zzz | ナノ


白い箱庭の中で、あたしはあたしの命が終わるのを待っている。ゆるゆると、だけど確実にあたしを蝕んでいく悪魔と一思いに心中してしまおうかと思って何度このフェンスを越えたか。でも結局は怖じ気づいちゃってその先まで飛べない。あたしはどうにもまだ生きたいみたいだった。

「それが人間ってやつだよ」

あたしは振り返って鈴みたいにリンと鳴るような声の主を見つける。いつの間にいたのか、彼は備え付けのベンチに座って本を読んでいた。何ていうか、あたしよりも弱そうで脆そうな綺麗な男の子。あたしの心の中を読んだような言葉を発したのは彼だと思う。だって他には誰もいないから。

「君は、死神?」
「……………………ぷっ」

今、笑われた?思わず変なことを聞いてしまったと自覚してもう無意味だけど両手で口を塞いだ。そうしてると彼が顔を上げて、初めて視線が交錯した。髪とおんなじ深い青色した目があたしを映す。ドキッとした、なぜか。

「幸村精市、残念ながらちゃんとした人間」
「ごめん、なさい。…だって君があたしの心と会話してるみたいだったから。それに……」
「それに?」
「…君ってば、現実味がないから」

パタンと本が閉じられて、幸村精市は立ち上がった。あたしよりずっと背が高くてそのせいであたしはちっぽけな人間だと自覚させられてしまう。

「君は?」
「ん?」
「名前」
「あっ、キサ」
「キサは…座敷童みたいだね」
「ざし…!?失礼な!!」

幸村はクツクツと笑う。初対面の人間にこんなこと言われたの初めてで、あたしはこの幸村精市って人物にすぐさま殺意を覚えた。でもふと、あたしもそういえば死神なんて失礼なこと言ったんだと思って空気が抜けた風船みたいに殺意が萎んでいった。お互い様ってやつなんだ。

「ごめんごめん、そんな落ち込まないでよ。座敷童は冗談。ボブ、かわいいよ」

幸村が柔らかく笑って、それがすごくすごく綺麗すぎてあたしは面食らった。そこいらにいる女の子よりずっと綺麗で、美しい。何だ、名前知らないけどもしかして芸能人とかモデルさんとかなの?それなら納得。何だかオーラもあるし。きっとそうだ。幸村に座ってた横を指差されて、あたしは迷いながらも幸村の横に腰掛けた。

「キサは、入院長いの?」
「ずっと。産まれたときから病気だから、入退院の繰り返し」
「ごめん…」
「いいよ、謝る意味分かんない。幸村は?」
「俺は、最近倒れて初めての入院」

ちょっとだけ綺麗な幸村の顔が陰を作った。

「じゃあ分かんないことだらけだよね?困ったときは病院のエキスパートのあたしに相談すればいいよっ」
「何それ、自慢できること?」
「あっバカにしてる!言っとくけど看護師さんたちもあたしのこと頼りにくるんだからね!」
「それって病院としてどうなのかな…」

幸村が呆れながらも笑った。こういうとこに長くいるとどうしても沈んだり暗くなったりする人を必然的に多く見てしまって、無意識に笑わせようって思って言葉が出てしまう。幸村は高校生か大学生ぐらいだけど、あたしがいる病棟は小児科だからそういうの特に見てられない。どうせ治るまで抜け出せない場所なんだからできるだけ楽しく過ごした方がいいじゃない。笑ってた方が人生楽しいし。
それから、あたしは幸村とよく屋上で会うようになった。幸村はいつも本を読んでて、ちらっと見せてもらったけど難しい話であたしには理解できずすぐに返した。幸村の隣に座って他愛ない話をしてるだけで幸村が持ってる柔らかい雰囲気が心地よかった。あたしがちょっと苦しいときは幸村は何も言わずに隣にいてくれる。それがあたしが望んでることだと知ってるかのように、ただ傍にいてくれる。その後、一回だけ頭を軽く叩いてくれるのが好き。ここまでされたら普通、女の子って恋に落ちると思う。幸村、綺麗だし。でもあたしにそういう感情って沸かなかった。それはたぶん、今のあたしの状況がそうさせてるんだろう。もっと、別の場所で、別の状況で会ってたら恋に落ちてたと思う。たぶん。それにしても驚いたのは、幸村が中三であたしと同い年ってこと。見えない!って言ったら幸村は黙って笑ってた。その笑顔が怖かったのは言うまでもない。

