白竜はシュウと話がしたかった。ふたりきりで。
しかしそれはしばらく叶うことがないようだ。白竜は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「あはは、何その顔。青汁飲んだみたいな顔してるよ」
「……」
「なんだよ白竜、機嫌わりーなー! なんで?」
「…………」
シュウの隣でケタケタと笑う帆田を睨みつけると、彼はすぐさま笑みを引っ込め、肩をすくめた。大変ご立腹のようだと、他のメンバーに目配せする。
さらにイラつきが募ったが、シュウまでくすくすと笑っているので、白竜は少しむくれた。そんなに分かりやすい顔をしているのか。
シュウの周りにはチーム問わず人が集まっている。特にアンリミテッドシャイニングのメンバーが多い。
ゴッドエデン閉鎖のため、明日にはフェリーが迎えにくる。そうなれば離れ離れになり、会える頻度は激減するだろう。その前に、と話したかった人物と最後の会話を交わして帰りたかったのだが、考えることは皆同じだったようで、シュウの右隣には帆田が、左隣には青銅が腰を下ろしていた。
しかし、白竜の周りには誰も近寄ってこない。この差はなんだ。日頃の行いか、それとも性格か。
眉間の皺を深く刻む度にシュウが笑うので、白竜はちょっと顔の力を抜いて無表情に徹することにした。こんなにわかりやすい顔をしていたらまるで、嫉妬しているみたいじゃないか。
そこで白竜の頭に疑問がよぎった。「誰に」嫉妬しているのだ?
考えても主語は出て来なかった。
「おい、お前ら」
「やだな白竜クン、そんな怖い顔しないでー」
「黙れ帆田」まだそんな顔なのか。白竜はせきをした。「ちょっとシュウ借りるぞ」
「へっ」
シュウがきょとんと前髪を揺らした。
「ちょっと外に出たい。いいか」
「え、うん、別に構わないけど」
「なんだよ白竜ー。二人っきりってまさか告白なのか?」
白竜はおしゃべり雀の頭を力強く叩いた。舌を噛んだらしい帆田は涙目で悶絶する。
無言でシュウを連れて部屋を出ると、後ろで「こくはくだ」「告白なんだ……」という話し声が聞こえたが、さすがに釘をさせる心の余韻がなかったので、放っておいた。
「で、何か話したいことがあるの?」
「…………」
「もしかして僕と二人っきりになりたいだけだったり?」
シュウは依然として笑みを崩さない。ここで「そうだよ」と肯定したらどんな反応をするんだろうか、と白竜はぼんやりと考えたが、素直に「いや、最後に話がしたくて」と答えた。
シュウは体育座りでそのばにすわりこむ。明るい月夜だ。シュウの黒髪や服が闇に溶け込んで、照らされる肌がひどく眩しい。細い体がやけに儚げに見えて、白竜はどきりとした。
「話かあ」
「……ああ」
「うん。……僕、天馬達や、白竜と会えてよかったなあ」
「そうか」
白竜も隣に座る。
「楽しかったよ。とても。……明日で、さよならなんだね」
「……俺はお前を、ずっとぬるいやつだと思っていた」
「へえ?」とシュウが意外そうに口角を上げる。ちょっと気まずくなった白竜は矢継ぎ早に述べた。
「さっきだってそうだ。弱い奴にも……まあ許せない節々はあったそうだが、弱い奴にだって誰にだって、笑顔を見せる。気楽に話す。そういうのがずっと、ぬるいと思っていた。甘いやつだと」
「はは。白竜はそんなことしないもんね。周りを見下してたし」
痛いところをつかれた。
「そういうところにイライラしてたの、僕知ってたよ」
「う……ああ、まあ。ただ、今になって思うと……その」
シュウには全て見透かされてしまっているらしい。ますます気まずくなる。白竜は目の前の月をまっすぐに見つめながら、頬をかいた。
「その……今になって思うと、嫌いではなかった。シュウと会えて良かった」
シュウが目を見開いた。そしてすぐにゆるゆると顔を弛緩させ、「えへへ」とにやけさせる。横目でちらりと盗み見た白竜は、急に気恥ずかしくなって、そっぽを向いた。
恥ずかしいからか、何からか、胸の鼓動が鳴り止まない。柄にも無いことをするんじゃなかった、とすこしばかり後悔の念がよぎる。
