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 ふぁ、とティカは生欠伸をする。レインズワース女公爵の体調不良のため延期されていたパンドラ本部の会議が行われる今日、仮眠を取っているところを無理矢理レイムに起こされたティカは目に見えて眠そうだ。先程から四大公爵を前にしても欠伸を手で押さえる程度で隠そうともしない。

「ティカちゃん」

 肘で小突かれて小声で欠伸を何とかしろと諫めてくるベザリウス家現当主オスカー=ベザリウスを一瞥してはまた欠伸をした。ナイトレイ公爵から冷たい視線を送られることも気にせず、肩に垂れ下がる自身の髪を弄っていた。

―ドオオンッ

 何の前触れもなく突然、耳を塞ぎたくなるくらいの音が鳴り響いた。音の震源地はすぐに判明し、中央に位置していたテーブルに黒い大きな何かと少年が立っていた。

「何者だ貴様は!!」

 ナイトレイ公爵の怒号により呆気に取られていたパンドラ構成員たちがそれぞれの近くにいる四大公爵を守るべくテーブルとの間に移動した。

「ビ…黒うさぎ(ビーラビット)!?」

 その姿には誰もが息を飲んだ。テーブルにいる大きな何かとは、アヴィスに存在するチェインの中でも危険視されている“血染めの黒うさぎ”と呼ばれるチェインだ。先程まで何もなかった場所に突如として現れた黒うさぎと、まるでそれを従えているような少年。その少年にティカは見覚えがあった。

「オズ君」

 誰にも聞こえない程度の声でその少年の名を呼ぶ。慌てふためく構成員たちだがさすがに訓練されているだけのこともあり、すぐに銃を構えた。しかしオズと黒うさぎが話をしていたかと思うと黒うさぎがオズを抱えて扉を押し開け走り去っていった。

「追え!逃がすな!」

 その後を追いかけていく数人の構成員を見ながら、ティカは自然と上がる口角を隠すためにわざとまた欠伸をする。扉の外にレイムの姿が見え、オスカーがそれに駆け寄りこそこそと何か話し合っていた。

「やれやれ、また会議は延期か」
「本当に、大変ね」
「シェリルちゃん。体調はもう良いのか?」
「ええ、見ての通り」

 ばたばたと混乱している周りを無視して二人はのほほんと会話をする。シェリルの車椅子を押す赤髪の無表情な男と目を合わせるとにこりとティカは笑う。オズと黒うさぎが現れたときに中央のテーブルに落ちてきたシャンデリアの破片を袖でさっさと粗方払いのけ、どこから取り出したのかティーセットをそっと置いた。こぽこぽとカップに紅茶を注ぎ、ソーサーに乗せてシェリルに渡す。

「あら、ありがとう」
「どう致しまして」
「慌ただしくって目が回っちゃうわね」
「確かに。男って生き物はどうしてああも目先のことばかりに囚われるのやら」
「あらあら」

 うふふあははと二人の高貴な女性が場にそぐわない和やかな雰囲気を醸し出しながらティータイムを過ごしているのはシュールすぎる。声をかけるかかけまいかと躊躇した構成員Aは結局、二人の世界に入っていけず諦めた。ぶち破れるとしたら、そう、二人と同等の地位の人間ぐらいしかいない。

「ティカちゃん!レインズワース女公爵!そんな落ち着いてティータイムをしている場合じゃないですよッ」

 そしてぶち破ってくれたのは確かに同等の地位であるオスカーだった。ティカはぴくりと眉間が動き、シェリルは相変わらずのにこにこ顔で青い顔のオスカーを見やる。

「どうして私たちが慌てることがある。あれは、君の身内だろ?君が始末をつけなくていいのか?」
「っ!?」
「やはり、同じベザリウス家の人間だな。隠し事を晒されたときの顔がそっくりだ」

 ふっとティカは笑う。バツが悪そうな顔をするオスカーにティカは肩をぽんと叩いた。

「私の口からそれを公にするつもりはない。する必要性がないからな。…それに、オズ君なら自ら何とかしそうと思わないか?なあ、オスカー君」

 いつものにこりと笑う顔。ティカがこの先に起こること全てを知り得ているかのような、そんな気がオスカーは会う度に感じる。その鈍色の瞳には何が見えているのか、映っているはずの自分は本当にこの瞳に映っているのか、そんな考えがオスカーの中に渦巻く。そうして、ティカはまた平静と紅茶を啜る。逃亡中のオズの情報が入ったのはそのすぐ後だった。


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