「あたしね、もうすぐ死ぬんだ」
「…え?」
「ずっと入院してるって話したよね?あたし生まれた時から心臓弱くて、成長するほど心臓が成長する負担に耐えきれなくなってて、今がもう限界ギリギリなんだって。だからいつ心臓が止まるか分からなくて、でもたぶん近い内には止まるだろってお医者さんに言われた」

それを宣告されたとき、あたしはああやっぱりかって妙に納得した。自分の体は自分が一番分かるって本当なんだって。もう少しだけ生きたいような気もする。でも毎日周りをビクビクさせながら過ごすのは余計にあたしの心臓に悪い。毎朝起きる度に瞼を赤く腫らしてるお母さんの笑顔を見るのもそろそろ限界かもね。罪悪感たっぷりだよ。

「どうして、そんな話を俺に?」
「んー何でだろ。幸村には何となく知っててほしかった」
「何となく…」
「うん。友達、ってあたしは思ってるからかな」

あたしは屋上のフェンス越しに見える街の景色を見ていたからそのとき後ろで幸村がどんな顔をしていたか知らない。知りたく、なかったし。普段から儚げな悲しそうな顔をもっと儚げにしてくれてるんじゃないかってイメージしてるけど、本当にそうかどうか確かめる勇気がアタシにはなかった。ただ数分の沈黙の後、あたし達は屋上を出た。結局その後も幸村の顔をしっかりと見ることができなくて幸村と別れた後もあたしは下を向いて歩いていたら、知らない人にぶつかってしまって平謝りしてそそくさと部屋に戻った。何となく、もうすぐ終わる気がする。だからかもしれない。少しでも誰かにあたしを覚えていて欲しくて、誰かの記憶に留まりたくて、忘れて欲しくないから幸村に言ったのかもしれない。
それから数日、幸村に会いに行くために屋上までの階段を登るのが辛くてあたしは幸村に会えなかった。このまま会えないまま疎遠になってもいいの?なんて自分に問いかけてみるけど返答はない。こんなことをいちいち気にするような性格じゃなかったのにどうしちゃったんだろあたし。検査からの帰り道、ふらっと足は幸村が前に教えてくれた幸村の個室まで向かっていってた。とりあえず、顔見たら帰ろう。最近検査ばっかりで忙しくてなかなか屋上行けなかったーって言おう。…ん?何で嘘吐いてまで言い訳してんの。いやいや普通に、元気?って聞けばいいじゃん。部屋の番号を確認しながら歩いていたら、一際騒がしい声が一室から聞こえた。恐る恐る行くとやっぱり幸村の部屋で、こっそり覗いたら赤とか銀とか色とりどりでビックリした。その中心にいる幸村は、あたしが見たことない笑顔だったからもっとビックリした。当然、幸村だって友達いるよ。何でだろ、ちょっと苦しいかも。あたしはそのままUターンして自分の部屋まで戻るために歩き出す。幸村が友達いないなんて一言も言ってないし、ああして笑える場所があるのは良いこと。あたしの知らない顔で、知らない人と話す幸村。あの場にアタシは初めから存在しない。当然のこと。分かってる、分かってるってば。それなのにこんなに苦しいのは何で。息が詰まる。耳元で鳴る鼓動がウルサい。寒い。目の前が、真っ白になる。何も考えられない。




――…シュー、シュー…。これが何の音か知ってる。人工呼吸器ってやつ。うっすら開いた瞼の隙間から見えるのは見慣れた天井。喉が気持ち悪いし体に力が入らない。とりあえず、あたしはまだ生きてるみたいだから、手近にあるはずのナースコールボタンを押して看護師さんを呼ぶ。ベッドにへばりついたような感覚。今日は何月何日かな。そんなこと考えてたらバタバタたくさんの足音がして看護師さんとお医者さんと、お母さんが部屋に入ってきた。あたしは口から気管にかけて入れられてる挿管チューブを指差して口パクで取ってと伝えた。お母さんは泣き崩れるしお医者さんと看護師さんは驚いた顔であたしの要望を聞き入れて処置してくれてる。それでも人工呼吸器は外されないみたいでマスク型になっただけ。モニターは付いてるし体は動かない。それで気付く。ああ、本当に、あたしもうすぐ死ぬんだ。じわじわと実感してくる迫り来る死期にあたしは妙に落ち着いていた。しばらくして部屋の中は落ち着いた。

