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 100年前の英雄、ジャック=ベザリウスの躯によってグレン=バスカヴィルの魂を封じ込めていた五つの封印の一つが破壊された。それにより先の地震が起こり、また他の封印も破壊される危険がある。それをルーファスから聞かされたティカはさほど何の感情も抱きはしなかった。

「サブリエの悲劇とは一体何なんだ?」
「…そうなのかとは薄々思ってはいたが、やはり汝はバカか」
「……、私たちが周知する“サブリエの悲劇”とは、バスカヴィルによってかつての首都がアヴィスへ堕とされた、という物だ。だが、誰がそれを広めたのだ?一般人にはアヴィスの存在も知られてはいない、となるとアヴィスを知り得る少数の者となるが…ジャック=ベザリウスやバルマ、彼らが広めたのだろうか?」

 今まで興味が無さそうに聞いていたルーファスだが見ていた巻物状の書簡から目を離し、ティカの言葉に耳を傾ける。

「もう一つ疑問がある。バルマはその時どうしていたのかは知らぬが、ジャック=ベザリウスはサブリエにいたのだろう?アヴィスに堕ちるサブリエから彼はどうして助かったのか、それがずっと気になって仕方がない」
「案外、バカではなかったか」
「人を何だと思っているんだお前は」

 目に見えて不機嫌なティカは拳を握り締めて怒りを我慢する。そこに丁度ノック音が部屋に響いたためにティカの怒りは拡散した。

「ルーファス様、失礼します」

 開いた扉から現れたのはオズ、アリス、シャロン、ギルバート、レイムであった。ルーファスとティカの姿を交互に見て、部屋に歩みを進める。

「…ふむ、思ったより早かったの。前もって人払いはしてある。心置きなく用件を言うがいいぞ」
「…おや、言わなければおわかりになりませんか?」

 にこりと微笑みながら切り返したオズにルーファスは不満そうな表情で、オズたちの傍らにいた幻影を消した。

「サブリエで体感したあの地震、あれが一体何を示すものなのかをお聞きしたく」
「ベザリウス公に聞いた方が早いかもしれんぞ?」
「オスカー君は心配性だからな、全ては語ってくれないだろう」
「はい。ですが、バルマ公、貴方は違う。私がどうなろうと気にしないから、対価さえ払えば相応の情報をくださるでしょう?」

 だがオズはそんな対価を払える物を持ち合わせているというのか。ティカがそう思ったようにルーファスも同じことを考えているようだ。

「ほお…汝にその対価が払えると…?本当かのーう、怪しいのーう。我が求める知識は高級品じゃぞー、怪しいのーう」

 コミカルに動くルーファスに苛ついたのはティカだけではない。

「うっとおしいなぁ…!で?情報くれるの!?くれないの!?」
「…さては汝、以前我にケンカを売ってから本性隠すの面倒臭くなっておるな?」
「ふぅ、オズ君、今回は対価は必要ない。何せ君が知りたいことをルーファスは喋りたくて仕方がないのだからな」
「む、余計なことを言うでない」
「さっさと言わないお前が悪いんだ」

 びしりと言い放つティカにオズたちは少しばかり呆気に取られていた。そしてティカが言う通り、ルーファスは今回だけは対価はいらないと言い、先程ティカに聞かせたグレン=バスカヴィルの封印についてを語り始める。みるみる悪くなる全員の顔色にティカは瞼を伏せる。封印を守る五人の術者たち、交流が途絶えるその者たちをパンドラは今探し回っている。

「そしてここからはまだ他の三公にも伝えておらんことじゃ。我は既に術者の内、一人の居場所を把握しておる」
「―!?」
「カリオン地方の外れに存在する小さな屋敷じゃ。そこに、封印を護る術者の末裔がおる」

 ルーファスの狙いはそこへオズたちを向かわせること。それがルーファスが自ら情報を与えた理由である。だがそれにシャロンが是非を唱える。

「バルマ公、なぜこのような重大なお話を他の三公に黙っておられるのですか!」
「何を言う。自らの手の内を全て明かす馬鹿がどこにおるのじゃ。それに他の三公を動かすための情報ならきちんと別に渡してある。この話は汝らに伝えるのが一番有益とみなしたが故に黙っていたまでのこと、問題あるまい?」
「…他の三公を、動かすために…?」

