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 それは突然のことだった。今までの屋敷全体を取り囲んでいた陽気な雰囲気が風船のようにぱちんと壊れた。誰かが発した悲鳴によって、ぱちんと。割れた風船の外にはどんよりとした疑心暗鬼に満ちた世界が溢れかえっている。風船の中での楽しい出来事は全て作られた幻だ。ティカは今し方聞こえた声に妙な胸騒ぎを感じた。幸いに声はさほど遠くではないようで、すぐに其方へと向かう。歩いて間もなく人が三人いる場所へと行き着き、その中心に位置する血溜まりを見て自然と眉を顰めた。その場にいたのは幸か不幸かオズとリーオだった。

「オズ君」
「ティカさん、これ…」

 首なしの死体が一つ、そしてその死体はパンドラの構成員が持つ証を身に着けていた。

「何があったんだ」
「この人が見つけて、それで俺たちも今来たばっかりなんだ。……それに、」
「分かっている…」

 この死体の人物は恐らく封印の在処を調べていたパンドラの構成員。そして同じく調べているはずの人物たちがまだ姿を見せない。賑やかなホールにいるならまだしも、その場から離れた静かな場所で調べているのだから先程の悲鳴が聞こえたはずだ。しかし現れる兆しはない。ふっと過ぎる最悪の光景にティカはキツく目を瞑りかき消す。

「ひとまず君たちは彼女を安全な場所へ連れて行ってくれ。この状況では何処も安全とは言い難いが、とにかく休める場所へ」
「オレはっ、もう少しこのあたりを調べておきたいから」
「……駄目だ、と言っても君は聞かないんだろうな」
「それなら僕も一緒に…」

 今度こそティカは首を横に振り、リーオの同行を認めなかった。

「駄目だよリーオ。もしこの人を殺したのが首狩りっていう奴なら、狙われる可能性が高いのはオレよりもエリオットなんだろ?」
「それは………」
「…ああいう真っ向からぶつかっていくケンカってさ、お互いがお互いを認めていないと難しいものだと思うんだよね。オレは、そんなおまえ達がちょっとだけうらやましい」

 リーオは何も言わずにオズの言葉に耳を傾ける。

「…ほら、ちゃんとエリオットに謝るんだろ?」
「…………有り難う…オズ君…」

 メイドと共にこの場から離れるリーオを見送り、ティカはオズと向き合った。

「私は他のパンドラの者たちを探しに行くが、オズ君はどうする?」
「オレは、もう少し此処で相手が現れるのを待つよ」
「そうか…ユラの目的は明確ではないが恐らくオズ君だろう。どのような手を使ってくるか分からない故、充分気を付けてくれ。首狩りがいる可能性もあるからな…」
「うん!」

 オズをその場に残してティカはまずホールへと向かった。この騒ぎでもしかするとホールに戻ってきている人間もいるかもしれないと考えたからだ。先程から打ち消し続けている憶測に急かされるように自然と足取りも速くなる。ホールに向かう途中、何人もの人間が顔に恐怖の色を見せながら走り去っていく。何重にも重なる悲鳴と、足音、何かが倒れるような音。ティカは更に急ぎホールへと向かう。

「何があったんだ?!」
「…っ突然、変な奴らが現れてっ…首が……っっ!出口が炎で塞がれてるんだ…!!」

 相手はパニックに陥ってはっきりとした状況が分からないが、ホールでも何かが起こっているようだ。これではホールに戻ったところで意味がないかもしれない。踵を返し別の場所へと向かおうとした時、視界の端にギルバートを捉えた。

「ギル君っ」
「……っティカさん!」
「パンドラの者の首なし死体が見つかった。この屋敷を探っているはずの他の構成員たちの姿も見えない、…レイム君も、いないんだ」
「…とにかく、ホールから離れましょう!」
「そうだな。こんなことならばオズ君を一人にするんじゃなかった」

 此処まで騒ぎが大きくなっているとは予想できていなかったティカはオズを単独行動にさせたことを悔いる。だがギルバートからシャロンが一角獣でアリスをオズの元へと送ったから一人ではないと聞かされ、少しだけ安堵する。だがアリスもチェインの力を解放されなければ少女と変わらない。どちらにせよ悪い状況である。

「ギル君、少し待ってくれ」
「え?」

 ティカは突然立ち止まり、脚を隠すほど長いドレスの裾を持っていたナイフで適度な長さに切り裂いた。ギルはその光景に目を見開くが、ドレスの下にティカはしっかりとパンツスタイルにブーツを穿いて、動きやすい服装をしていた。大腿には小さなホルダーを装着し、そこに今し方ドレスを切ったナイフをしまう。

「すまない、行こう」

 脚に纏わりつく障害がなくなり、先程よりもスピードを上げて走る。ティカの表情を盗み見て、ギルバートはいつもはありありと窺える余裕が影を潜めていることを知り、固唾を呑む。ティカが辿ってきた道を引き返そうにも紅いローブの者たちによって放たれた火が回り、迂回路を進むことを余儀なくされる。薄暗い通路を走り抜けていると、前方に見える階段の踊場で膝を突くエリオットの姿が見えた。

「……!?エリオット…?」

 そしてエリオットの背後に立った人物にギルバートとティカは視線を滑らせる。

「…そのまま抵抗はしない方が身のためですよ、エリオット=ナイトレイ」

 茫然としていたエリオットの右腕を背後に立ったブレイクは掴み、冷たくエリオットを見下ろす。

「……いや、首狩り…!」


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