lilac | ナノ

 あまりの驚きに立ち上がったまま固まっているオズとギルバートをティカとルチルは同じように紅茶を飲みながら見つめている。

「そんなに驚くことかしら?母様だって見た目はこんなだけど、もう人生の折り返し地点過ぎちゃってるんだし」
「娘がいる、という話はしていなかったか?」

 のほほんと母娘はオズとギルバートの心境などお構いなしに語らっている。確かに、明確な年齢は知らないが子どもがいてもおかしくはない年齢であろう。だが、ティカが母親であるという事実はどうも素直に飲み込むことはできなかった。それも娘だと言うルチルの容姿にある。女性にしては高い背丈のティカに比べてルチルはシャロン程の低い背丈で、人形のような愛らしい顔立ちをしている。そして髪色はバルマ家特有の赤髪ではなく、ふわふわとした甘いミルクティーを連想させる色だ。親子、姉妹、どちらと言われても首を捻ってしまうほど二人は似ていない。

「養女だからな」

 まるでオズたちの心を読んだかのようにティカは答えた。それにすぐに納得し、再びルチルの顔を見た。

「って言っても物心ついた頃には母様は母様だったから本当の両親の顔は知らないの」
「ルチルもまたチェインによって親を失った孤児だ。あのとき、ルチルを引き取ってよかったと今は思うよ」
「フィアナの家…」

 チェイン絡みで親を失った孤児たちが行く場所。もし、ティカが引き取っていなければルチルもまたハンプティ・ダンプティの契約者の一人となっていたのだろうか。にこりと花が飛ぶような笑顔を見せるルチルを見て、オズは目を細めて笑みを浮かべる。

「あれ?でもさっき、カーター、って?」
「カーター、というと子爵家の一つだが…」
「ええ、私、戸籍はカーター家の養女なの」
「えっ、どうして?」

 パキッとクッキーを噛み砕いたルチルはティカを見て、説明してというようにアイコンタクトを送る。ティカは肩を竦めて持っていたティーカップをソーサーに置き、口を開く。

「ルチルを引き取ってすぐにカーター子爵に頼み、養女としてもらったが二十歳までは私の傍で教育したんだ。引き取った以上、自立するまでは私が責任を持たなければならないからな。カーター家を頼ったのは、私はあまりパンドラという組織が好きではないから、出来るだけ無関係な場所に置いておきたかったんだ」
「確かに、カーター家はパンドラと距離を置いていますね」
「ああ、バルマの人間であるかぎりパンドラとは縁を切ることはできない。だがカーター家ならば、パンドラに関わらず生きていくことも出来るだろう」
「ルチルさんは、それでも良かったの?」

 オズの質問にルチルはきょとんとした顔をする。

「ええ、だって母様は母様だし。私が書類上はカーター家の娘だからって、何も変わらないわ。会いたいって言えば母様はこうして会ってくれるもの。それに、ルチル=バルマって何だかおかしな名前じゃない?“ル”ばっかり!カーターの方がよっぽど素敵!」
「という娘なんだ」

 クスクスとティカは笑ってルチルの頭を撫でた。その二人の間にある空気がとても他人が入ることのできないような雰囲気を醸し出していて、オズは少し羨ましく思う。血の繋がらない本当の母娘でなくても、こうして親子という関係を築くことができるのだと。

「すごいな…」
「ん?」
「あ、いや、…にしても、ルチルさんのことギルも知らなかったんだな」
「ああ、彼女の存在を知っているのは四大公爵家でも私と親しい者だけだからな。…あ、ギル君と親しくないというわけではなくてだな」
「………」

 俯いて黙ってしまったギルバートにティカはフォローをする。ぷぷっとオズは笑って、ギルバートの腕を肘で小突く。

「レインズワースとはルー君との繋がりもあるから仲がいいの。それに、オスカーさんは母様の舎弟だから私も仲良くさせてもらってるわ。ナイトレイ家は、…よく知らない」
「オスカー叔父さんまで。じゃあ、シャロンちゃんやブレイクも知ってるの?」
「シャロンちゃんとは年も近いからお友達よ!ザク君も勿論知っているわ」

 四大公爵家の横の繋がりを垣間見た瞬間であった。そしてナイトレイ家はやはりあまり交友がないのかと感じる。四大公爵としての交流はあれど一対一での付き合いは少なく、ティカにとっては心許せる相手ではなかったのだろう。

「……はっ!そうだわ!レイムさん!!」

 突然クッキー片手に立ち上がったルチルは口からクッキーの欠片を飛ばしながら慌てた声を出す。その姿にティカの育て方を少し疑ってしまった。

「レイムさんが意識不明の重体だって、たくさん怪我をしているって聞いて!レイムさんの所に行かなきゃ!!」
「大丈夫だ。まだ目を覚まさないが命に別状はない。とりあえず座って食べろ」
「レイムさんにもしものことがあったら私…っ」
「座れ」

 至極呆れた顔でルチルを諫める。すごすごと座って悲しそうにクッキーを口に入れたルチルはやはりティカと同じようにレイムを特別視しているようだ。レイムが気になっているのかそわそわと先程以上に落ち着きのなくなったルチルを見てオズは腰を上げた。

「じゃあオレたちはそろそろ戻るよ」
「ん?ルチルに気を使わなくともいいからな」
「ううん、思いのほか食べ過ぎちゃったから散歩してくるよ。ほら、アリス、ギル行くよ」
「オズ!まだ私は食べたりないぞ!」
「うるさいバカウサギ!」

 バタバタと慌ただしくオズたちは去っていった。ティカはオズたちが使っていたティーカップなどを片付け、ルチルは相変わらずボリボリとクッキーを貪っている。粗方の片付けを終えたティカは今度はルチルと向き合うように座り、すっと目を細めてルチルを見つめた。

「なぁに?」
「それなりに育ってくれて良かった、と思ってな」
「やだ!年寄り臭いわよ母様」
「煩い。…私がこれから話すことは絶対に覚えておいてくれ」
「もう、真剣な顔してなんなの?」
「茶化すんじゃない」

 ふぅ、とティカは溜息を吐いて姿勢を正した。

「君はもう大人だ。きっと私が話すことを充分に理解できるだろう。そうして自分で道を選択できる」

 一つ区切り、再びティカは口を開いた。扉一枚向こう側では平常時よりも騒がしいパンドラがあるはずなのに、今はこの部屋だけが世界のようなそんな感覚を持ちながらティカは語り出す。きっと自分の娘ならば何が正しいことかを理解できると信じて。


- ナノ -