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 扉を出ると林のような光景が広がっていた。視界は不良、だが刃と刃のぶつかり合う音の聞こえる方へと歩いていく。

「もう少しだ」
「……はい…」

 ティカの背筋をぞくっと刺したのは決して夜の肌寒さだけではない。直後、前方で青く眩い光が広がった。夜の闇の中にあるその光の傍に立つ二つの黒い影。それを視界に入れ、ティカは更に一歩踏み出した。俯き荒い呼吸をするレイムはまだ前方に気付いていないようで、何も言葉を発しない。数歩進み、ティカの足が止まった。あちらは戦闘に夢中で気付かれてはいないが、もう誰が何をしているか分かる場所まで来ている。其処には先程のバスカヴィルの二人とブレイク、そして鴉で援護をするギルバートの姿がある。レイムにそれを伝えなければ、そして早く手当てをさせなければ、そう思う心とは裏腹にティカはその場から動けずにいた。このままレイムが死ねば。あのバスカヴィルの手によって殺されるのではなくこうして自分の腕の中でレイムの命が削られ、尽きるのを待てば、

「ティカ…さま?」
「っ!……見えたぞ、ザク君だ」

 ゆるりと重たそうに顔を上げたレイムはふっと笑みを浮かべた。そして息を大きく吸う。

「リリイ―――!!!」

 ブレイクに銃を向けていた少女のバスカヴィルが此方を見た。そしてブレイクから視線の逸れたその隙にブレイクは剣を突く。突如がくんとティカの左肩が重くなり、ティカの支線はそこから外れた。支えきれなくなったレイムはを地面に横たわらせ、更に顔色が悪くなっていることに眉を顰める。

「レイム君!」
「ありがとう…ございます、ティカ様…」
「気にするな」
「ちょっと、なんで生きてんですか君は」

 離れた所から掛けられたら言葉にティカは視線を上げる。同じように傷だらけのブレイクの姿、そして更に遠くにギルバートとシャロンたちの姿も見えた。

「…はは…すごいな…おまえすらも騙し通せたのか…」
「はい…?」
「『死んだフリ』それが…私の…三月ウサギ(マーチヘアー)の能力だ…」

 契約者を仮死状態にするチェイン。それを知り得るのは主であるルーファスとティカのみ。だからティカは一縷の望みをかけてチェインを無効化する自らのチェインを発動させた。

「なんだ…ザクス、その…情けない顔は…」
「………うっさい」
「シャロンちゃん、頼む。レイム君を…」
「はい!非難したエイダ様の影に一角獣を残してあります。そちらへレイムさんを送りましょう」

 シャロンがチェインを発動させ、レイムを安全な場所へと送る。

「…レイムさん……君が…生きていてよかった…」

 レイムの姿が闇に包まれるのを見届け、ティカは安堵の溜息を漏らした。

「ティカ様」
「……何だ」
「レイムさんのチェインを貴女は知っていましたね。ならばどうしてあの時言ってくださらなかったのデス。レイムさんは生きていると」

 ファングとの戦闘でかなり体力を消耗したのだろう、ブレイクは立っているのがやっとという感じだ。チェインも使ったのだろう。

「私もあの瞬間は忘れていた、レイム君は死んだものだと思っていた」
「…本当に?」
「何が言いたい」
「貴女方バルマにとって私の存在は疎ましいはずデス。私がチェインを使い、死ぬのを待っていたのではないですカ?」
「ッブレイク!口を慎みなさい!」

 シャロンから諫められ、渋々ブレイクは口を閉じる。だが疑いの眼差しはまだ消えてはいない。普段ならば冷静にレイムのチェインを思い出させただろう。しかしあの状況下、ティカは動揺していた。それにより本人も驚くほどに思考が回らなかった。だがブレイクはそんなティカの心情など知り得るはずがない。だから、全てがブレイクを貶める演技だったのではないかと疑っている。

「そう思うのならそう思えばいい」

 ティカは否定もせず、ブレイクたちに背を向けた。衣服にはべっとりと血がこびり付いている。

「私にとって必要なのはルーファスに伝える情報だ。君たちの命など私には関係のないことであるは確かだからな」
「……っ」

 乱れた髪を結い直し、ティカは燃え盛るユラの屋敷を見据える。まだやらなければならないことが残っている。

「シャロン!ブレイクのことは任せたぞ。オレはオズの元に戻る」
「ギルバート君。…ゴホ、私もすぐ…お嬢様と後を追いマス。ですがその前に一つだけ…」

 神妙な顔でブレイクはギルバートに告げた。

「気をつけてくだサイ。ヴィンセント=ナイトレイは恐らく、バスカヴィルと繋がっています!」

 信じがたいと言った瞳でブレイクを見つめるギルバートは、頭の中で反芻する言葉に足が止まった。

「ギル君」
「……はい」
「私も共に向かう。最後まで結末を見届けなければならないからな」
「分かりました」

 ティカにより引き戻された意識で燃える屋敷へと再び走る。弟のヴィンセントのこと、主のオズのこと、ギルバートの脳内を廻る様々なことが気持ちを急かせる。刻々と進む時間に焦りを募らせ、跳ね上がる心臓に手をあてがう。間に合え、と願いながら。


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