lilac | ナノ
オズが目を覚ましてから再び歩き出した。エリオットが見つけた出口に繋がる通路を進む。俯いたままのオズに何か声をかけるべきかと考え倦ねるティカだが、それと同時に右腕の痛みが気になって仕方がない。あの黒うさぎの鎖を防いだことが原因だろう。石造りの壁や床に亀裂を生じさせるほどの威力だ。腕の骨ぐらい簡単だろう。
「…どうした?」
はっとしてティカは顔を上げるとエリオットの視線はその場に膝を突くオズを向いていた。
「いえ…ちょっとヘコんでるだけです」
「は?」
「自分のダメさ加減に…気づいてしまいました…」
「…エリオットが言い過ぎるから…」
「そうだな」
「オレのせいかよ!?」
うんうんとリーオの言葉に賛同する。リーオはずばずばと的を得たことを平気で主であるエリオットに言う。
「…オレは…ずっと同じ場所にいたんだ。あの時から…ちっとも前に進めていなかった…それが情けない。悔しい…!」
「バッカか、おめーは!」
涙ぐむオズは言われたことをちゃんと解釈できずに呆然としている。
「リーオの言う通りオレはおまえの事情なんて知らねぇけど…だけどおまえは『気づけた』んだろう!?だったら―」
エリオットはオズの腕を引っ張り立ち上がらせる。それは物理的にも、精神的にも。
「その時点で既に一歩前へ進んでんだよ!!そこから先は好きにしろ!そのまま進もうが戻ろうが、違う道を行こうが全ては…おまえ次第だ!」
通ってきた道から風が吹く。まるで前に進めと肩を押してくれているようだ。階段を登りきれば出口はもうすぐそこに見えている。
「…やれやれ、やっと外に出られたな」
「まったくだ!」
「―そういえば、まだお礼を言ってなかった」
「あ?」
「ほら…沢山助けてもらったからさ。ありがとな、エリオット」
へらっとオズは笑う。今までよりも腑抜けたような笑顔だが、それでも前よりはずっといい笑顔だ。
「それより早く学校に戻らねぇと…」
「荷物も置いてきちゃったからね…中の楽譜が無事だといいんだけど」
「楽譜!?」
オズが突然エリオットの肩を掴む。
「オレ…あの曲について知りたいんだ。作曲者、曲名、なんでもいいから…!」
「くっだらねェ。何を言いだすかと思えば」
「ちょ…」
「あれはオレが作った曲だ。……曲名は…『レイシー』。…んだよ、なんか文句あんのか」
その曲名にオズは何か引っ掛かることがあるようだ。それからオズは考え込むように俯いた。
「とりあえず森を抜けよう。早くこの泥塗れの服を着替えたい」
「ああ…そういえば、ティカさん何で制服着てるの?」
「ん?企業秘密だ」
「さっきセキュリティーシステムがどうのっつてたじゃねぇか!」
「……あ、そうだな。セキュリティーシステムの調査だ」
嘘を吐くなら最後まで貫き通せばいいものを、ティカは自分が吐いた嘘も忘れていた。結局またエリオットに何で侵入したんだと問い詰められる。だがそれも話題を変え、答えようとはしない。そうこうしているとラトウィッジ校に戻ってきた。
「ああ、そういやおまえの名をちゃんと聞いていなかった」
「え…」
「詳しい事情は後にしても、とりあえずは名前ぐらい教えろよ」
オズは名乗ることを躊躇う。エリオットはベザリウス家に対して毛嫌いしているのは明らかだ。どちらにしても選ぶのはオズ自身だ、ティカは何も言わない。右腕に左手を宛てがい立っている。
「オレは」
「オズ!!無事だったか!!!」
決心を固めたオズの言葉を遮り、現れたのは久方振りに見るような気がするギルバートだった。
「だああああギルてめぇ、空気読めよこのっ!!!」
「は!?何を怒って…」
決心を簡単に崩されたオズはギルバートを足蹴にして怒る。しかもアリスを置いてオズのところに来たと言うとさらにオズの怒りは募る。
「ギル…バート…?」
「エリ…オット…?お…おまえもこの学校に…?」
ギルバートは気まずそうに笑うがエリオットに目を合わせようとはしない。
「あ…驚い…たな…こんな所で会うなんて…どうだ?元気にして」
「な…なぜ…貴様がここにいるー!!!」
剣を抜いたエリオットは物凄い剣幕でそれをギルバートに向かって振り下ろした。そのまま止まることなくエリオットは剣を振り回す。
「エリオット!」
「しかもなんだその格好は…!24にもなって学生服など、恥を知れ!!!!」
ギルバートは言い返すことができない。オスカーに強要されたとは言え、制服を着ているのは確かに酷い話だ。
「確かに、ギル君は制服など自粛すべきだったな」
「えっ…ティカさん…?」
ギルバートがお前が言うかというような視線をティカに送る。
「ちょっと…やめろよエリオット」
「うるさい!大体おまえはなんなんだ!!どうしてあの男を知っている!!」
「オレは…」
「エリオット!そいつに乱暴したらいくらおまえでも許さんぞ!」
「はあ!?」
オズの腕を掴んでエリオットは自分の方に引き寄せようとする。ティカは嫌な予感がして、ギルバートの肩を掴んだ。
「そいつはオレの主人…オズ=ベザリウスだ!!」
その瞬間、エリオットが無意識にオズの腕を振り払った。あぁ、とティカは額に手を当てて溜息を吐く。
「馬鹿を抜かせ…!オズ=ベザリウスはアヴィスに…いや…10年前に死んだと聞かされている!」
「そんな話…!」
「行くぞリーオ!校長に早く今回のことを説明しなきゃならない」
「エリオット、オレは…」
「うるさい!!」
弁解しようにもエリオットはそれも拒否する。
「おまえの言うことなど…信じられるか!!!」
「…ふぅ、エリー君、私も校長に説明しにいくよ」
「ティカさんは、それよりも医務室行った方が…さっきから右腕、動かしてないよね?」
「……さすがにリーオ君は目聡いな」
右腕の肘を左手で持ち上げ、ぶらんとなった右腕を見せる。それにリーオ以外は全く気付かなかったのだろう驚いた表情を見せた。
「医務室よりも帰ってから医者に診せるよ。折れているのかヒビだけなのか分からないがな、専門医に診せた方が確実だろう」
「…っなんでもっと早く言わない!!」
「そう怒るなエリー君、あんな場所で言ったところで何もできまい」
骨折などどれだけの痛みを耐えていたのだろうか。誰にも気付かれないように、平静を装いながら此処まで歩いてきた。並大抵の忍耐力ではできない芸当だ。何か物言いたげだったがエリオットは早く帰れとだけ言い残してリーオと共にその場から立ち去った。
「さあ、オスカー君たちとも合流して帰ろうか」
にこりと笑うティカだがオズとギルバートは笑えなかった。勿論ティカのことが気にかかってもあるが、エリオットのこともである。どんよりとした雰囲気を主従二人で纏いながらとぼとぼと歩いていく。