に驚愕を覚えながらも、白竜は洗髪を終えた。「僕も洗ってあげるよ」というシュウの申し出を丁重に断り、シャンプーに手を伸ばす。瞬間、濡れた肩がこすれる。お湯を浴びたからか、温かかった。
 
「白竜の体冷たいね」
「……いいからそこ代われ。今度は俺が髪を洗うから」
「うん、ごめん」

 どきりと艶かしい肌の感触に胸を高鳴らせた白竜と違い、シュウはあっけらかんとしている。順応力が早い。白竜は少しだけ悔しい気持ちになった。思えば、今まで恥ずかしい醜態を晒したのはシュウばかりである。毒が強ければ抗体も強いということか、と白竜はまたも一人で納得していたので、横をすぎるシュウの頬が染まっていたことなど微塵も気づかなかった。

 体も洗い終え、残るは湯船に浸かるのみとなった。熱いお湯に口から吐息を漏らしながらも、二人で一気に浸かると、ミルクのようなお湯がざばりとあふれた。湯に包まれた体の輪郭が溶け、次第に見えなくなる。
 狭い浴槽なので、シュウと白竜は必然的に向かい合う。シュウが重たげに右手を持ち上げながら呟いた。

「風呂のお湯で錆びてぱっきり、とかないかな?」
「恐らく数年かかるだろうな。鉄臭くなる前にちゃんと拭こう」
「了解」

 冷えたのか、すぐさまシュウは右手を湯に戻すと、息を吐きながら肩まで湯に沈めた。遅れて、白竜の体にミルクの波が打ち寄せる。
 向かい合うというのはなんとも奇妙な状態だ。お互いの顔が真正面にあるのだ。白竜は若干視線を喉のあたりにずらして、シュウの目を直視しないようにしていた。丁度、面接で使う『見ているけど目を見ていない状態』である。
 それなのにシュウはまっすぐと白竜の顔を見つめている。白竜は若干どぎまぎした。自らの造形を形どれそうなほどに刺さる視線を痛いほどに感じる。

(なんだ……何かついてるのか? なんでそんなに見てくるんだ)
(うーん。やっぱり綺麗な顔してるよなァ)

 お互いの考えていることは常に平行線上であった。
 潔癖の嫌いがある白竜はまさか洗い残しがあるのかとそわそわし始めるし、シュウはぽけっと腕のいい彫刻家が掘った彫刻を見るような気持ちで見とれている。クールな眼差しと高い鼻、いつ見ても日本人離れしているその顔は憎いくらいに白髪と似合っている。

(いいなあ)

 ついにシュウの視線に耐え切れなくなって、白竜が立ち上がろうと湯の中の手すりを掴んだ。はずであった。手探りで求めた場所は、本来の場所から数センチ下にずれていたようで、ろくに確認もせず思い切り荷重をくわえられた右手は行き場を失い――結果、シュウの足の上を盛大に滑った。

「うえっ!?」
「うわっ!!」

 全く油断していたシュウはぬるりとした感触に遠慮無く悲鳴を上げた。
 どうして、どうして乳白色系の入浴剤は入れると滑るような感じがするのだろう――と現実逃避にも似たことを考えながら、焦った白竜は「すまん!」と立ち上がろうとする。が、またも力を加えられた右手は、シュウの太ももを変形させながらずるりと落ちた。きわどい場所へ。

「ひゃああ、あっ、ちょっ!」
「待て動くなって!」
 
 さすがに我慢できなくなったのか、シュウが白竜の肩を掴んで押しのけようとする。しかし、思うように行かず、つるつると滑る中白竜は再度湯にダイブすることとなった。ばちゃん、とシュウの胸元で珠が弾ける。シュウの胸元で。白竜はなんだか、とんでもないようなことをしでかしたような気がしてならなかった。
 ふと気づくと、左手が柔らかい物にふれている。湯に隠れて見えないが、いや見なくてもわかる、この感触は、間違いなくシュウの胸である。

