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 ティカは後悔をする。ブレイクの要求を受け入れたのは、後ろめたさも少なからずあったからだ。今までは一度も自らの役目を誰かに知られたことはなかった。だから今回思いの外どうしたものかと戸惑っている自分がいる。贖罪の意味もこめてティカはあっさりとブレイクの奇妙な要求を飲んだ。だが、本当はブレイクの要求など聞くつもりがない思いもあった。今までもそうだ。誰かが隠したいこと、ティカにだけと話してくれたことは全てルーファスに伝えている。それがティカの役目だからだ。そして恐らくブレイクは重要なことを口にすると直感していた。それなのに、ティカがいるのはブレイクの姿も見えない離れた場所で、アヴィスに蝕まれた人の形を保つこともできていない化け物の相手をしている。左手に短剣を持たせ、次々と向かってくる相手を斬っていく。

「エリー君、リーオ君、早く行けっ」

 それもこのナイトレイ家の二人のお陰だ。バスカヴィルから逃げ出した二人だったがすぐにこの異形の者達に阻まれて身動きが取れなくなっていた。リーオは従者だが戦闘センスがなく宛にならない。エリオットはそれなりだが、まだ多少人間らしき形が残っている相手に躊躇して動きを止めるほどの攻撃をすることはできない。しょうがなく、ティカは二人の護衛にへと回るしかなかった。

「ティカさんも」
「私は大事ない。あとで落ち合おう」
「何を言っ」

 不服そうなエリオットを無理矢理引っ張りリーオは走り出した。さすがにリーオは物分かりが良いな、と背後をちらりと見て二人の姿が見えなくなったところでティカはすっと構えを解いた。

「君たちはアヴィスに干渉したのだろう。すなわち、アヴィスに関わるモノ」

 短剣を持つ左手を前に出す。ティカを中心に周りの砂塵が渦巻く。地面からの上昇気流に髪や服がが靡く。

「おいで、親愛なる姉君(シスター)」



 はぁ、とティカは溜息を吐いて服の汚れを手で払った。ブレイクと合流するために元いた場所へと向かう。進んでいくと瓦礫に座るブレイクの姿が見えた。しかしそこにいるのはブレイクだけで、バスカヴィルの民の姿は見えない。

「お疲れ様デース」
「ロッティちゃんたちは?」
「いやぁ警告するとさっさと帰っちゃいまいました。残念、何の目的かも聞けず仕舞デス」
「…ザク君、私は敢えて何も聞かないでおこう。何を隠そうとしていたのか、聞いたところで話してくれないだろうからな」

 にんまりとブレイクは笑う。ブレイクにとってはティカがエリオットやリーオの方に行ったことが好都合だっただろう。本来、口止めまでしようとしていたことを結果的に見られなかったのだから。

「だが、貸しは貸しだ。聞かれたくないようなことをしていたのは事実だろう?」
「足元見ますネ」
「何とでも言え」

 ブレイクは立ち上がって飴を一つティカに手渡した。ブレイクは飴を噛み砕き、歪な音だけ奏でている。

「ティカ様、裾が汚れてます」
「…ああ、返り血だな」
「相変わらず容赦ない」
「あれらはもう人ではない。彷徨う魂を肉体から解放してやった。他に道がなかったんだからしょうがない」

 同情や迷いは命取りになる。割り切れないほどティカは若くはない。返り血で汚れた服に目を落としたがすぐに顔を上げる。

「つくづく理解し難い」
「何がだ?」
「その身を傷つけ、汚し、貶めてまでナゼ、バルマ公爵の言いなりになるんデス?そこまでする価値があの男にあるとは思えません」

 呆気に取られたティカは口を少し開きかけたまま止まる。そしてすぐに吹き出し、口元に手を押さえながらくすくすと笑った。

「そんなことをずっと考えていたのか?」
「悪いですカ」
「いや…だが考えるまでもない。取引したんだ。そうでなければ、あんな性格のひん曲がった胸糞悪い男の傍になどいるものか」

 口を歪めて心の底から嫌悪するような顔をする。その顔を見てブレイクは少し驚いたように目を見開く。ブレイクは、ティカがルーファスに盲従しているものだと思っていた。

「全て自分のためだ。この腕も、私の不注意が引き起こした結果であり、誰のためでも誰のせいでもない」
「…オズ君を庇っているつもりでしたら」
「違うと言っているだろう。…ああ、君達はこれがバスカヴィルによって受けた物だと思っているのか」
「!…そうではない?」

 ティカは薄く笑って肯定を意味する。ティカが骨折した瞬間を誰も知らない。オズから暴走した黒ウサギの鎖によって受けた怪我だが、勿論それを見ていた人間はいないために皆がオズを助けるためにバスカヴィルとの戦闘で負傷したと思っている。しかし真実を知ればまたそれもオズを悩ます要因になるのは確かであろう。

「私の不注意だ、気にするな」

 後々のことを考えてティカは結局真実を口にすることはやめた。そんなティカにブレイクは、躓いて転けた拍子に骨折したのかなどよっぽど恥ずかしい原因かと勝手に思案する。


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