届くにはまだ遠く
「あんまり甘やかさないで。」
教室を出たところで、跡部がことりに言われた言葉だった。本日の出来事からすると、乃亜の事だとは理解できた。
「何のことだ。」
しかし彼女だけを甘やかしているわけではなく、そもそも甘やかしているつもりもないので、疑問形で言葉を返した。
「乃亜よ。甘やかしたってあの子、改善しないんだから。」
教室を気にしながらことりは言った。中にいる本人が出てこないか見ているのだろう。
「べつに俺は甘やかしているつもりはねぇぜ。飯のことなら、倒れられたら困るからな。」
このまま偏った食生活を続けていたら、必ず健康に支障をきたしてしまう。ただでさえ、標準より細身のなのに。
「あれは・・・いーのよ、いっぱい盛れば。食べてくれるならいいの。問題はその後、先に出て行った時。気を使ってついて行ったんでしょ?言い方が悪かったとは思ってる。」
ーーー『真面目に相手してるアタシらが馬鹿みたいだから。』
崋山はそう言った。その言葉に一瞬、本当に一瞬だけ目を逸らしていた。すぐに食事を取り始めていたが、あれは動揺を隠そうとしていたように見えた。
「でも、他の人が努力したり、真面目にやってるところを適当な態度でいられると腹が立つの。アタシも。他の人だって。人の努力を嘲笑っているように見える。」
崋山の言いたいことはわかる。
相手側のモチベーションが下がることも。
「荒波のことはお前の方が知ってるだろ。本人にしっかり伝えてねーのか。」
「再三言ってるんだけどね。あの性格でしょ。ごめーん、で終わり。」
崋山はため息をついた。佐倉の話では、崋山と荒波は幼馴染らしい。佐倉は中学から知り合ったらしく、あの性格故に、そこまで気にしていないのかもしれない。
「そもそも、元の世界じゃ部活もクラスも違ったから、あそこまでとは思わなかったの。だってあの子、友達たくさんいたみたいだし?前からそうならあんなに友達できないでしょ。」
以前がどうなのかは知らないことなので、否定も肯定もしなかった。
「・・・好きな世界に来れて嬉しいのかな。でもこんなんじゃ嫌われちゃうでしょ。」
「気にしてる割には口調強かったけどな。」
「あれはつい腹が立ったの。協調性が大事な運動部にいたくせに、大事な時にやらない。」
崋山はいつも冷静だ。そして少し口が悪い。そこらへんの女子みたいにカマトトぶったりはしない。嫌なものは嫌という。白黒はっきりさせたい性格なのか、自分に非があるときは素直に認めていた。
「乃亜って口だけのとこあるから。アタシが言っても直してくれない。アタシが言っても、もう慣れちゃってるのよ、小さい頃からだもん。」
「崋山が姉代わりだったのか?」
父親にも存在を認めてもらえない、と言っていた。実の両親が子供を放置するなんてあるのかよ。
「・・・乃亜のお母さん、乃亜を産んだ時に亡くなっちゃったらしくて、小学校上がるまではうちで見ることが多かったの。夜にお父さんが迎えに来て。実際アタシも弟いるから、妹みたいな感覚だった。」
自分にはいない、 “ お母さん ” を見るのはさぞ悲しかっただろう。
「ま、それも中学に上がってからはなくなったけど。」
どこか悲しそうに崋山は言った。
「とにかく、あんまり甘やかしても、あの子のためにならない。改善するとは思えない。」
「さっきも言ったが。」
「わかってる。でもこのまま、万が一また空気が悪くなったら、跡部も嫌でしょ?ギスギスするの。」
宍戸の件は一応解決したはずだ。
しかし、向日や日吉はあまり良い感情を持っていない。四天宝寺との練習を一時中断してしまったことが、より不信感を抱かせたのだろう。
それに加えての部活時の行動。
いくら言っても、本人が改善する気がなければ意味のないこと。
「たしかに部活中断させられたら困るが、俺が言っても聞かないと思うぜ?」
「そん時はそん時よ。」
崋山は幼馴染として、幼少期から面倒を見ていたから、それが使命感になっているのだろうか。また荒波が何かをすれば、これだから異世界の人間は、と他の2人まで悪い印象を持たれる。自分がその立場だったらたまったもんじゃないが、そんな差別はしない。
「・・・教子に悪いじゃない。あの子、あんな一生懸命やってるんだがら。」
呼び止めて悪かったわ。
崋山はそれだけ告げてクラスに戻って行った。荒波だけではなく、佐倉の事も心配していた。
教室に戻れば、相変わらず机に突っ伏していた。
「あはは、迷惑だってさ。」
席に着いた瞬間俯いたまま言われた。
「自覚ねーの。」
「あるよ。」
俯いたまま返ってきた声はこもっている。
「・・そうだよねー。みんなに嫌われるのは嫌だなー。」
本当にそう思っているのか、判断のし難い声色だった。
「まずはサボらず真面目に部活をやる事だな。」
「ん。」
荒波は短い返事を返して姿勢を正した。
そして机から次の教科書を出した。興味なさそうに教科書をめくりながら小さく呟いた。
「ここで嫌われても、逃げ場なんてないもんね。」
俺は否定も肯定もしなかった。
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