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 緊迫した空気が流れる。オズを誘拐しようとしたバスカヴィルの民の傍らにはライオンの姿を模したチェイン、此方は四人いるがたかだか剣だけでチェインに適うはずがない。ティカがラトウィッジに来る前からずっと担いでいる細長いケースには恐らくいつも持ち歩いているレイピアがあるのだろうが、それでも此方の分が悪いことには変わりない。そして今、そのティカがバスカヴィルの民と顔見知りであることが判明した。バスカヴィルと面識があるのならば今まで剣を交えたことがあるのかもしれない。だがそんな雰囲気でもない。ティカは担ぐケースからレイピアを取り出そうとさえしないのだから。ティカのことは信頼しているし信用したい、だが余りにもティカを信用するに値する情報が少ない。パンドラに所属するからには貴族だとは知っている、だけどそれ以外に何を知っている?チェインと契約して成長が止まっている、シャロンやブレイクと仲が良く、いつも全てを知っている傍観者のような態度。オズは改めてティカのことを何も知らないと気付かされる。まだ出会って間もないこともあるが、隣にいるエリオットの顔を見ると同じように戸惑っているようだった。知らないのだエリオットも、ティカのことを。

「どうしてこんな所にいるのかしらぁ?」
「私がどこにいようとロッティちゃんに関係はないだろう?」
「そうね。でも今は違うわ、関係大有り」
「そうだな、確かに今の状況では私とロッティちゃんは対立しているな」

 ごくりとオズは生唾を飲み込む。まさかティカがあちら側に行くようなことはないだろうか。もしも、ティカにとって自分たちよりもバスカヴィルを優先すべき対象だとされたら、でもさっきは助けてくれたじゃないか、わざわざまたオズをバスカヴィルに引き渡すようなことはないだろう。そう信じたいのにどうしても何かが引っ掛かって確信を持てない。ティカは肩を竦めてかつんと一歩踏み出した。

「悪いが、此処は退くわけにはいかないんだ。彼らに危害を加えるつもりなら私は此方に立つ。ロッティちゃんを傷つけようともな」

 ハッとロッティは乾いた笑みを見せた。オズとエリオット、リーオは前に立つティカの背中を頼もしげに見つめる。担いでいたケースを手に取り、その中からすらりとやはりレイピアを抜いた。

「できれば今日は諦めて帰ってくれないか?」
「冗談でしょ?用があるのはそっちの坊やだけ、邪魔するならティカでも容赦はしないわ。ついでにさっきの銃を撃ってくれたお礼もしなきゃね」

 きゃはは、とロッティは笑う。オズは近くにあった剣を手にする。

「おまえ…剣使えんのか…?」
「身を護るための術は一通り叩きこまれてるよ。あー…ぶっちゃけおまえより強いかもしれないな」
「言ってろ、ボケ」

 バスカヴィルの二人の男も到着し、結局四対三だ。いや、チェインであるリオンを数に含めば同等。

「いいわよリオン…久々の外で気持ちがいいでしょう。仔猫ちゃんと戯んであげなさい!」

 リオンが飛びかかってくる。オズは剣で受け止めるがその重圧に耐えきれず剣を手放し、倒れ込む。

「…って弱えな!!」
「実戦経験ないからねっ!!」
「悠長に話をしている場合じゃない」

 オズの襟首を引っ張りリオンの爪から逃れさせる。エリオットは大剣を持つ男に剣を振るが回避され、逆にカウンターをくらう。大剣でぶっ飛ばされ、木箱に豪快に突っ込んでいく。そこにティカがレイピアで攻撃を仕掛ける。チッと男の頬を切っ先が掠め、すぐに体勢を立て直し相手の攻撃を後ろ飛びで回避する。

「ファング君、レイピアの特性は知っているだろう?」
「ええ、だから折らせてもらいます…!」
「やれやれ酷い」

 細い刀身のレイピアは斬り合いには向かない刺突に徹した剣だ。刀身を攻撃されればその細さでは耐えきれず折られてしまうことは確かである。だからこそ扱う者の力量が試される。それでもティカはにっと笑いファングの剣を避ける。

「しかしこちらばかりに気を取られていいのですか?」
「…っ」

 ファングの言葉にオズへと視線を向けた。リオンに咥えられたオズが投げ飛ばされていた。地面を蹴ってオズを受け止めようと自然に手が伸びた。だがその手がオズに届くことはなく、オズから眩い光とオズを守るように無数の鎖が現れた。ティカは自分の体を守ることに徹するため伸ばした手を引っ込めて顔の前で交差させる。パシッと一つ鎖が腕に当たり、壁に吹き飛ばされた。何が起こったのか把握するためにすぐに顔を上げオズに目を向けた。オズは項垂れてその場に座り込み、その頭上には“黒うさぎ”が同じように項垂れて存在した。

「…………血染めの黒うさぎ…」
「ああ…やっと出てきてくれたわね…ジャック=ベザリウス…!!」

 立ち上がったオズの背後には見慣れない姿があった。オズと同じ金髪で翡翠色の瞳、だがそれはオズではない。その姿は実在しないかのように透けていた。

「久しいな…バスカヴィルの民よ―…!」

 オズの口から発せられているのにオズじゃない声が聞こえる。その姿が現れてから重圧のような物を感じる。じんじんと痛む腕に手を当ててティカはそれから目を背けることができなかった。

「こんな形で再び出会うことになるとはね…ロッティ」
「…………」

 ロッティの口にした名、ジャック=ベザリウス。それは100年前のサブリエの悲劇の英雄。オズの中に存在するとは聞いていたが実際に自分の目で見るのは初めてである。

「ねえジャック…あんたなら知ってるんじゃないの…?グレン様が今…どこにいらっしゃるのか…」
「…ロッティ、勘違いをしないでおくれ。私が表に出てきたのは話をするためではない。君達をこの場から退けるためだ!」
「何よ偉そうに!!英雄とか言われていい気にでもなってるわけ!?」

 激情したロッティはジャックに対して今まで思い溜め込んでいたのだろうことを吐き出す。ロッティにとってグレン=バスカヴィルの存在は大きなものなのだろう。

「私がっ…!…私が…出世のためにグレンを殺したと…そう言いたいのかい?…いいかい、シャルロット、これ以上の警告はしないよ」

 オズの周りに砂塵が渦巻く。床の亀裂がさらに増していく。

「黒うさぎの力に君達は勝てない。だから―…退きなさい!」
「ロッティさん」
「…………」
「…ロッティ、私が多くを語らないのは大切な親友の名誉を守るためだ。君達がまた同じことを繰り返すというなら、この身は再び死神を滅する剣と化すだろう」
「…好きにしなさいよ。私達はただ主の命に従うだけだわ。あんたがグレン様を殺そうと、何度でも、何度でも、あのお方を見つけだしてみせる―…!」

 そう言ってバスカヴィルたちは去った。弾かれたようにティカはその場に崩れるオズに駆け寄った。その体を今度こそ受け止め、抱えたまま座った。ジャックもオズから離れたようで先程のような重圧感はなくなった。エリオットとリーオにも見る限り大きな怪我はないようでほっと一息つく。

「君の存在意義は何なんだろうな、オズ君…」

 ぽつりと呟いた言葉には誰からの返事もない。


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