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 部屋の中に充満するアルコールの匂いも飲んでいる人間にしてみれば全く感じない。オスカーが無事に帰ってきた後、オスカーの持ってきたアルコール入りのジュース、つまりはお酒で宴会騒ぎが始まった。オズもシャロンも十代で体は止まっているが実年齢は二十代のため大丈夫だとオスカーは皆に飲ませた。その本人も騒ぎ暴れまくった後に疲れて盛大な鼾をかいて寝てしまっている。シャロンも一口呑んですぐに女王様キャラへと変貌し、あれやこれやと無理難題を押し付けてきたが今は静かに寝息を立てて眠っている。そんなシャロンにブランケットをかけてティカはさらりとした髪を撫でた。

「ティカさんのんでるー?」

 オズが覚束ない足取りで近付いてきた。ソファの隣をぽんぽんと叩いてティカはオズを座らせる。

「あんまり酔ってない?」
「まあな、君らとは飲んできた年数が違う。この程度の量じゃそこまで酔わないよ。それに、一応怪我人なんでな、あまり飲むわけにもいかないだろ」

 ティカの言葉を聞いてオズの表情が陰った。

「ごめん…なさい。オレのために、そんな怪我まで…」
「オズ君、これはオズ君のためにした怪我ではない。立ち向かわねば自分自身が危険だと判断したからだ。気にすることはない」

 それでもオズは気にしないわけにはいかない。ティカがそうは言っても、バスカヴィルの民から自分を助けるためにしたことであり、結局やはり自分がいなければこんな怪我もしなかったのに。そう考えてしまう。だがオズが考えているように、ティカの怪我はバスカヴィルによって負傷したものではない。原因は、正確にはオズにある。そんなことを言えば今は無自覚な加害者のオズをまた落ち込ませるのは目に見えているから真相はティカだけの中に留めておく。まだ暗い表情のオズにティカはたまりかねてデコピンをした。

「痛っ」
「そんな顔をされたら、私が間違ったことをしたみたいじゃないか。私が…結果として、オズ君を助けたことは間違いだったか?あのまま何もせず帰るべきだったか?」
「………っ、ううん。そんなことない!」
「よし、じゃあそんな顔はするな」

 脚に肘をついて頬杖を突くティカはにかっと笑う。つられてオズも頬が緩むが、ふとある単語が思い浮かぶ。“バスカヴィル”という単語が。そういえば、ティカは彼らと知り合いのようだった。聞いていいものかオズは悩む。仮にも四大公爵家が二人もいる場で(二人共寝ているが)それを聞いていいものか。でもきっと今の機会を逃すと次はもう来ないようなそんな気がしてオズは意を決する。

「あの…ティカさんは、バスカヴィルの民とどういう関係…?」
「…ああ、それも説明しなければならなかったな」

 一瞬の間、だが話を逸らされはしなかった。

「彼女たちは、私を私として、ただの『ティカ』として接してくれる唯一の者たちだ。知り合ったときもお互いにバスカヴィルだとかパンドラだとか、そういう先入観無くてな、私は嬉しかったんだ」
「でもバスカヴィルだってことは…」
「ああ、今は知ってる。だからと言って私は彼女たちと縁を切ろうとは思わなかった。世間的には大罪人かもしれない、赦されるべき存在じゃないかもしれない、だけど…、その前に彼女たちは私の友人なんだ」

 鈍色の瞳が伏せられた。柔らかそうな深紅の髪がはらはらと肩から胸に流れ落ちてくる。

「…だが、私は彼女たちと相反することを選んだんだ。私はパンドラの一員として、選択したんだ。間違ったことをしたとは思っていない。彼女たちもバスカヴィルの民として選択したのだから」

 そう言いつつ、どこか心残りがあるような寂しげな笑みを見せた。オズは何と声をかけるべきか迷い、とにかく話を変えようと口を開いた瞬間にズシンと上から重圧がのしかかった。

「なぁに話てるんですカー?」
「ブレイク…重い…っ」
「私も混ぜてくださいヨー」
「残念だが、話は終わったよ」

 ティカはすくっと立ち上がる。そのまま扉の方へと歩いていき、部屋から出て行こうとするのでオズは背筋に冷たい物が走って慌ててティカの服の袖を掴んだ。扉に手を掛けたままティカは振り返ってきょとんとした顔を見せた。

「どうした?」
「え……っと、外、寒いよ?」
「…ああ、大丈夫だ。少しだけ部屋に戻ってブランケットを取ってくるだけだ。どこにも行かないよ」

 オズの頭を優しく撫でて冷たい手で袖を掴むオズの手を解いた。まるでオズが何を思ってティカの服を掴んだのか分かっているようだった。このままどこかに行っていまいそうな、いなくなってしまいそうな、そんな気がした。ブレイクに突然コートを渡されて首を傾げているとバルコニーを指差した。ブレイクについて行き、バルコニーへと向かう。

「バスカヴィルの民と仲良しとはネー」
「えっブレイク聞いてたの?!」
「聞こえますヨーあんな大声で喋ってたら」
「………」
「まあ、さほど驚きもしなかったですケド」

 ブレイクの吐く息が仄かに白くなって流れていく。

「ブレイクは、ティカさんのことどれくらい知ってるの?」
「全く知りませんヨ」
「……」
「全く知らないからこそ、バスカヴィルと親しくても驚きはしないんデス。あの人が何を考えてココにいるのか、どのような人と親交があるのか全く知らない。私だけでなく、ずっと関わっているレイムさんですらどこまで知っているのか怪しいぐらい…、そんな人ですヨ」

 コップ片手にブレイクは笑う。だがその目は笑ってはいない。表面上は親しげにしているがティカのことを信用しているわけではないとオズは悟った。そういえば、どうしてティカはオズの傍に突然いることを決めたのか。仕事をしたくないと言っていたが本当にそれだけの理由なのか、何か他の理由があるんじゃないか、そもそもどうしてオズがアヴィスから帰還したことを知っていたのか、疑い始めたら歯止めが効かなくなってしまう。


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