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「痛いな」
「あ…すいません…」

 ギルバートに左頬の手当てをしてもらうがティカは染みる消毒液に顔を歪める。ギルバートは気まずそうに消毒を終えたティカの頬にガーゼを貼る。

「すまないな」
「いえ…」
「ギル君、怒っているか?」
「………いえ」

 そうは言っても目を合わせようとしてくれないギルバートにティカは眉尻を下げて笑う。いつかは露見してしまうときが来るのを充分理解し、覚悟をしていたはずなのに、ティカはどうしてかそれがとても苦しい。ギルバートはティカの前から早々に去り、レイムの手当てに移る。

「大丈夫か?レイム」
「あぁ、傷はさほど深くないみたいですが、血がなかなか止まらなくて」
「とりあえず包帯も巻いておこう」

 レイムとは何ら変わらない会話をしているから、やはりティカは避けられているのかと自嘲してしまう。自らが招いた結果だ、受け入れざるを得ない。だがこうもあからさまに態度を変えられるのは辛いなとも思う。

「ティカ様」
「ん?」

 ぼぅとしているとレイムが気を使ったのか声をかけてきた。

「腕は、大丈夫なんですか?」
「…問題ない。それよりも自分のことに集中しろ」

 相変わらず人のことばかり気にするレイムを諫めてティカはその場から、先程までいた観客席へと歩いていく。ルーファスよりも少し暗い赤い髪、ルーファスと同じ切れ長で鈍色の瞳、チェインとの契約で時が止まりいつまでも変わらない姿、バルマ家の血筋、何一つ望んではいない。全て拒むことさえ聞き入れられず与えられた物だ。せめて、髪と瞳の色だけでも母親に似れば良かったのにと思う。そうすれば鏡を見る度に自分の姿を忌み嫌うこともなかっただろうに。自分の姿が嫌いなどとこの年になってまで言わなければならない現状にも嫌気がさす。重たいカーテンを抜けると、観客席へと出ることができる。未だ目を覚ましていないらしいブレイクを心配そうに見ていたオズがティカを一瞬見て、すぐに逸らした。ルーファスがそれを面白そうに見ているからまた腹立たしい。

「不様じゃのう」
「お前が望んだことだろう、ルーファス」
「さて、これから汝はどうするつもりじゃ?」
「それは―」

 オズがブレイクに濡れたタオルを額に置こうとした瞬間、ブレイクは勢いよく起き上がった。

「ブレイク…」

 まだ夢から完全に醒めていないようで困惑したような表情を浮かべるブレイクは、ゆっくりと周りを観察して少しずつ落ち着きを取り戻す。

「…そうか、私は…バルマ(アホ)公爵の元に来て…そして…」
「だぁれがアホ公爵じゃ」
「…ああ失礼。アホ毛公爵の間違いでしたっけネェ…?」
「……………」

 靴音が響いて、ティカが来た方から手当てが終わったレイムとギルバートも姿を見せた。

「ザークシーズ、気がついたのか」
「レイムさん…」
「無闇に力を使うなと言っておいたのに…おまえという奴は…」

 レイムはコートをブレイクに押し付ける。ブレイクと目のあったギルバートはティカとはまた違った気まずさにやはり目を逸らす。

「…成程、私の過去については既にお話し済みですか…」
「感謝するがいい。汝が説明する手間を省いてやったのじゃ。これで心置きなく、その続きを話せるじゃろう…?」

 得意気なルーファスを横目に見てティカは溜息を漏らす。性悪は相変わらずか、と諦めにも似た感情だ。

「ブレイク…もし…その話をすることで、ブレイクの中にある何かを傷つけてしまうなら、オレは―」
「なぁ〜に遠慮してるんだか、このガキは。聞きたくてしょうがないクセにぃ。…ガキはガキらしく、自分のことだけを考えてればいいんですヨ」

 レイムに渡されたコートに袖を通し、胸の刻印を隠す。見えているとやはり皆の視線がそこばかりに向いてしまうのは事実だ。

「そろそろ話しておきますか…オズ君、アリス君、ギルバート君。これから私が話すことは少なからず君達3人に関わることだ。それを聞いてどうするかは君達次第。―だがもしも…この先、今日ここで話を聞いたことを後悔するような時がきたら………その時は、私を恨んでしまいなさい」

 ブレイクはルーファスと情報交換の約束も行う。与えられた情報には相応の情報で返す、ルーファスの流儀は少々面倒ながらも反故にされるようなことはない。ルーファスが求めるのは、ブレイクがアヴィスへと堕ちたときに接触したと予測されるアヴィスの意志の情報。それを聞き出すためにルーファスはオズとブレイクの面会を許可した。そしてティカは彼らからその情報を得るためにルーファスに遣わされた者。結局、さほど有力な情報を得られないままのティカはルーファスに不様と称され、オズやギルバート達からは避けられる対象となった。

「(正に、不様だな)」

 折角手に入れた信頼も呆気なく消えていく。ブレイクの話を聞きながらもティカはそちらにはあまり注意が向かなかった。どこにも居場所がないような、そんな感覚に陥る。立っているはずなのに床がぐにゃりと歪み、浮遊しているような気持ち悪さ。どんどんと遠くなるブレイクの声、暗闇が浸食する視界、重たい頭、ぷつりとそこでティカの意識が途絶えた。


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