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※このお話は藤宮灯さん宅の夢主、フィア=アウトフォード嬢をお借りしてきたものです。フィア嬢はレインズワース家の分家の令嬢で、従姉が違法契約者になったことをきっかけに家を出奔し、パンドラへと入りました。


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 過去に戻れたら、…――夜、スタンドランプだけが灯される部屋で夢うつつに思い浮かべる仮定。ランプに背を向けると視界に入る薄暗い部屋の奥の更に深い闇で、何かが蠢いている気がする、いつも。闇に紛れる何か、得体の知れない物、チェイン、違法契約者、そうして私はまた彼女たちを思い出す。フラッシュバックする光景に私はブランケットを頭まで被って早く寝ろと自分に言い聞かせる。明日もギルバートと顔を合わせる。寝不足の疲れた顔は見せられない。大丈夫、寝れる、大丈夫。いつか私は眠り、そして朝が来る。顔を洗ってから鏡に映る自分の顔を見て、大丈夫だと頷く。それが私の日課。私はギルバートを起こしに行って、一日が始まる。二人での朝食を終えたところで、今日はシャロン嬢にパンドラへ来るように言われていることを思い出した。

「任務かしら?」
「恐らくな」

 馬車の中でそんなことを話ながらすぐにパンドラ本部へと到着した。ギルバートは別件で用事があるらしく、少し待っていてくれと言われたので私はエントランスのソファーに身を沈めた。別件とは何だろう、そもそもシャロン嬢は何故レインズワース家の屋敷ではなくパンドラに来るように言ったのだろう、色々疑問は浮かぶが気にせずエントランスから見える景色を眺めていた。忙しなく行き交うパンドラの制服を身に着けた人々、誰も私のことに気付いていないようにせかせかと歩いていく。やはり、それなりの立場になると忙しいのだろうか。まだまだ新入りの私にはギルバートやシャロン嬢、ブレイクの忙しさは想像できない。でも、自分のできることをしなきゃ。そんなことを考えて暫くするとギルバートが帰ってきた。

「用事は済んだ?」
「ああ、待たせたな」
「いいえ。さぁ行きましょう」

 ギルバートの背中を見ながら少し速い歩調で進む。シャロン嬢の私室は結構奥にある。四大公爵家のレインズワース家の令嬢だから当然だろう。ブレイクもいるのかしら、またティータイム中かも、そんな憶測をたててシャロン嬢の私室前に辿り着く。ギルバートがノックをして、中から返事が聞こえたので扉を開ける。しかしギルバートは扉のノブを掴んだまま固まって、一歩も部屋へと入らなかった。ギルバートが壁になって部屋の中はよく見えないが、ギルバートは口も開けたまま何か言葉に詰まっているようだった。何があるのだろう。

「おっ、ギル君」
「……キサさん?!」

 聞き慣れない声に聞き慣れない名前、ギルバートはまだ固まったままで、私はどうしたらいいのか分からない。

「久しいな。いつ以来だ?相変わらず情けない顔をしているな」
「そんなことよりっ!レイムが探してましたよ!また仕事放りだしてきたんでしょっ!」
「放りだしたのではない休憩中だ」

 普段はあまり聞かないギルバートの少し荒げた声に驚く。動きはしたがまだ部屋に入らないギルバートで、私は状況把握がますますできない。今ギルバートと会話しているのは誰なのか、少しだけ移動して部屋の中を見れる位置に行く。ギルバート越しに見えたのは、やはりティータイム中のシャロン嬢とブレイクの姿、そしてそこに加わる見慣れない赤い髪をした女性。その人がギルバートと会話をしているようだ。誰だろう、つい女性を見ていたらぱちっと目があった。

「ん?」
「えっ…ああ、彼女はフィアです」
「……フィア=アウトフォード、です」
「アウトフォード?ああ、なるほど。そういうことか」

 くすくすとからかうように女性は笑ってティーカップに口を付けた。何がなるほどなのか。

「ギルバート君、そんな所で突っ立ってないで入ってきたらどうデス?」
「分かっている!」
「何をそんなにも怒ったような口調なんだ」
「きっとフィアさんがいらっしゃるからですわ」
「やはりそうなのか?」

 くすくすとからかうような笑いにシャロン嬢とブレイクも混ざる。何に笑われているのかが分からない。

「噂の二人、だからな」
「ええ」
「ハイ」

 噂?首を傾げているとギルバートの顔がみるみる赤くなって、腕を振り上げてうわあっと叫んだ。その声に驚いて体が跳ね上がる。

「何なんだっ!キサさんまで!」
「若い男女が一つ屋根の下…、なんてロマンティック以外の何物でもないな」
「まあキサ様ったら」
「…っっ!フィアとはそういう…っ」
「あっれー?どうかしましたカ?ギルバート君」