 シャロンが抑えきれない感情に身を震わせる。レイムとティカにとって、ルーファスとはそのような人間だと嫌でも知り得ているためにそれをどうとも思わない。いや、レイムは思っていても発言することは絶対にしない。

「…貴方にとって、私達は都合のいい道具でしかないというのですか――…!」
「…愚問じゃの。我にとって人は有益であるか無益であるかのどちらかでしかない。『己のために利用できるものは全て利用する』それは、汝の大好きな帽子屋とて同じじゃろう?」
「貴方とブレイクを一緒にしないで!あの人はそこに『人』が在るのを忘れはしない。貴方のように人の意志をなきもののように扱ったりはしないわ!勝手なことを言わないでください!」

 シャロンの啖呵にただ驚いているオズやアリスと、青い顔をしておろおろしているレイムだがティカだけは口元に手を当て笑いを堪えているようである。

「口を慎めよ小娘」

 ルーファスの冷ややかな声と同時にシャロンの周りがザワッと空気を変える。黒い羽が舞い、ルーファスの背後に巨大な鳥を象る物が現れる。

「貴族の子でありながら目上の者に対する礼儀を教わらずに育ったとみえる。どれ、我が再教育してやろうか」
「!」
「シャロンちゃん!!」

 パンッと破裂音が響く。シャロンとオズの前に立っていたのはギルバートであり、ルーファスの背後にいた物はなくなり、部屋中を支配していた重圧感もまるで最初から無かったかのように消えていた。

「…ほぉ、鴉で我の力を相殺したか。面白くないのう、ふっきれた顔をしおって」

 どちらのものともつかない真っ黒な羽だけが宙を舞っている。

「サブリエでヘコまされて帰って来たというから弱みを掴んでやろうかと思っておったのじゃが…悩み事は解決してしまったのかの?」
「貴殿には関係のないことです」
「…………まあよい。それよりも、汝まで我を阻もうとしたの?ティカ」

 ルーファスから数歩離れて立っていたティカは黒い羽を弄びながら首を傾げた。

「さあ、何のことだ?」
「わざとらしい芝居は止せ。汝がチェインを使おうとしていたことはお見通しじゃ」
「やれやれ。ルーファス、お前を阻もうとしたのではなく助けてやるつもりだったんだ。あのままシャロンちゃんに危害を加えればシェリルちゃんが黙っていないからな」

 ルーファスの唯一の弱みであるシャロンの祖母、シェリル=レインズワース。孫娘が傷つけられたと聞いてはシェリルはルーファスにどのような鉄槌を下すのか、考えるだけで恐ろしい。

「うるさい!シェリルなんぞ怖くな…こわっ……ない…」
「分かった分かった。オズ君たちはとりあえず下がってくれ。また後日、レイム君にでも詳細を伝えさせる」

 一礼だけして四人は退室した。シャロンを気遣う言葉をかけつつ、パンドラのシャロンの私室へと向かう。

「それにしても、何だかビックリしちゃったなー」
「何がだ?」
「ティカさんって、バルマ公には逆らえない感じだと思ってたのに、…何て言うか、意外と仲良し?」
「ティカとアイツは仲が良いのか?」

 不思議そうな三人に、シャロンはそう言えば、と祖母から聞いた話を皆に聞かせる。

「幼い頃のティカ様はバルマ公を兄のように慕っていたと…そんなお話を聞いたことがありますわ」
「えっ…まさか!」
「私もお聞きしたお話なので真実かは分かりかねますが…」
「オズ!とにかく腹が減ったぞ!」
「はいはい、もぉーアリスはー」

 ルーファスの威圧による緊張も解けたようで皆の顔に笑顔が浮かび上がっている。その後はいつも通りのシャロンのティータイムを行い、翌日、ルーファスから直接に術者の話を聞かされ、オズたちは術者のいる場所へと向かうことになった。


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