「そっか。嬉しいよ」
「……ああ」
「僕も君のこと、嫌いじゃない。言っただろ? 僕達は似てるって。気が合うって」
「うん」
「僕達も……ずっと、お互いが大切だったんだ……」
風が冷えてきた。まだそのような季節ではないといえ、ほぼ人が見えない島を走ってきた夜風は冷たい。
「戻ろうか」とシュウが立ち上がる。その様子に、白竜の胸が詰まった。
まだだ。まだ、本当に言いたいことがあったはずなのだ。そのためにふたりきりになったはずなのだ。
それなのに、次から次へとあぶくのように言いたいことが出てきて、肝心な気持ちが隠されてしまう。何が言いたくて彼とふたりきりになったのか、もはや白竜には知ることもできない。白竜は素直にシュウに従った。
「それじゃあ、おやすみ」
「ああ。また明日」
「……明日はないんだ」
「え?」
夜の挨拶をして踵を返した途端、信じられないような言葉が聞こえた。思わず後ろを振り返る。
シュウは先ほどと変わらぬ笑みで立っていた。どこか頼りなく見える細脚で。
「明日はないって、どういうことだよ?」白竜は狼狽する。
「そのままの意味だよ」
「明日から離れ離れになるという意味か? それなら……」
「違う。違うんだ白竜。……君だけに教えてあげる」
シュウがゆっくりと近づいてくる。不意に白竜は出会った時のことを思い出した。あの謎の陰り。昼間の、サッカーをしている様子からは微塵も見せなかったのに、今は独特の、それでいて蠱惑的な雰囲気がシュウを包んでいる。
「僕ね。……フェリーには乗らないんだよ」
「え?」
「僕はここに残る。だって……人間じゃないんだもの」
耳を疑った。
人間じゃないとは、人間じゃないとは。今の言葉を理解するまでに、白竜は少しの時間を要した。あまりに突然で、非現実的だったのである。
「人間じゃない?」
「うん。僕ね、この島の……幽霊みたいなものかな……とにかくそれなんだ。だから、君達とは一緒にいけない。強さってのがどういうものなのか、わかったからさ」
君と天馬のおかげで。シュウはなんでもないように微笑んだ。
白竜はしばらく動けなかった。はっと我に返った時、シュウが白竜の胸板に額を押し付けていたので、今までになかった距離の短さに白竜は変な声を上げた。
その声に、シュウの肩がぴくりと反応する。
「怖い?」
「……何が」
「僕が人間じゃないって知って、怖い?」
「いや。シュウは……シュウだろ」
「そう……」
ぐりぐりと頭を押し付けてくる。シュウが白竜のシャツを握りしめた。
全身に感じるぬくもり、これが、明日には消えてしまうのだという。永遠に。
白竜は、いつもの明日が来ると思っていた。馴染みの顔とは頻繁に会えなくなるが、確実に存在していることがわかる。そんないつもの明日からシュウが欠落するのだとは、微塵も思っていなかった。
剣城のときもそうだった。仲間と認めてやり、これから彼も白竜の馴染みの世界に入ってくると思っていたのに、急に消えた。あの時の喪失感は、今までの彼の原動力となってきた。
しかし、その非ではない、シュウに対するこの喪失感は、白竜のどこの部位も動かしてはくれなかった。
「……やだな。白竜。泣くなよ」
「……は」
「君、そんなに泣き虫だったっけ。新発見だね。最後の、夜に、さ……」
いつの間にか流れていた涙を見て、シュウが笑う。しかし、その語尾は震え、終いにはまたシュウは白竜の胸板に胸を押し付けた。ユニフォームがひどく熱く、はりついてくる。
「……う、く……ううっ……」
「シュウ」
「泣かないで、よ。白竜……君が泣く、と……」
「うん」
「……やだ、なあぁ。泣くなよぉ、……さよならするの……いやに……」
シュウの嗚咽は隠せないものになっていた。白竜は強く抱きしめる。
言いたいことが見つかったような気がした。その様子に。だが白竜がそれを口にすることはない。言っても無駄だからだ。シュウの枷になるからだ。
きっと彼は明日、いくべきところにいくだろう。
白竜の涙はとまっていた。