やわらかな宵の下で 


*恋人設定。槙視点。 
*誕生日。


***


「あの、来月のこの日…慶くんと予定合えば旅行行きたいな、って思ってるんだけど…どうかな…?」

2月の半ば頃の休日。リビングで寛いでいたら、何かを思い出したかのようになまえは自分のカバンから手帳を取り出してきて、カレンダーを見せながら珍しい提案をしてきた。普段、旅行なんて提案しないのにどうしたんだろうか。彼女からの予想外の誘いに驚きながらも、思い当たる事がないか考えを巡らせていれば、一つの可能性が見えてくる。だけど敢えてそれに気付かないフリをしてから自分のスケジュールを確認し、小さく首を縦に振り「大丈夫だ」と予定が無い事を伝え、行くという承諾の意思を示した。俺のその言葉に嬉しそうに安堵するなまえを横目に、俺は自分のスマホのスケジュール表に「なまえと旅行」と予定を書き込んだ。



時間は、仕事をしていたらあっという間に過ぎていった。
当日。天気は見事な晴天だ。朝早くに出発し新幹線を乗り継ぐ事数時間、目的地に到着した俺達は宿泊先に荷物を置いてから、旅行を満喫した。予定を立てていた場所には一通り足を運び、観光名所から見える景色などをカメラに収めて充分に楽しんだり、なまえが行きたいと言っていたスイーツのお店にも無事に行けて目当ての物を食べる事が出来た。
そして今、日が暮れてきたタイミングで宿泊先に戻った俺達は有名だと言われている天然の温泉に入り浸かってから、マッサージなどの施しも受け夕食を取り終わった所だ。

「天然の温泉も、サービスでついてるマッサージも気持ち良かった。…それに、ご飯も美味しかったね」

酒を摂取したからだろうか、畳に敷かれている布団に足を伸ばして寛ぎながら満足そうに言葉を零すなまえの頬は少しだけ赤く染まっている。俺も彼女の隣に敷かれている自分の布団で寛ぐように足を伸ばし、先程味わったご飯の味を思い出す。

「ご飯もだけど、刺身が特に美味かった。…あと、酒も。あまりしつこい感じじゃなかったせいか、結構飲んだな」
「うん、お酒美味しかった。私にしては珍しく多めに飲んじゃった気がするし…」
「…確かに。顔赤くなるくらいには飲んだな」
「え、ほんと…?」
「ん。いつもより飲んだんだし、体調悪くなったりしたら直ぐに言えよ」
「大丈夫だよ。…心配してくれてありがとう、慶くん」

なまえはそう言いながら赤い頬のまま笑顔を浮かべている。そして暫く談笑した後、なまえは何か言いたそうに俺の方をじっと見つめてきた。

「どうした?」
「…あの、慶くんに、見てもらいたいものがあって、」
「見てもらいたいもの…?」

そわそわとした様子で視線を泳がせてそう言葉を口にする彼女に、思わず首を傾げてしまう。なまえは小さく頷き返してからゆっくりと立ち上がって、閉めていた広縁の障子をそっと開いて進んでいった。そんななまえを追うように、俺も立ち上がり広縁の中へと歩みを進めていく。そこに足を踏み入れた瞬間、見えた光景に思わず息を呑んでしまう。

「これは…凄いな…」

零れた一言に、隣からは安心したような溜め息が聞こえてくる。広縁に入り窓越しに見えた光景。それは、夜空を埋め尽くさんばかりの星々の数で。その光景に目を奪われていると、隣でなまえが言葉を紡いでいく。

「慶くん…遅くなっちゃったけど…誕生日、おめでとう」

伝えられたその一言に、窓の外に向けていた視線をなまえへと移す。俺の様子を見て安心したのか、嬉しそうに笑うその頬は、まだ若干赤みが帯びていた。

「(やっぱり…俺の誕生日の為の旅行、だったのか…)」

先月に言われた彼女からの提案と日程。日付的に俺の誕生日のある週末だったし、なんとなくそうだろうという事は感じていた。どうやらその予想は的中したようだ。

「なまえと旅行に行くなんて初めてだったから、なんかあるのか?とは思ったけど。…そういう事だったんだな」
「だ、黙っててごめんね…。でも、誕生日に何か記憶に残る事したいなってずっと考えてて…。それで、旅行に行って色んな所に行ったり景色を見たり、美味しいもの食べたり出来たら良いなって思ってて…。それで色々調べたら、この季節にたくさんの星空が見えるっていうから…ここにしてみたんだ」

自信が無さそうに説明をする彼女の瞳は真っ直ぐに俺に向けられながらも、不安そうに揺れている。何も不安に思う事なんて無いんだけどな。そんな気持ちが彼女へと伝わるように不安そうにしている彼女を安心させる為に、そっとなまえの小さい手を握り締めた。

