バブルガムブリュレ | ナノ


 合宿もやっと明日で終わる。そのほんの少しの気の緩みが怪我を招きやすいことを知っている上級生達は一年生に気を引き締めろと注意を促す。いつも通りいくつかの練習をローテーションしながらこなしていく部員達の顔には疲労が見えており、特に一年生はつらそうにしている。

「監督、そろそろ休憩の時間です」
「ん、そうか」

 監督が叫ぶ休憩の言葉を聞くとアクエリの入った水筒を監督に渡し、もみじは今の時間をメモ帳に記す。練習時間と休憩時間の配分は毎日同じだが、人によって疲労の蓄積は異なる。一年生の多くは慣れない高校の練習時間に疲れきった顔だが、しかしその中でも数人はまだ体力が余っているという顔をしている者もいる。二年生、三年生の場合も一年生ほど疲れきった顔は多くないがそれでもいるのは確かだ。マネージャーから配られるドリンクとタオルを持って木陰でぐでっと寝そべって休憩している。

「黄瀬、お前も休憩しろよ」
「はい。でも私、みんながしてるマネジの仕事ほど大変ちゃうんでわりと体力余ってます」
「悪いな、お前ばっかに任せて」
「なんすか監督。謝られたらきしょくわるいわ」
「素直に受け取っとけ!俺の雑用引き受ける物好きはお前しかいねーんだよ」

 ぷっともみじは笑ってぱしぱしと軽く監督の肩を叩く。

「監督、顔怖いからなぁ。それに声デカいし、態度もデカいし。こんな監督のソバにずっとおれんの私ぐらいですよ。感謝してくださいね」
「調子乗んな!」

 バシッと頭を叩かれてももみじは笑っている。ひとしきり笑うとベンチに膝を折って座り、もみじは監督から言われる部員一人一人の情報を個人表に書き込んでいく。これを見れば大体の部員のパラメーターが分かってしまい、必然的にレギュラーに入る部員も導き出される。これを知っているのは監督とその雑用係を任されているもみじだけだ。こんなことを任され始めたのは去年の夏大の少し前で、なぜ自分を選んだのかともみじが監督に聞けば、一番使えそうだったからと嬉しいのかそうじゃないのかよく分からない返答をもらった。しかし自分と監督とが秘密を共有しているというのは何となく色んな意味で面白いのでもみじは楽しんでいる。全て書き終えると監督の練習再開の怒号を間近で聞き、この練習時間が終わればご飯だ、と自分を奮い立たせて監督から指示された行動を取る。

「おつかれっしたー」

 うっすらと西の空が赤いだけで他は真っ黒な空になった時間、やっと今日の練習が終わった。ご飯っご飯っ、とスキップしそうな勢いで食事をする部屋に向かう途中、もみじはハッと手に持っていなければならない物が持たれていないことに気付く。慌ててUターンしてグラウンドに引き返し、申し訳程度に置かれた電灯しかない暗い中で先程まで手にしていた個人表が挟まったボードを探す。あれは決して部員に見せてはならない。だから一人で探すしかない。監督に言えばこれ以上ないほど怒られて雑用係から外されるかもしれない。ドンドンッと叩くような心臓に泣きそうになりながらもみじはベンチの下を見たり、用具の入ったケースを引っくり返したりして必死に探す。

「明日で合宿終わりやからって浮かれすぎや…」
「何してんの?もみじちゃん」
「!いだっ!?」

 勢いよく上げた頭がベンチの角にガツッと当たる。ジンジンする頭をさすりながら声をかけてきた人物を見ると、島崎だった。

「……探し物」
「一緒に探してやろうか?」
「手伝ってくれんくていい。私の不注意やから自分で見つける!」
「まーたそんな意地張って」
「張ってへん。自己責任ってやつやもん」

