バブルガムブリュレ | ナノ


「和さん、お茶って伊右衛門で良かった?」
「あーサンキュ」
「準太はアクエリで、利央はファンタやね。はい」
「サンキュー」
「どもっす」

 一人一人に抱えていたペットボトルを渡して利央の隣に腰を落とした。球場の方を見ながらカバンからバインダーを取り出してシャーペンを握る。しかしウグイス嬢のアナウンスに首を傾げる。

『9番ライト、榛名君』
「あ、今のじゃねェ?」
「そーすねホラ、電光表示板。おい利央、あの字読めっか?」
「…準サンてさァ、オレのことアホだと思ってるよねェ……」
「だってアホじゃん」
「今更やん」

 高瀬ともみじが二人してうんうんと頷きあう。

「榛名ライトじゃないスかぁ。榛名が投げねーなら寝る」
「寝んなコラ!お前あんまなめてっとなァそのうちイタイ目……」

 ごろんと寝転がった利央が河合の言葉にまたすぐゆらりと起き上がる。

「なめてねェから言ってんだろぉ。オレはまっすぐ練習行きたかったのに榛名榛名ってみんながゆーからしょーがなく観に来たんだぞ。そんなのに榛名も投げねーなら明日の試合に備えて睡眠とる!!」

 先輩である河合の胸倉を掴んで怒鳴り散らした利央はまたごろんと横になってふてくされたようにうつ伏せになった。

「明日ァ準々決だぞ。1年の出番なんかねーよ」
「……ベンチ入りしてんだからわかんないでしょ。例えば和サンが車にひかれれば」
「おっまえヤなコトゆーなよなっ」
「………」

 少し考えて、利央が胸元からロザリオを取り出してボソボソと河合にひどいこと言ったことを自覚したらしく祖母に向かって謝っていた。

「もみじさん膝貸してくださーい」
「ん?あーええよ」
「いいのかソレ…」
「利央に甘すぎだろ…」

 複雑な感情を込めた眼差しをもみじともみじに膝枕してもらっている利央にそそぐが当の本人達は全く気にしていないようだ。もみじはさらさらとシャーペンを走らせながらメモを取り始め、利央は早くも寝息が聞こえてきた。

「去年もいつも加具山が先発やったよね」
「だなー、んで途中から榛名」
「浦総って今年結構調子ええやんな。なんで先発に榛名出してこやんのやろ」
「さァな」

 シャーペンをこつこつとバインダーに当てながらもみじは唸っている。悩んでいる間にもキンッと気持ちいい音が鳴る。

「オーイまた先頭出したぞー」
「加具山じゃムリだってェ。手おくれになる前にリリーフしたほうがいいぞう」
「ま、監督のヨミじゃ武蔵野はここまでなんだけどな」
「そうなんスか?」
「なあ黄瀬」
「はい」

 もみじはペンを止めて答える。

「明日オレ達、隣の球場なんだよ。武蔵野が今日勝つなら明日試合終わってからみんなで観に行けんだよね」
「ナルホド。明日はもういないとふんでっからわざわざ今日オレたちを来させたのか」
「そ、“夏”のためにね」
「……そんなにすごいんスかね」

 何となく、もみじは利央の色素の薄い髪を触ってみた。思っていた通りの柔らかい髪質でわしゃわしゃとしたくなる。犬みたいに。

「っと榛名出てきたぞ」
「4回から登板…っと」
「名前呼ばれる前に三振しちゃったな」
「でも浦総は3点とりましたからね。榛名の投入遅すぎスよね」
「利央!榛名出たぞ!起き……てるか。ならいいんだ」

 つい先程起き上がりどよんとした重い空気を背負いながら利央はマウンドを睨んでいる。

「別に、ふつうっすね」
「そうか?」
「先発が120そこそこだったからタイミング合わないだけでしょ」
「打者1人見ただけで気がはええな。つーかお前、榛名になんかあんのか?」
「こいつ兄貴が榛名に振られてんですよ」
「!!」
「お、呂佳さん?」

 河合が嬉しそうに反応して、利央が榛名をあからさまに嫌う理由を高瀬が説明する。その間ももみじのシャーペンは動いている。

「しっかし呂佳さん……友達に頼まれたからってコーチやっちゃうんだもんなァ。ちょっとマネできないオトコギだよなァ」
「エ、和サンは頼まれたらいかにもやりそうスよ?」
「オイオイ、サラっとほめんなって」
「イヤー和サンはやるでしょ」
「よせってば〜」
「メオトマンザイはキモイからやめてください」
「前の2人うっとしいから黙ってくれへん?」
「「…はい」」

 その後試合中盤で逆転した武蔵野第一高校だが、なかなか新しくこれといった榛名の情報は得られないままでもみじはさらに唸っている。

「そういや利央、兄ちゃんおるんや」
「知らなかったのか?」
「だって興味ないし」
「もみじさんひどいっ!」

 びええっと騒ぐ利央の頭を撫でて宥める。

「呂佳さんつって桐青のOBなんだよ」
「ふーん、で今は美丞大のコーチやってんねんや。んで利央は来んなって言われたと」
「全部聞いてたのかよ…」
「そら真ん前で喋られたらいやでも聞こえるわ。まあええやん。利央が美丞行かんかったから桐青で会えたんやもん」
「もみじさん…!」
「うわっ」

 ガバッと抱きついてきた利央を支えきれずにもみじはそのまま後ろに倒れる。押し倒したような形になって周りの目が痛く感じて今更他人のフリをしようとしている河合と高瀬。もみじは悠長にゴールデンレトリバーってこんな感じかなぁとぼんやり考えていた。利央の気が済んだところでやっと起き上がりもみじも解放される。

「兄弟やからやっぱ似てるん?」
「全っ然」
「呂佳さんは利央みたいに軟弱じゃねェよ」
「ひっでぇ!!」

 けたけたとからかいながら笑う河合と高瀬に利央が悔しそうに口をへの字に結んだ。

「はいはい、利央いじめんの終わり。この回で終わるやろから帰る準備するで」

 と言っている間にアウト一つ。まだ中身の残るペットボトルをカバンに入れて一応メモだけは取れるようにする。アウト二つ目。

「収穫なしやなー」

 諦めモードで膝に頬杖を突いてぼんやりとキャッチャーからボールを受け取った榛名の姿を見ていた。しかし次の瞬間に一気に意識が覚醒する。今までとは何かが違う投球フォーム。そしてそこから投げられたボールは今までとは比べ物にならないスピードでキャッチャーミットに向かっていった。だがキャッチャーミットはそのボールを弾いてしまう。

「見た!?今のっ!」

 もみじは隣の利央のブレザーを掴んでぐいぐいと引っ張る。何キロ出てたんだろ、ともみじは目を輝かせて榛名の姿を見ていた。

「あっあんなの、捕れなきゃ意味ねーすよ!」
「もったいないなぁ。キャッチャーが良かったらあれも武器になったやろに」
「だから武蔵野なんかじゃなくて……」

 ブツブツと利央が呟いている間に試合が終わり、結局監督のヨミは外れる結果となった。たった一球でも見れてよかったかもと笑う河合に続いて球場を後にする。榛名が最後に投げた豪速球がどうしても気になるもみじだが、今は気持ちを切り替えて明日の試合のことを考えようと首を振る。夏はもう始まってるんだと改めて感じた。


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