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 荒い乱暴なノックをして入ってきたパンドラ構成員の男は息を切らして言葉を発した。

「大変です!尋問中だったあの少年が…連れ去られました。ヴィンセント=ナイトレイの手によって――!!」

 バーナード=ナイトレイ公爵は首を切られ殺害されていた。レベイユ内にある別邸で発見されたその死体を見る限り、エリオットが殺害することは不可能であると断定された。ならば、エリオットは“首狩り”ではないということになる。しかしそもそも、“首狩り”とは何なのか、定義こそ曖昧であったことに気付かされた一同に舞い込んだヴィンセントの離反。誰もが状況把握に追いつくことはできなかった。とりあえずオズたちを帰したシェリルの執務室でルーファスとティカは残り、今後のことを話し合う。だが結局、今はまだ未知数なことが多く、現段階での問題を一つずつ処理していく他はないと話を終えた。私室に戻ったティカはルーファスから受け取ったイスラ=ユラがルーファスに託した研究資料に目を通しながら淹れたばかりの紅茶を啜っていた。コンコン、と控え目なノックが聞こえ入室を許可するとオズとアリス、ギルバートの顔がひょっこりと開いた扉の隙間から出てきた。

「どうかしたか?」

 オズたちに笑顔を向けつつ、散らばっている資料をさっと片付けて見えないようにする。デスクから離れ、テーブルを中心に置かれているソファーへと来訪者を促した。

「いきなりごめんなさい!仕事中だった?」
「気にするな。朝からデスクワークばかりで辟易していたんだ」
「ティカー、食い物はないのか?」
「ああ、ちょっと待ってくれ」

 アリスに言われ、ティカは奥からクッキーやパウンドケーキなどを持ってきた。それに目を輝かせてアリスは飛びつく。

「もうっアリス!」
「大人しくしろよバカウサギ!」
「紅茶も新しいものを淹れるから待っててくれ」

 温め直したティーポットに茶葉を人数分いれてから沸騰したお湯を注ぎ込む。ふわっと甘い香りがして、暫く蒸してからそれをそれぞれのカップにこぽこぽと注いだ。

「ティカさんって全部自分でするんだね」
「ん?おかしいか?」
「オレたちはメイドとかがしてくれるのが当たり前になってるから、何だか新鮮」
「そうだな。私は幼い頃はこのような世界とは無縁の場所で生きていたからな。自分で出来ることは自分でする、という母の言いつけを守っているんだ」
「へぇー」

 室内の一角にキッチンが設置されているのもティカの拘りなのだろう。貴族であれば身の回りの世話は主に従者やメイドが行う。貴族の人間は与えられたものを身に着け、食し、生きていく。幼い頃を貧しい環境で生きていたティカは貴族としての生活に馴染むことが出来なかったのだろう。出されたハーブティーを飲みながらオズはそんなことを考えていた。

「で、用は何だ?」
「あっ…えーと、さっき、オレたちが部屋を出た後に何を話してたのかなーって思って」
「そんなことか。大したことは話していない。今揃っている情報を整理していただけだ」
「そっか」

 オズはティカの言葉を聞きながら、その言葉の真偽を探っていた。本当にそれだけか、ティカの態度から確かめようとしたがなかなかにティカの心中を探ることは難しかった。結局、本当か嘘か分からずじまいで話の流れも途絶えてしまう。しん、と沈黙が流れた室内にコンコンとノック音が響いた。

「開いているぞ」

 オズたちのときと同じように短く入室を許可すると、キィと開いた扉からオズたちは見たことのない女性が現れた。重たそうなスーツケースをがらごろと引きずりながら部屋に入ってきて少し機嫌が悪いのか顔をしかめている。

「もー!疲れたー」
「何だ、こっちに来たのか」
「だってなぜか家のドア閉まってるし!ルー君もこっちにいるの?」
「ああ、近頃はパンドラに缶詰め状態だからな」

 ティカに対して軽い口振りで話す女性はスーツケースを勝手に部屋の隅に置き、ソファーの空いている席へとどかりと座った。整った愛らしい顔とは裏腹に振る舞いは少しばかり粗暴な節が見られる。オズはその女性とぱちりと目が合い、にこりと微笑みかけられる。つられて笑みを見せるが、この人物の見覚えが全くないために混乱している。

「お客様がいらっしゃっていたのに騒いじゃってごめんなさい」
「いや、オレたちのことは気にせず…」
「彼らも四大公爵家だ。失礼のないようにな」
「そうなの?へぇー」

 四大公爵家、という単語にさほど興味を示さず、テーブルに置かれたクッキーを取ってぱくりと食べた。

「ティカさん、此方の方は…?」
「ああ、紹介が遅くなったな。彼女はルチルだ」
「ルチル=カーターよ」
「ルチル…さん」
「ルチルでいいわ。君たちは?」

 オズとギルバートはそれぞれ名を名乗り、アリスもフォークに突き刺したケーキを口に含みながら名乗った。ベザリウス、ナイトレイの名を聞いてもやはりルチルは何も態度を変えない。益々膨らむ疑問に耐えれなくなったギルバートは口を開いて、その疑問を言葉にした。

「…ティカさんとはどういう関係ですか?」
「ルチルは私の娘だ」

 ボリボリとアリスがクッキーを咀嚼する音が大きく聞こえた。

「「ええぇぇえええっ!??」」

 あまりの大音量の声にティカの私室の前を通りかかったパンドラ構成員が驚き、持っていた書類をバサバサと落とした。


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