 この周辺にはないことを確かめると今日一日の行動を思い出しつつ、次の場所へと走る。島崎が追いかけてくるのをもみじは来なくていいと島崎を追い返す。

「一人より二人で探した方が早く見つかるだろ?んな大切な物なら尚更」
「………赤い、ボード」
「あー、いつも持ち歩いてるやつ?」

 こくっともみじは頷いて水飲み場の周りを四つん這いになって探す。島崎はもみじから少し離れた草むらに踏み込み、ザクザクと草を掻き分けている。見つからなかったらどうしよう、別の誰かが見つけて中を見られたら、悪い想像ばかりが頭の中に浮かんでくる。滲んできた視界に手の甲でごしごしと目をこする。

「あった!」
「えっ」
「これだろ?」
「中見やんといて!!」
「ん…、悪ィ」

 二つ折りタイプのボードを開こうとした島崎からもみじは慌てて取り上げる。島崎を背にちらっと中を見て何も変化はないことにホッとする。

「良かった、ほんまに良かった…」
「……さっ、飯食べるか」
「うん」

 大事そうに胸の前でボードを抱きしめてもみじは心底安心した顔をする。

「慎吾センパイ、ありがとうございます。もし見つからんかったら監督に見放されるとこやった」
「ふーん、そんな大事な物なんだ」
「そりゃ、…うん、大事。無くしたら退部しやなあかんくらい大事」

 薄暗い渡り廊下を歩きながら島崎は隣を歩くもみじをちらりと見る。

「……今日、監督と楽しそうに話してたな」
「え?あー、しょうもないことやけど」
「他のマネジは監督と距離置いてるけど、もみじちゃんは気にしねーの?」
「監督には私がおったらなあかんからなー」

 あはは、ともみじは今この場にいない監督を笑う。

「…ああ見えて愛妻家だってな」
「らしいですね」
「奥さんの誕生日には毎年プレゼント送るんだってさ」
「へぇーそれは初耳」
「さっきもたぶん奥さんに電話してた」
「ほんま奥さんのこと好きすぎるやろ!」

 どんだけやねん、と一人でツッコむが、何となく島崎の様子がおかしいことにもみじは首を傾げた。

「センパイ、お腹減りすぎたん?」
「……監督のこと好きになっても報われねーからな」
「は?」
「だから、諦めるなら早く諦めろよ」
「へ?何の話?」
「もみじちゃんは監督のこと、好きなんだろ?」

 あまりにも唐突な島崎の言葉にもみじはどういう反応をすればいいのか分からず、その思いが表情にも出る。とにかく何言ってんのこの人、という呆れたようなバカにしたような顔をした。

「なんで?私が、監督、好き?」
「バレバレだって。監督といるときすっげ楽しそうだし、今もボード一つで監督から見放されるの怖がったり、でもオレは応援はできねーよ…」
「んん?センパイ、ちょっと落ち着こ」
「隠してるつもりかもしんねーけど、もみじちゃんの一番の理解者のオレにはお見通しだよ」
「いや…隠すも何も……監督のこと好きやけど、別にラブちゃうし。ライクやし…」

 は?と島崎は呆気に取られた顔をする。

「一応、監督が頼ってくれてるみたいやからその期待裏切られへんし、このボードに挟んでんのに私の個人的な部員の感想とか監督への文句とか書いてるから見られたくなくて、せやからって別に監督のこと好きとか、ないで?」
「………マジで?」
「マジで」

 少しの間、の後に島崎は顔を両手で隠してうわああと叫んだ。勝手な勘違いに恥ずかしさのあまりもみじの顔を見ることができない。そんな島崎の肩をぽんぽんと叩き、哀れんだ視線を向ける。

「まっ、人に間違いはつきもんやでー」
「ちょーカッコ悪いじゃんオレ!」
「慎吾センパイってアホな子やってんな。このことは誰にも言わんといてあげますから、安心してくださいよ」
「……お願いします…」

 ぷっぷーと笑ってもみじは島崎をバカにしたように指差す。だが何も言い返せない島崎はただただ両手で顔を覆うだけだ。

「でも、センパイがそんだけ私のこと心配してくれてたんは、ありがとう」
「え?…ちょっと、もみじちゃん!今デレた?ちゃんと顔見て言ってよ!」

 スタスタと島崎を置いて先を歩いているもみじを島崎は追いかけて、ワンモアプリーズと訴えるがもみじは無視して歩いていく。

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