 相変わらず遊ばれ続けているギルバートに哀れむ視線を送る。何でも素直に受け止めすぎだ。ついには俯いて黙り込んでしまったギルバートにブレイクは飴を投げつけたり、シャロン嬢はまた優雅に微笑んだりしている。私のことで遊ばれているとは言えどうにもすることができずに突っ立ったままの私は、ギルバートの延長線上にいたその“キサ”と呼ばれている女性と目があった。私も何か言われるのかと身構えていたが、女性はただにこりと笑っただけでそれ以上は何もない。

「さて、そろそろ私は仕事に戻るか」
「あら、もうお戻りになられるのですか?」
「レイム君が煩いみたいだしな。ああ、そうだ。一人、手を貸してもらいたいことがあるのだが…」
「それでしたら、フィアさん?申し訳ありませんが、キサ様のお手伝いをしていただいてもよろしいですか?」
「えっ」

 突然の指名に私は返事を戸惑う。出会ってまだ数分の女性の手伝いなど、私に務まるのだろうか。

「そんなに難しいことじゃないんだ。頼めるか?」
「あ…、はい」
「なっ勝手に決めないでください!それに俺たちに用があったんじゃっ」
「あら、そうでしたか?ブレイク」
「さぁ?私は知りません」

 すくっと立ち上がった女性は迷いのない歩調で私に近付いてくる。そして目の前に立ったところで、女性にしては高い身長で私は少しだけ女性を見上げる形になった。

「じゃあ付いてきてくれ」
「キサさん!」
「何だギル君、生憎手は足りているんだ」
「何でフィアを連れていくんです!?」
「何だ、じゃあギル君が手伝ってくれるのか?私は構わないが…今私の私室で迷い猫を預かってい」
「行ってこい、フィア」

 何て潔いほどの身代わりの早さだろうか。背中まで押された私は女性に付いていく。慣れた足取りですいすいとパンドラの敷地内を進んでいくし、それに私室があるということはそれなりの身分の人なのかもしれない。シャロン嬢達とティータイムを過ごしていたり、それに彼女たちと同じようにパンドラの制服は身に着けず、簡素ながらも値打ちがありそうな衣服を着ている。前を歩く女性が歩みを止めて懐から鍵を取り出して近くにある扉の鍵穴にそれを差した。ガチャと鍵が回って扉が開く。手招きをされて私は失礼しますと断ってから部屋に踏み入れた。シャロン嬢の私室のような甘い香りのする愛らしい装いではなく、黒を基調としたシンプルなインテリアで統一された部屋だった。

「適当に座っててくれ」
「私がお手伝いすることと言うのは何でしょうか?」
「ん?………ああ、そうだったな。えーと、とりあえず私と話をしていてくれればいい」
「え?」

 色々疑問が浮かび上がりすぎて何と返答をすればいいのか分からない。まず、手伝うという話で連れてこられたはずなのにそれ自体忘れていなかった?それに話だけすればいいってどういうこと?この人は一体何を考えているのか。

「そんな難しい顔せずに、ほら、座ってくれ」
「…はい」
「フィアちゃんは甘い物は好きか?アプリコットのジャムを貰ってな、スコーンを焼いたから一緒に食べないか?」
「はぁ……」

 座ったソファーの前にあるテーブルに次々とお菓子やティーセットが用意された。暫くして向かい合うように座った女性はその人なりに上機嫌のような顔をしてコポコポとカップにティーポットの中身を注ぐ。紅茶ではないようでふわっといい香りが漂った。

「ラベンダーティーだ。気持ちを落ち着かせてくれる」
「はい、とってもいい香りです」
「そういえば、まだちゃんと名乗っていなかったな。キサだ、好きに呼んでくれ」
「キサ…様」

 名前を呼ぶとにこりと微笑む。ふっと肩が軽くなったような気がしてそこで初めて自分が萎縮していたことに気付く。キサ様が淹れてくれたハーブティーはとても温かくて美味しい。

「今日はよく寝れそうか?」
「え」
「ギル君は変なところに敏感な癖に、気付いていないようだな。シャロンちゃんとザク君は、どうだろうか、気付いていそうだが…」
「あの…っどうして」

