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 ティカは私室で山積みになっている書類を脇に押しやり、今し方届いたばかりの手紙を読んでいた。よく封筒に収まったなというような膨大な量の便箋を次々に目を通していく。この作業をしてもう十数分経過している。やっと全てを読み終えて、その便箋の束を封筒に戻そうとするがやはり入らない。しょうがなくそのままデスクの引き出しに仕舞ってから、チェアーに凭れて手紙を読むのに疲れた目を労る。先程から中庭が何やら騒がしい気がしていたが、いよいよまるでパーティーが始まったかのように様々な声がしている。今日は何か催し物があったかと考えてはみるが、何も耳には入ってきていない。重い腰を上げて、ティカはチェアーの後ろにある中庭を一望できる窓を開いた。見えた景色は、本当にパーティーをしているような物であった。真っ白なテーブルクロスが幾つも太陽光を反射しており、それを囲むように人々は談笑している。此処から見えるその人々の顔にはどれも笑顔があり、近頃パンドラ全体纏っていた重苦しい雰囲気を感じさせない。

「ティカさーん!」

 自分を呼ぶ声が聞こえ、ティカは誰だと下の景色を見回す。手を振る綺麗な金髪の少年が目に留まり、ティカは軽く手を上げた。

「ティカさんもお茶会しようよ!」
「残念ながら、レイム君に今貯まっている仕事が終わるまでは部屋から出るなと言われていてな」
「もし何か言われたら俺が弁解するからさ」
「その言葉を待っていたんだよ」

 にんまりとティカは笑って窓枠に足をかけたかと思えばそこから中庭に向かって飛んだ。予想外のことにオズが大慌てした声を上げれば中庭にいる人間の注目を浴びながらティカは何事もなくすたっと地面に着地する。ティカの私室は三階、重力の関係から言えばそれだけで済むのはおかしいはずだが、当の本人は何食わぬ顔でオズの元へと来た。

「何事かと思えば、ティカちゃん……」
「やあ、オスカー君。君の甥はなかなか優秀だな」
「はぁ…」

 騒ぎに駆けつけたオスカーの表情が一変して苦笑いを浮かべている。そんなオスカーの肩をぱしぱしと叩いてティカはオズを誉める。不思議そうにオズは二人の顔を見てから首を傾げた。

「叔父さんとティカさんって友達なの?」
「いや…友達ではなくてだな…」
「オスカー君は私の舎弟のようなものだ」
「そう、舎弟……えぇっ!?舎弟?!!」

 落ち着き払って新しいティーカップに紅茶を自ら注いでティカは頷いた。両手で顔を覆いながらその大きな図体をこれでもかと言うほど縮こまらせているオスカーにオズは複雑な視線を向ける。

「幼い頃はよく私の後ろについて回っては、勉強を教えてくれだの本を読んでくれだの頼まれたものだな」
「…………………」
「へぇー。でもティカさんのこと『ちゃん』で呼ぶんだー」
「ああ、それも色々あったな」

 紅茶を口に含み、空を見上げるティカは遠い目をして過去を振り返っているようだ。先程から一言も発しないオスカーの体が更に小さくなったように錯覚する。

「オスカー君が青年になるにつれやはり私を『ティカさん』と呼ぶようになってな。それじゃあ距離が開いたみたいで寂しく思った私はオスカー君に頼み込んで今まで通り呼ぶように言ったんだ」
「人の恥ずかしい写真をちらつかせながら脅したじゃないか!」
「何を人聞きの悪い。私は君の幼い頃の愛らしい写真をいつも肌身離さず懐に忍ばせるほど君のことを思っているというのに君は態度を変えてしまうのか?と言っただけだ」