「そんな顔、しないで良い」
「え…?」
「旅行中、ずっと楽しそうにしてたなまえも見れたし、景色も綺麗で美味いものも食べれて、こんなサプライズみたいな星空も一緒に見れて。…俺の為にこうして色々考えて計画とか立ててくれて、一緒の時間を共有出来た事が何より嬉しいから…」
「慶、くん」
「ありがとうな」

空いている方の手で頭を撫でてやれば、安心したのか笑顔を浮かべて握った手を優しく握り返してくれる。その温度が心地良くて思わず口元が緩んでしまった。

「あ、あと。一応、なんだけど、ちゃんと誕生日プレゼントもあって…」
「え、」

なまえからの予想外の発言に驚いている俺を余所に、当の本人はもう片方の手でこっそりと持っていた薄い緑色のプレゼント用紙で包装されている、真ん中より少し斜め上くらいに控えめな白のリボンがあしらわれている箱を俺に差し出してくれた。

「こっちは誕生日当日に渡そうと思ってたんだけど、今年は会えなかったから…遅くなっちゃってごめん…」
「いや。…むしろ、わざわざ悪い。…今、開けてみても良いか?」
「うん。既に持ってる物だったら申し訳ないんだけど…」

撫でていた手と繋いでいた手をゆっくりと離してからプレゼントを受け取り、彼女から許可を得てからプレゼントの包装紙とリボンを丁寧に解いていくと、白い箱が顔を覗かせる。その箱をそっと開けてみれば中から出てきたのは。

「名刺入れ?」
「…うん」

中に入っていたのは黒革製の名刺入れだった。シンプルなデザインだけど縁の部分に少しだけ刺繍がしてあるのが、隠れたお洒落みたいだ。スリムなタイプで持ち運びかに良さそうだし、触り心地も悪くない。中々使い勝手が良さそうな名刺入れだ。

「何が良いか悩んで、確か…名刺入れ、前に買わなきゃって言ってたのを思い出したから…」
「…確かに言ったけど。でも…それ言ってたの、結構前じゃなかったか?」

彼女からの言葉に、その発言をしたのが結構前だった事を思い出す。それこそ、繁忙期で忙しい時期くらいだったか。あの時は取引先との挨拶含め色々な所に飛び回っていて、その時に今まで使っていた名刺入れがくたびれてきたなと思い、そんな事をぼそっと呟いたはずだ。本人も忘れているような小さい独り言を拾ってくれて、かつプレゼントしてくれるなんて思ってなかった俺は、嬉しさのあまりつい口元を緩めてしまう。

「……」
「慶くん?」

何も言わない俺を不思議に思ったのか、なまえが不安そうに俺の事を見つめてくる。俺は、緩めてしまった口元を引き締め直し、息をゆっくりと吐き出してから彼女と視線を交差させた。

「…ありがとう、本当に嬉しい。大事に使わせてもらう」

貰ったプレゼントを大事に持ち直して、そっと小さい彼女の身体を優しく抱き締める。なまえは少しだけ動揺して一瞬だけ身体を強張らせたけど、直ぐに俺の背中に腕を回して「受け取ってくれて、…一緒に過ごしてくれてありがとう」と小さく小さく言葉を零した。嬉しい気持ちが高揚して素直に吐き出される彼女の言葉に、擽ったい気持ちになってしまう。

「(…嬉しい気持ちにさせられたのはどう考えても俺の方、なんだけどな)」

俺の腕の中で大人しく抱き締められているなまえを見ながら、ぼんやりと思考が過る。旅行中、ずっと俺の隣で楽しそうにしていて、彼女と同じ時間を過ごせたって事だけで俺は充分すぎる程幸せだった。たぶん、この気持ちは彼女が想ってくれているものと同じなんだろう。

「なまえ。……ありがとうな」

こうして計画を立てて旅行に来て祝ってくれた事、記憶に残る誕生日にしてくれた事、プレゼントをくれた事、一緒に楽しんでくれた事、ずっと傍にいてくれてる事。色んな事に対しての感謝を何回でも伝えたくて、彼女の名前を小さく零すように呟いてから感謝の言葉をもう一度伝える。そうすれば、なまえは顔をそっと俺の胸元から上げてから首を緩く横に振り、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「こちらこそ…ありがとう。…大好きだよ」

頬を赤く染めたまま幸せそうに笑って伝えてくれたその言葉の一つ一つに、胸が温かい気持ちに染まっていくのが自分自身感じていく。そんななまえにつられるように俺も口元を緩めてそっと額に口付けを送れば、擽ったそうに更に笑みを深めてくれた彼女が視界に映る。明日は、彼女が行きたい所に連れて行って同じくらい幸せな一日を過ごそう。そして、次の彼女の誕生日の時は、同じようなサプライズを送ってみよう、幸せそうに笑う彼女を見て、そう心の片隅に誓った。


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