 どうして、寝れていないことに気付かれたのだろう。初対面なはずなのに。何よりも毎朝鏡で確認して、大丈夫だと自分に言い聞かせていたのに。

「私も一応パンドラの人間だからな。フィアちゃんの事情は知っている。立ち止まるな、振り返るな、忘れろ、などと言うつもりは毛頭ない。ただ、少しだけ自分を許してやってもいいんじゃないか?」
「許す…」
「自分を追い詰めればその場は上手くこなせるだろうが一時凌ぎにしかならない。いずれ己が課せた負荷によって立ち上がれなくなる」

 頭の中で繰りかえされるキサ様の言葉がじくじくと胸を痛める。

「君はまだ全てを背負えるほど大きくないんだ。だからと言って背負えないことを咎める者は誰もいない」
「…でも、誰にも迷惑をかけられないんです。私は一人でも立っていられるのだと言わないと、迷惑がかかってしまう」
「やれやれ、迷惑か。そんなこと思う人間はフィアちゃんの周りにはいない、と言ってもまだ彼らと共にいるようになって日が浅いのだからな、そう思っても仕方はないか…」

 スコーンをぱくりと口に含んで、キサ様は何かを考えているようで咀嚼しながら自身の髪を指にくるくると巻き付けている。こんなにも悩ませてしまって申し訳ない。今すぐにでもこの場を離れたい。膝の上に揃えた手をぎゅっと握る。

「では、こうしよう。明日から任務のない日は私の所に来てこうして私と話をしてくれ」
「話…ですか?」
「ああ、それだけでいい。話す内容は決めない。私の休憩に付き合ってくれればいいだけだ」
「…はい、分かりました」
「よし、約束だぞ」

 キサ様は手を伸ばして私の頭を撫でる。何だかおかしな図だと笑えてしまう。キサ様はどう見ても私と近い年なのに、なぜか年上のように感じられる。キサ様の口調だとか独特の雰囲気がそのようにさせているのかもしれない。それから私は任務がない日、というとほとんど毎日をキサ様のティータイムに参加した。初めこそ何を話せばいいか分からず黙っていたがそんなときはキサ様が話題を振ってくれ、それに答えていた。次第に私からもキサ様へ質問したり、取り留めもない他愛ない話をしたり、ティータイムをティータイムらしく過ごせるようになっていて、二週間があっという間に過ぎていた。それに不思議なことに私は夜、暗闇に蠢く何かに気を取られる暇もなく眠りにつくことが多くなった。ただキサ様とお話をしているだけなのに、それが不思議でキサ様に話すと良かった、とだけ言って笑った。

「フィアちゃん、悪いが明日から暫く帰ってこないんだ」
「明日からですか?突然ですね」
「ああ、本当にな。それに少し訳ありでな、口外はしないでくれ。特にレイム君には」
「承りました」

 “レイム君”と言うのは姿は見たことはないけれどキサ様の側近のような人らしい。たまに私がキサ様の私室にいるときにも訪ねてくるが、そのようなときはキサ様が自ら扉を開いて扉の向こう側で休憩中だ、と告げるから結局声だけしか知らない。

「…と、これをフィアちゃんにプレゼントだ」
「?何ですか?」
「いつもカリカリして落ち着きないギル君と一緒に飲んでくれ」

 包みを開けるとハーブティーのセットがあった。確かに、近頃なぜか不機嫌なギルバートにピッタリだ。

「ありがとうございます。鴉も喜ぶと思います」
「いや、ギル君は喜ばない気がするな…ぷっ」

 くくっと口元に手を当てながらキサ様は笑っている。どうしてギルバートは喜ばなくてキサ様はそれを笑っているのか分からないけど、とにかく私はハーブティーのプレゼントが嬉しくて箱を胸の前でぎゅっと抱きしめた。

「できれば私がフィアちゃんを初めに笑わせたかったな」
「えっ?」
「いや、気にするな。さて、またそろそろレイム君が来そうだから仕事に戻るか」
「あ、それでは失礼します」
「ああ、またな」
「はい」

 もう一度お礼を言って、私はキサ様の私室から立ち去った。私とキサ様のティータイムはその日で一度終わり、暫くはギルバートとのティータイムを過ごす。ギルバートはやっぱりあまりキサ様のハーブティーに喜ばず、ハーブティーが嫌いなのかと聞けばそうではなく、何だかはっきりしない返答ばかりする。でも私にとっては大切なハーブティーだから私はギルバートと一緒に飲みたいと言えば素直に飲んでくれる。不思議だけど大切で素敵な魔法。



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灯ちゃんに捧げる!




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