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 テーブルに並べられたラップに包まれる冷めた料理達。ツルツルとラップを人差し指で撫でながらちらりと壁掛けの時計を見る。少し前に今日は終わって、昨日になった。でも帰ってこないうちの旦那さま。会社の付き合いだなんだと帰りが遅いのは今に始まったことじゃない。始まったことじゃないけど、でも本当に付き合いだけで帰りが遅いのか疑わしいものよ。学生の頃から分かってたことじゃない。と自分に言い聞かせる。「アンタの奥さんになる人絶対苦労するよねー」と軽口を叩いていたのにまさかその苦労する奥さんに自分がなる日が来るとは。人生って不思議。あれだけ大好きだった野球を辞めて普通のサラリーマンになったうちの旦那さまは、本当に普通の旦那さま。そしてそんな旦那さまを待つ私も普通の奥さん。白人と結婚してハーフのちょーカワイイ子ども作るから!と息巻いてた私はどこへやら。なんで、私、島崎と結婚したんだろ。そう考えていると玄関の方からガチャと鍵が開く音がした。テーブルに突っ伏してた顔を上げて、重たい腰を上げて、パタパタとスリッパを鳴らしながら玄関に向かう。靴を脱いで段差に右足を掛けたところだった旦那さまは私を見て少しだけ驚いた顔をする。どういう意味かは知らないけど。

「おかえり」
「ただいま、先寝てるかと思った」
「一応、ね。ご飯食べてきたんでしょ?」
「ん」

 喋る私の横を通り過ぎた旦那さまからはお酒の匂いと共に甘い香りがした。何となく、ため息。キャバクラぐらい好きにいけばいいけど、ちょっと最近ペース早くないっすか?そのまま風俗なんてとこに足は伸ばさないでよ。学生の頃だったら平気で言えただろう嫌味も今じゃ言えない。もっかい、何となく、ため息。旦那さまに遅れてリビングに行くと、なぜかテーブルにある冷めた料理のラップが剥がされていて、四つあったはずのピーマンの肉詰めが三つになってた。

「食べたの?」
「んー」
「これ、明日の朝ご飯に出してやろうと思ってたのに」
「わりわり」

 冷蔵庫から出した水をグビグビと飲んでいる旦那さまの背中をちょっとだけ恨めしく見つめる。また明日、あっもう今日だ、の朝ご飯を別に作らなきゃならない。一回食卓に並べたものを次の食卓にまで持ち込みたくない無駄な主婦魂(母譲り)。口さえつけなければ出してやるけど、つけられた。クソ。

「あ、そうだ」
「ん?」
「私、最近体の調子悪いって言ってたじゃん?」
「そうだっけ?」

 覚えてませんかそうですか。テーブルの料理を冷蔵庫に片付けて、代わりにグレープフルーツを冷蔵庫から取り出す。それを手の上で転がしながら狭いキッチンスペースでまだ水を飲む旦那さまと向き合う。

「言ってたよ。体ダルいし吐き気するって今日の朝も言ってた。風邪か食あたりかなーって思ってとりあえず今日病院行ってきたの」
「ふーん。薬もらった?」
「ううん、薬はくれなかった」
「なんで?」

 いい加減グレープフルーツの皮を剥いで食べる準備をする。まず一つめの房は旦那さまに差し出して、二つめを自分で食べる。

「薬なんて必要ないって」
「じゃあ大したことなかったのか」
「うーん、大したことじゃないような大したことのような?」
「何だよ」
「赤ちゃんできました」
「ぶっ!」

 盛大に吹き出してからむせた旦那さまに大袈裟だよと背中をさすってあげる。息の整わない旦那さまを無視して私は黙々とグレープフルーツの薄皮をめくる作業を再開した。キレイなルビー色したグレープフルーツは見ていて自然と唾液が溢れてくる。

「は?マジで?」
「嘘ついたって仕方ないじゃないの」
「いや、お前なら…いやでも、うん」
「とりあえず産む方向で話進めたけど良かった?」
「当たり前だろ!」

 あら意外。なんて言いながらも内心嬉しい。子どもなんて面倒だからって言われたらどうしようかと思ってた。うん、嬉しい。

「なっ何で泣くんだよ?!」
「何でもない。嬉しいだけ」
「そりゃ、子どもできたら嬉しいんだろうけど…」

 それもあるけど、そうじゃないんだってば。白人とのハーフのちょーカワイイ子どもじゃなくても、苦労するって罵った旦那さまと私の子どもが一番だと思う。ぼろぼろと溢れ出てくる涙を服の袖で拭いながら、我ながらバカな考えでへへっと笑ってしまった。

「女の子がいいなー」

 なんてもう言い始めてる旦那さまの帰りはその日からとっても早くなった。




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