バブルガムブリュレ | ナノ


 じとり、ともみじは一点を見つめていた。野球部の部室に設置されている古いテーブルの上にある木の器の中に入った物をただ無表情で見つめている。珍しく早めにホームルームが終わったためもみじは一足早く部室に来て、着替えも済ませ仕事に取りかかろうとした矢先にソレを見つけた。洗濯済みのタオルが入ったカゴをぎゅっと握りしめる。

「いっちばー……あれ?もみじさんが先かぁ」
「利央待てよ!…あ、黄瀬先輩、ちわーっす」
「うん…」

 突然開いた扉に体を跳ね上げると心ここにあらず、といったようにもみじはスタスタと部室に入ってきた後輩達の横を通り過ぎて部室から立ち去った。その後ろ姿を利央は不思議そうに見つめる。

「なぁ、黄瀬先輩って怖くねェ?」
「へ?何言ってんだよ!もみじさん、全然優しいし!バカだなー迅は!」
「は?バカにバカって言われたくねーし!」
「んだとー!?」

 お互いのほっぺたを引っ張り合いながらバカだのアホだの言い合いをしていると呆れた顔で現れた河合が二人の頭をべしっと叩く。その後ぞろぞろと野球部員達は集まってぎゅうぎゅう積めのむさ苦しい部室で着替える。新入部員が少し減ったがそれでもまだ大所帯の野球部にこの部室は少し狭い。文句を言いながらも着替え終わると部活が始まる。ランニングやストレッチでウォーミングアップをする部員達の横でせっせとマネージャー達もドリンク作りやタオルの準備をしている。

「黄瀬」
「………」
「黄瀬!」
「あ、はい」
「声出てねェヤツ」
「リストアップしてます。体調もチェック済みです」
「ん」

 全員の大まかな情報の書かれたボードを監督に見せてもみじはランニングが終わり、ストレッチをしている部員達を観察する。しかしどこかボーっとしているもみじに監督は首を傾げる。それでも容赦なしに口上でしかも早口で今日の練習メニューを述べて、もみじはそれを覚え、マネージャー達に伝えに走る。マネージャーの数もやはり減った。仕事が遅いと怒鳴られ、ぺちゃくちゃ喋るなと怒鳴られ、鬱陶しいと怒鳴られ、それでも鬼と呼ばれる監督に付いてこれているのは立派な精神の持ち主だ。

「あと、今度の合宿の食事メニュー決まってるなら見せろ、って言ってはります」
「あぁーそっか、もうそんな時期かぁ…もみじちゃん、今日終わってから大丈夫?」
「はい」
「じゃあちゃちゃっと決めちゃお」

 ぺこっともみじはお辞儀をしてついでにボールの入ったケースを三つ積んで監督の所に戻った。

「もみじ先輩って…監督の側で怖くないんですかね?」
「全然平気らしいよ」
「やっぱり変わってますね…」
「でしょ?でも食事メニュー考えたり監督のご機嫌取るの上手だからそういうときは協力してもらうの」
「へぇー」

 重たいはずのケースを難なく運ぶ背中を見ながら後輩マネージャーは洗濯済みのタオルを畳む作業をする。

「監督、食事メニューはもうちょっと待ってくださいって。栄養バランスとか考えんの大変ですから」
「分かった」

 本格的に練習が始まり、相変わらず監督の怒号が飛び交う。いつも通りに進められる練習の傍ら、もみじは水道の水を出しっぱなしでじぃっと前方を見つめていた。どんどん注がれていくバケツの中の水が溢れてバシャバシャと音をたててやっとハッと我に返って慌てて蛇口を捻る。が、止まらない。逆に捻ったことに気付いて更に慌てて今度は止める方に蛇口を捻り返す。はぁと一息吐いて並々とある水を八分目ぐらいまで減らしてバケツを持ち、グラウンドへ戻る。日が落ちしばらくして練習が終わり、もみじはマネージャー達の輪に加わって合宿の食事メニューを考える。長年受け継がれて決まっている食事メニューがあるのでそこに毎食一品や二品程度メニューを追加するだけの作業だが、栄養バランスや部員数などを考慮してメニューを決めなくてはならない。

「去年より10人ぐらい多いから計算も変わってくるのよねー」
「ポトフおいしそう!」
「ドレッシング何種類か置いて選べる感じにしたいですー」

 口々に意見を述べながら和気あいあいと食事メニュー会議は終わった。日が落ちて真っ暗になった部室までの道をもみじは一人歩いていく。他のマネージャー達は着替えて帰ったが、もみじは部活が始まる前に運んだタオルが一枚足りないことに気付き、おそらく部室に落としたのだろうと思い向かっていた。まだ明かりがついている部室に良かったと思い、ドアをノックする。

「ん?黄瀬、どうかした?」
「タオル落ちとらんかった?」
「あーあったあった」

 同学年の青木毅彦が部室のドアを開けてもみじを招き入れる。部員もほとんど帰っているようでいるのは青木と河合と数人だけだった。テーブルの上に誰かが拾って置いてくれたのだろうタオルを青木がもみじに渡す。しかしもみじは手を差し伸べることなくテーブルを凝視していた。

「黄瀬?」
「……あ、ごめん。ありがとう…」
「?…あぁ、コレか」

 青木がテーブルの上に乗った木の器に入った物を手に取り、はいっとタオルと一緒にもみじの手に乗せる。

「っ!いらんし!こんなん別に食べたいなんか思ってないもん!チョ…チョコなんか、私に脂肪を蓄積させるためだけの悪いヤツや!!しかもコイツ知ってんで!中にとろっとしたジャムみたいなイチゴの味ついたやつ入ってるんやろ!全っ然!全っっ然食べたいなんか思ってへんわ!!」
「落ち着け」
「あだっ!?」

 後ろから頭をがつっと河合に殴られ、もみじは頭を抱えて蹲る。

「黄瀬…お前、ずっとこれ気になってて今日上の空だったんだろ」
「ちちちちゃうし!気になってへん!今日も空青いわー思ってただけやし!」
「はぁ…一個ぐらいなら食べても変わらねーよ」
「変わらんことないわ!チリも積もれば言うやんか!……あ、和さん」

 やっと自分の頭を殴った相手を見て先輩だと気付いたもみじはタメ口で喋っていたことに気付いて苦笑いする。

「黄瀬、我慢は逆に体に悪いし食べろよ」
「タケまでそんなこと言うて…みんなして私を太らせる気か!」
「うるさい。食べろ」

 河合にガッと無理矢理口を開かされてチョコを投入される。舌の上で溶けて甘い味を感じてしまえば食べるなと言う思いなど一瞬で砕け散りもみじは食べたい欲求に抵抗できずチョコを味わう。

「おいしー」
「…………ぷっ」
「何笑ってるんすか」
「単純だな、お前は」
「っもう食べへん!和さんのアホバカマヌケー!!」

 涙を浮かべてダッとタオルを握りしめてもみじが去っていった後の部室はしばらく爆笑が収まらなかった。

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