「……あ、いっ」
「…………」

 白竜は全身の血が沸騰しそうになるほどの羞恥心を覚えた。右手は底にしかとついていたが、それ以外の部分が非常に危うい、いつの間にか押し倒すような体勢になっている。シュウの体は、今や顎から上からしか見えない。寄せる波にあっぷあっぷとするシュウの顔も羞恥に染まっていた。
 白い湯でよかった。透明な湯だったら、さぞかし複雑な、滑稽な体勢になっていたに違いない。そしてその場で間違いなく舌を噛んでいただろう。
 しばらくそのまま静止していた。羞恥に固まっていた。
 温かくて柔らかい、すべすべしてるって、俺は何を考えているんだ。
 本当に何を考えているのだ。硬直した白竜の体の中で、頭だけがフル稼働していた。
 どんな言い訳をしようと脳の毛細血管の隅々まで血を巡らせ考える白竜の左手に何かが触れる。白濁としているのでわからないが、シュウの右手だった。

「シュウ、えっと、これは」
「……白竜」
「はい」

 黙るしかない。白竜は温かい湯の中で冷や汗をかきながら次の言葉を待った。どんな罵倒を食らうかと、恐れていた。
 しかしシュウは白竜の予想をいつも裏切る。定規を使わずに描いた線のように、思わぬところでくくっと曲がってしまう。

「…………さわりたい?」

 脳内がスパークした。ぱん、と。
 なにいってるんだ、こいつ。
 シュウの目元は赤く染まり、涙で潤んでいる。顔立ちはシュウであるのに、いつものシュウからは考えられないほど妖艶に思えた。痛いほどの冷たさを頭に感じながら、白竜はただシュウの表情をみることしかできなかった。
 視線が交差した瞬間、二人の体に鳥肌が走った。寒さからではない、体は炭が燃えるように芯から熱い。
 左手を何かがつついている、なんだこれ、ああシュウの乳首か――とようやくつながれた脳の回路がはじき出した途端、白竜は反射のように思い切り手を離した。シュウの右手も引っ張られ、その衝撃に、彼もはっと表情を取り戻す。
 顔がじわじわと熱くなった。

「あ」
「う」
「あー!! うわー!!」

 はじけたように叫びだしたのはシュウであった。両手で顔を覆う。

「ごめん! 本当にごめん!! 今の忘れて! 今の僕の発言忘れてくれっていうかもう僕出る!」
「待て!!!」

 逃げるように浴槽から出ようとするシュウを、白竜はあわてて制止した。びしりと目の前につきつけられた白い掌に、びくりとシュウの肩が揺れる。

「な、なに」
「……タオルは持ってきていいが風呂場で拭いてくれ。俺はまだ湯船にいるから」
「? わかった」

 クエスチョンマークを浮かべながら脱衣所からタオルをずるずる引っ張るシュウを見つつ、白竜は内心冷や汗をかいていた。
 白い湯で良かった、と心から感謝する。
 白竜の自身は起立していた。はっきりというと、勃起させていた。

(まずい。まずいまずいまずいどうする)

 まさか湯の中で処理するわけにも行かない。かといって、上がってしまったらただの変態である。ドン引きなんて優しいものではすまない、恐らくシュウは裸のままで誰かに助けを求めに行くだろう。誰がどうみたって、シュウに欲情したとしか思えないからだ。
 そうともしらずごしごしと片手で不器用に体を拭くシュウの横で、白竜はのぼせる前に収まってくれることを願っていた。湯はまだ冷めない。


「早く出ろっていったのに」
「まあ……なんでもいいだろ」

 結果のぼせた白竜を呆れたように見ながら言うシュウに、白竜は(お前のせいでもあるんだぞ)という意味を込めて視線を送る。
 先ほどのシュウは変だった。いつもと違う、いつもはもっと少年らしい。朝からいつもと違う状況の中で過ごしていたのだから、お互い変になってきてしまっているのかもしれない。未だに信じられない自身の行動を思い返しながら、白竜はトランクスを履いた。
 横のシュウはすでに寝間着のズボンを履き終えている。しかし、上半身は褐色の肌を晒したままだ。嫌な予感がした。

「白竜」
「……いやまさか」
「ごめん。忘れてたけど、この状態じゃ上、着れないよね……」

 服が脱げないということは、着ることもできないのだ。
 所在無さげにするシュウの横で、マジかよ、と白竜は天井を仰いだ。卒倒しそうだった。

【続】
 
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