lilac | ナノ


 ぱたんと静かに扉を閉めて、ブレイクを除いた三人はシャロンの自室から出た。ヴィンセント=ナイトレイによって誘拐され、毒まで盛られたシャロンだったがヴィンセントの側近であるエコーによって解毒剤を手に入れ、一命を取り留めた。目覚めてすぐシャロンはその際にブレイクが取った行動に憤慨し、しかしブレイクの優しさに普段は絶対に見せない涙を見せたのだった。

「ブレイクって…昔からあんなかんじなわけ?」
「まさか!!とんでもない!昔はもっと無愛想でしたよ。何があってもニコリとも笑わない奴で…まさに、手負いの獣といったかんじでした」

 レイムとブレイクの出会いは決して良いものではなかった。さらにあのブレイクに十年以上も付き合い、果てには友と呼ばれる存在になったレイムには尊敬の眼差しを送る。レイムの人柄がそうさせる部分も大いにあるのだろうが。

「それではオズ様、私共はこれで…って何してるんですティカ様」
「何って」

 別れようとしたレイムに対してティカはぴとりとオズにくっついている。

「私はこれからオズ君とティータイムだ。レイム君はさっさと仕事に戻れ」
「何をおっしゃって…っオズ様にご迷惑がかかるでしょう!」
「レイムさん、オレだったら大丈夫だから」
「ほれ見ろ。さっオズ君、行くぞ」

 半ば強引にティカはオズの腕を掴んでレイムと別れた。どこに向かうのかと思えばパンドラ内のティカの自室だ。部屋に入るとシャロンの自室とは違い黒を基調としたシックな装飾だった。オズにソファへ座ることを勧め、ティカは部屋内のミニキッチンへと向かう。ポットを温め、紅茶を淹れる準備をする。

「昨日は大変だったな」
「あ、ティカさんもいたんですか?」
「参加したくもない会議にいたからな」

 低めのガラステーブルにティーセットを載せたトレーを置く。置いた反動にカシャンと小さく音が鳴るが気にせずポットからカップへと紅茶を淹れる。ティカもソファに体を沈めてオズと共に紅茶を飲む。

「黒うさぎ(ビーラビット)は今日は一緒じゃないのか?」
「えと、黒うさぎ…アリスは今日はギルと一緒にいます」
「アリス?それはオズ君が名付けたのか?」
「いえ、アリスが自分でそう言って、だからアリスってオレは呼んでて…あ、この前シャロンちゃんの家で一緒にいた女の子です」
「…ああ。一度、話をしてみたいものだな」

 ふふと笑って静かにカップに口をつける。オズは何か得体の知れない気持ち悪さを感じた。落ち着いたティカの雰囲気は心地良い、がどうしてそこまで動じずにいられるのかが分からない。だがそこまで考えて、ふとそれは自分にも当てはまるんじゃないかと思い浮かぶ。自分の身に何が起こってもそれの成すがままに身を委ねている自分、そうか周りの人間はこんな風に自分のことを思っているのかと思えば自嘲が漏れる。

「ん、どうした?」
「えへへ、ティカさんとオレは似てるなーって思って」
「似てる?私とオズ君がか?」
「あっ気を悪くしたらごめんなさい。何となくそう思って…」
「……いや、そうかもしれんな。自らの真の存在意義さえも知らぬままに生きていること」
「え…?」
「…人の慌てふためく様を見たいがために態と気ままに行動することもな」

 にいとティカは笑ってオズに同意を求める。一瞬呆気に取られたオズだがその言葉をもう一度頭の中で復唱し、にんまりと笑った。

「そうですね!」
「レイム君はすんなりそれにかかってくれるんだが、如何せんザク君はなかなか手強い。ああ、オズ君の従者のギル君もからかい甲斐があるな」
「ギルに目を付けるとはさすがですね。アイツは昔っからからかうと面白くてっ」
「やっと笑ってくれたな。ずっと硬い表情をしているから嫌われているのかと思ったよ」

 少し眉尻を下げてティカは困ったような顔をする。確かにオズは初対面でいきなりアヴィスのことを言われてどこか無意識に警戒心を放っていたのかもしれない。また、苦手意識を持ってしまっていたことも否定できない。だが実際にこうして向かい合って話をしていると、口調が女性的ではないために言葉に厳しさは感じられるものの別段それ以外に何も神経を刺激するものはない。ブレイクと二人きりでいることと比べれば気疲れも感じない。口調こそ除けば女性らしい雰囲気を持った人だとオズは思った。

「あ、えーと、緊張していたんです!その…パンドラの人と話す機会って今まで無かったので」
「そうか。オズ君は少し前に此方に戻ってきて、それ以前もパンドラの存在は知っていても関係を持つことはなかったんだな。まあ、パンドラなど好きで入っているわけじゃないからパンドラの一員としてあまり私を見ないでくれ」
「はぁ」
「立場上仕方なくいるが、仕事も会議も何もかも面倒だ。……待てよ」

 かちゃと持っていたカップを乱暴にソーサーへ置いて自身の髪を指にくるくると巻ながらティカは何かを考え始めた。オズは訳が分からずとりあえずティカの行動を見つめている。数秒ほど何か呟いていたかと思うと、ぱっとオズに視線を送った。オズは何もないのにぎくりとする。

「オズ君、暫く私と行動を共にしないか?名目は、そうだな…アヴィスから帰還した君の精神鑑定及びカウンセリング、よしこれで行こう。さっ、そうと決まれば支度をしなければ」
「あの…ティカさん…?」
「ん?ああ、私は一応心理士の免許を持っているからな、カウンセリングと言っても怪しまれることはない。煩い人間と言えばやはりレイム君だな…まあ、あれはどうにか黙らせられるから案ずることはない」

 突然、立ち上がったかと思うと旅行に行くような革製のバッグをベッドの下から取り出してそこに乱雑に物を投げ入れていく。デスクに置かれていた本を数冊抱え、クローゼットを開けてはドレスやケープを引っ掴み、立てかけてあったレイピアを専用のケースに入れて担ぎ、慌ただしくしかし瞬足で用意を終えた。

「さ、オズ君行くぞ」
「ティカさん?!」
「思い立ったら即行動、これが人生において成功の秘訣だ」

 ばたんと虚しく閉められた扉を次に開くのは、新たな仕事を持ってきたティカの側近の一人。主不在の部屋には飲みかけの紅茶が二つ、そして多少物が減っていることに気付きその側近は大慌てでレイムの胃に負担が掛かることを承知で報告に行くのだった。


- ナノ -