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 落ち着きなくそわそわと部屋を徘徊する蛇のような顔をした男をティカは冷ややかな瞳で見つめる。男が歩く度にシャランと涼しげな音が聞こえるが男には似合わないとティカは評価する。ソファーに一番早く腰掛けているルーファスの後頭部に目をやり、そしてまた忙しない男の髪を見た。二つは同じ色、つまりは自分の髪とも遠からず似た色なんだと理解する。ふと男と視線が交差してしまい、ティカは心中で舌打ちをした。

「…バルマ公、そちらのご婦人は?」
「我の親族じゃ」
「ティカ=バルマです」
「だから髪やお顔が似ておられるのですね。イスラ=ユラでございます」

 社交辞令の挨拶を済ませてティカは無理矢理に口角を上げた。先程からそわそわくねくね爛々としたユラをティカは受け付けない人種だと分類していた。バルマ家は外来貴族だといつか誰かに聞かされはしていたが、まさかこの人間が同族だとは認めたくなかった。背筋がぞわぞわと波打つ。

「いやぁ、それにしてもまさに天にも昇る気持ちでございました!!不謹慎だということは重々承知しておりますが、まさかパンドラの本部に足を踏み入れることが許されるとは!!」
「…ぺちゃくちゃと五月蝿い男じゃのう。くだらん前置きはよい。我が聞きたいのは汝がパンドラに近づいた目的じゃ」
「はて、なんのことでございましょう。私はただ…」

 ルーファスが睨みを利かせるとすとーんとユラは大人しく着席した。それを待ってから、ティカもルーファスとユラをどちらも見ることのできるソファーへと腰をかけた。

「そうですね。実は私もまわりくどい言い回しは苦手なものでして!!」

 胡散臭い笑みを浮かべたユラは一呼吸開けてからまた口を開く。

「単刀直入に申し上げましょう。私は本国より、この国に存在する未知なる力、アヴィスについての調査を命ぜられております」
「アヴィスについて?」
「ええ」

 アヴィス、アヴィスから生まれるチェイン、そしてそれらを秘密裏に研究しているパンドラ、他国が興味を持つのも至極当然のことだ。そしてチェインを危惧することも。

「…馬鹿なことを」
「それだけ彼らはアヴィスという存在を恐れているのですよ。本国の学者の中には、100年前に世界を襲った天変地異…あれも貴国の仕業だと勘ぐる者さえいるのですから」
「…それは、興味深い持論じゃの。のう、ティカ」
「ああ、面白い」

 ルーファスの言葉にティカはふっと笑いを零して応える。二人の会話や反応から何かを探ろうとユラが考えているのは見え透いている。だから否定も肯定もしない。

「だが諦めい。汝らがアヴィスの力を得るのは不可能じゃ。アヴィスは全ての生と死を生み出す混沌の世界じゃが、その混沌に触れるための竜脈にも似た地点はこの国にしか存在しておらん。届かぬものをねだるより、先の大地震で両国を分かったあの断崖絶壁をどうにかする方が早いだろうと伝えるがよい」

 ティカは先程からうっすらと開いている扉を見つめる。ちらちらと見える明るい金と、黒はルーファスの策によって招かれた人間たちだろう。

「この際、白状してしまいますが、私にとっては本国からの指令も貴方がたに近づくための口実にすぎないのです」
「?」
「貴方様と同じく私の心を常に占めるのはただ一つ、知識欲です」

 段々と調子が上がっていくユラの言葉でティカは扉から目を離した。

「ただ一つでも多くの真実を手に入れたい!!たとえそれがサブリエの悲劇の再来を招いても構いません!!――ああもう…考えただけでゾクゾク致しますぅ…!」

 顔を紅潮させながら立ち上がったユラからティカは目を背けた。見たくもない物を目に入れてしまった、と思い俯いて脳内をリピートする先程のユラの言葉を何とか掻き消そうと別のことを考える。だが嫌な記憶ほどなかなか消えてはくれず、何度も何度も映像付きで再生される。

「バルマ公…私はただ、貴方様のその紅き知恵の果実が欲しいだけなのです。簡単なことでございましょう?」
「ふむ…では、こんなのはどうじゃ?オズ=ベザリウスを汝に進呈する」
「…ルーファス」
「知っておるぞ?汝がずっとオズ=ベザリウスについて嗅ぎ回っていたことを。まあ…確かに汝好みの小憎らしい餓鬼よの。ホレ…そこに」

 ルーファスは扇でティカが見つめていた扉を示す。勢いよくユラはその扉へと向かい、躊躇などすることなく開いた。そこには腰を抜かしたようなオズがへたり込んでいる。ルーファスは立ち上がり、別の扉を開いて立ち去ってしまった。オズがいるためルーファスを追ってこの場を離れるわけにもいかないティカは呆然とへたり込むオズを見下ろすユラの背中をどうしようもなく見つめていた。


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