 ささっとティカは何か紙切れを懐から高速で取り出して高速で元に戻した。今の話の流れからいけばオスカーの言う恥ずかしい写真ではなかろうか。今も持ち歩いているとはオスカーが不憫で仕方がない。何とか取り返そうとティカに掴みかかったオスカーだがさらりと流されてぼてっと地面にへばりついた。まさかこの人物が四大公爵の一人だとは世間に見せられない。それよりもオズは頭の隅でカラカラと何かが崩れる音を聞いた。オズの中にあるティカという人物は、少し茶目っ気がありながらもクールな大人の女性というイメージであったが、多少、いやかなり子どもだ。そして手段が汚い。オズは半壊した自身のティカのイメージ像に苦笑を零す。

「おっエリー君とリーオ君もいるじゃないか」
「ティカちゃんまだ話は終わってない!」
「おーい」

 オスカーの静止など耳に入っていないようにティカは無視してエリオットとリーオの所へと歩いていった。盛大な溜息を吐き出す叔父にオズはくすりと笑ってしまう。いつもは自分たちを振り回してばかりのオスカーがこうも容易く振り回されているのはあまりにも滑稽である。

「まさか叔父さんたちがそんなに仲良しだったとは知らなかったな」
「ん?まあな…四大公爵の繋がりだからな。オズ、お前も小さな頃に会ってるんだぞ?」
「えっ嘘!?ティカさんそんなこと全然…それに、この前も『初めまして』って言われたし」
「そうか?また何か考えてるのかもな」

 ハハッと明るく笑いを返すオスカーにオズは妙に引っかかった。

「もしかして叔父さん…ティカさんのこと、」
「おっと、それ以上言うなよ。それにティカちゃんのこと、どこまで知っているのかは知らないが口外もするな」
「……うん、分かってる」

 二人の視線の先には楽しそうに談笑するティカとエリオットとリーオ。エリオットがまた何かからかわれているのか顔を赤くしてティカに怒鳴っている。

「俺が子どもの頃から本当に変わらないんだ、ティカちゃんは。チェインとの契約で外見もだが、中身も昔のまんま。中身はもう少し年相応になるべきだろうが、でも変わらないティカちゃんに安心する俺もいる」
「うん」
「俺と同じように、変わらないティカちゃんに救われている人間はパンドラの中に五万といる。だからな、“今”を壊しちゃいけないんだよ」

 くしゃ、とオズの頭を撫でてオスカーは何処かに行ってしまった。そう言えば、この場にティカが現れてから雰囲気もずっと柔らかくなった。エリオットとリーオと談笑しながらも何人もの人間に挨拶し、挨拶された者は嬉しそうに顔を綻ばせている。ティカにとってみれば他人との関係を円満にすることはティカ自身の目的を成し遂げるための過程である。それでもそれによって救われる人間もいる。どのようなときでも変わらぬティカに信頼を寄せている人間は多い。

「さて…これで準備よし…と。オズ!みんなを連れてこっち来い」
「?」
「最後の仕上げはこいつだぞ!」

 オスカーが持ち出したのはカメラだった。少し古いが、使われていないようで綺麗なカメラ。

「…駄目だよ、叔父さん…そのカメラは…その…今日は特に記念日ってわけでもないし、それを使うには勿体ないっていうか…」

 少し困ったような顔をしてからオスカーはオズを抱きしめた。

「問題ない!おまえは、オレの大切な息子なんだから!」

 抱きしめられたオズは顔を赤らめて、不思議そうに驚いたような顔をしている。青と白の二色の空、草の香りのする風、その中に仄かに混じる花の香り、そんないつもと変わらない日。

「みんながここにいて、今、時を共有できる奇跡!どうだ素晴らしき“なんでもない日”だろう?――ハッピーアンバースディ!」

 カメラの前に皆が集まり思い思いの表情を向ける。オスカーに引っ張られてきたティカも困ったように笑ってカメラを見つめる。あの時も、オスカーにとって辛い記憶となったあの日も、変わらないティカにオスカーは救われたのだろうか。変わらない人、場所があることの安心感。オズはこの平穏な“なんでもない日”が永遠に続けばいいのにと願った。そして、叔父のためにも多くの人たちのためにも変わらないティカであってほしいと。


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