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「あっ、あのスミマセン。男子トイレのトイレットペーパー無いみたいで女子の方からもらってもいいですか?」

 トイレに入ろうとしたもみじは呼び止められてそんなことを言われた。一瞬何の話か分からなかったが、ゆるりと眼鏡をかけた彼の言葉を頭の中で繰り返してああ、と納得した。

「ええですよ、ちょっと待ってて」

 トイレに入って手洗いのところに並べられたトイレットペーパーを2つ引っ付かんでまたトイレから出る。待っていた彼に渡してお礼を言われてからやっと本来の目的でトイレに入った。トイレを済ませて鏡で髪型と目元をチェックして手を洗う。それにしてもさっきの子、よくあんなこと言えたなぁと感心してトイレから出たところで、おでこをぶつけた。

「いったぁ…」
「すんません」

 柔らかいような固いようなよく分からない感触におでこをさすりながら見てみると誰かの肩があった。そこから視線を上げてみれば、すごく気になっていた相手がいた。

「あっさっきの、この人だよ、トイレットペーパーの」

 気になっていた相手の隣には先程トイレットペーパーを渡した彼がいた。

「さっきはありがとうございました」
「いーえ。あ、もしかして武蔵野の人やったんですか」
「やった?」
「関西の人?」
「うん、去年の去年の去年まで」

 それよりももみじは肩をぶつけられた相手が気になってしょうがなかった。

「榛名君やんな。武蔵野のピッチャーの!」
「おっ…おぉ」
「浦総の最終回で投げた球めっっちゃ早くてほんまずっと話したい思っててん!」
「ありがとう…?」
「えっと…桐青、のマネージャーさん?」
「そお、あっ、やっぱ話されへんか…対戦相手かもしれへんもんな。あーでもっ…とりあえず腕触ってもええかな?あと手も!」

 目を輝かせながら見つめてくるもみじに榛名は苦笑いを零す。だがおでこの一部がうっすら赤くなってるのを見て何となく申し訳ない気持ちになった。

「……どうぞ」
「ありがとー!やっぱ筋肉ちゃんとついてんなぁ。食事とかも気ぃ使ってるん?」
「そりゃァ。あんま強く掴むなよ」
「あ、ごめん。身長まだ伸びてる?」
「一応」

 素っ気なく返事しつつもみじの行動を見下ろしていた榛名はちらちらと見える赤いおでこが気になる。

「手ぇパーして」
「ん」
「うわっデカ!めっちゃおもろい!同い年やのに子どもと大人の手みたい」
「マジちっせーな」
「うわっほんとだ。……同い年なんだ」
「うん。桐青の2年やで。だから敬語使ってないやん」

 まじまじと手の大きさの違いを見つめながら答える。やっと満足したようでありがとう、と笑顔でもみじは手を離した。榛名はその手でもみじの赤くなっているおでこを人差し指で触れる。

「悪ィ、痛む?」
「ううん大丈夫やで」
「さっき痛いっつったじゃねーか」
「ほら、ゲームしとって攻撃くらったら自分は全然痛くないけど反射的に痛いって言うてしまうアレ」
「あー」
「もみじちゃーん」

 名前を呼ばれてもみじは声のした方を向く。気だるそうな島崎が歩いてきていた。

「そろそろ始まるよ。戻んな」
「もうそんな時間?榛名君、ありがとー。えと、誰やっけ?」
「コイツは秋丸」
「秋丸君、引き止めてごめんな。じゃあね」

 島崎と榛名と秋丸がお互いに軽く会釈をして別れる。まだ人が多く騒がしい通路をはぐれないようにと島崎の頭を見つめながらついていく。

「…何してたの」
「え?聞こえへん」
「榛名と何してたのっ」
「喋っとった」
「………」

 ちらりと横目で見られてもみじは首を傾げる。

「手握ったりして?」
「手?…あーあれは手の比べっこしててん。あと腕も触らしてもらってんけど筋肉すごいねん!」
「ふーん」
「なに?」
「別に」
「なんやの」
「おでこ、赤いな」

 ひた、ともみじはほんの少しだけまだ痛みが居座ってるおでこに触れる。

「ぶつかってん」
「……大丈夫か?」
「うん、平気」
「はああああぁぁ…」
「どないしたん」

 突然盛大な溜め息を吐く島崎にもみじは背中をぽんぽんと叩く。じとりとした目を向けられてまた首を傾げる。

「なんでもみじちゃん、榛名とはあんな楽しそうだったんだよ」
「楽しそうやった?」
「普段人見知りのクセに」
「もっ元々人見知りちゃうかってんもん!こっち来てから人と喋んのに気ぃ使うようなって、でもセンパイが気にすんなって言うてくれたからまた喋れるようなってんで!」

 あと榛名君気になってたし、と続けたが隣から島崎の姿が消えた。思わず振り返ると島崎が少し後ろでしゃがみこんでいる。腕で顔を覆って小さく丸まって動こうとせずもみじはぎょっとする。

「どないしたん!お腹痛いん?!トイレ戻ろか?」
「……っっ」
「しんどいんやったら和さん呼んできましょか?なあ、慎吾センパーイ、島崎さーん」

 呼びかけても全く反応しない島崎に横切っていく他校の学生たちの視線が集中する。それでも自分の腕で視界を遮っている島崎はそんなことには気付かず、ただもみじだけが恥ずかしい。

「センパイちょっとはよ戻らな始ま」
『まもなく、全国高校野球埼玉県大会の抽選会を始めます。お座席にお戻りください――』
「ほらーっ始まるってー!」

 腕を引っ張り無理矢理立たせようとするもなかなか言うことをきかない島崎に痺れを切らしたもみじは脇腹に蹴りを一発入れて何とか立ち上がらせた。

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