「お母さん…やくそく、覚えて、る…?」
「うん、…うん!分かってるっ!お母さんは……何にも、できなかったから…せめて、約束は守るからっ」
「ありが…と」

これで安心だ。そう思うとまた一気に体が重たくなった気がする。

「失礼…します」

お母さんがパッと入り口の方に顔を向けて首を傾げる。そこにいたのは幸村だった。すっごく久しぶりな気がする。本当はどうか分からないけど。幸村とお母さんは少し話をして、お母さんだけ部屋から出て行った。幸村はさっきまでお母さんが座ってたあたしが寝るベッド近くのイスに座る。

「もうすぐ…お別、れだね…」
「何を言って…」
「いい、の。…ゆきむら、たくさん…ありがと」
「俺は何もしてない」

そんなことない。幸村があたしを支えてくれたことは数回あったし、幸村と話をしてる時間はあたしにとって幸せな時間だった。ありがとう、本当にありがとう。そう伝えたいのに口が上手く動いてくれない。

「…ね、ゆきむら…。あたし、死んだら、内臓を…ひとにあげる、んだ。ぞうきていきょー、ってやつ……しんぞう、以外は…普通だから。おかあさん、に…初めは、反対されたけど…やっと、許してくれた…」

あたしが死んだ後あたしの臓器は見知らぬ誰かの物になる。使える物は全部、使ってもらうように申請してる。あたしの中身は空っぽになるかもしれないけど別に構わない。あたしの肉体が死んだ後の話なんだから。

「あたし、が、死んでも…あたしの臓器は、どっかで生きて…る。だから、だいじょうぶ」
「なにが」
「…へへっ、さびしく、ないって…こと。あたしの、脳が移植された子に…あたし、の記憶も…一緒に、移ったらいいのに。そしたら、また、ゆきむらと…友達に、なる…」
「そうだね。君の脳を持ってる子と俺もまた友達になりたい」
「…でも、女の子とは、かぎらない…かも。おばさんかも、しれないよ…?」
「それでも友達になる」
「おじさん、でも…?」
「それはちょっと考えよう」
「はは…ゆきむら、の、ばか…そこは、なる、…って、言ってよ」

それでもあたしはすごく嬉しかった。幸村が“また”友達になりたいって言ってくれたこと。あたしのことを今も友達だと思ってくれていて、別の人間でも友達になってくれると言ってくれて、すごく、嬉しい。あたしは一人じゃないよ。

「あー…もっと、いっぱい…喋りたかったな…。ゆきむらの、こと、いっぱい…いっぱい、知りたかった。学校でどんな、こと、してるとか…彼女いるの、とか、部活は、なにしてる…とか、もっと、いろいろ…。友達、っぽい、こと、したかった…やだな、覚悟…してたのに、ちょっと…まだ、死にたく…ないっ」

いつでも準備はしてたつもりなのに、あたしって意外と往生際悪いんだ。こんなにも、まだ生きたいって思ったのは初めて。目尻から耳に流れる温かい物を感じてあたしはもう力さえ込められないけど精一杯シーツを握りしめた。しがみつくように、まだ踏みとどまりたいと神様に訴える。

「…俺は、立海大附属に通ってて、テニス部の部長してるんだ。体がこんなだから、今は副部長の真田って奴に任せてるんだけどね。真田は頼りになるよ。それに部員も、よく見舞いにきてくれて、俺は恵まれてるって思う。あぁ、彼女は残念ながら募集中だけど、女の子には不自由してないかな、フフッ」
「うわぁ…ゆきむらって、そういう…性格だったんだ…」
「知らなかった?」

意地悪く幸村は笑って、また色々な話をしてくれる。家族のこと、テニス部の人達を一人一人どんな人か、今まで付き合った女の子のこと、あたしの第一印象は変な子だと思ってたとか、本当にたくさん。心電図モニターのアラームが部屋に鳴り響いてもたくさんの人が部屋に入ってきてあたしの救命処置をしていても、ずっとずっと話し続けてくれた。幸村の優しい鈴みたいにリンとなるような声を聞きながら、あたしは永い眠りについた。









「センセー、私ね、ときどき知らない光景が見えるんだ。病院みたいなとこの階段登って、屋上に行くの。そこには私が大切に想ってる人が待ってて、どきどきしながら階段登るの。でも、恋、とはちょっと違うっぽい。んー…どっちかって言えば友情だよね。で、で、屋上の扉開けてベンチに座ってる人のとこに行くの。そこで待ってる人ってのがね、…変な奴って思わないでくださいよ?その人、……センセーなの」




(Thanks.13階段)


- ナノ -