かけがえないものが溢れる 


*恋人設定。槙視点。
*ブライダル。


***


「わざわざ呼び出してごめん。二人にお願いがあるんだけど」

平日の夜19時過ぎの亜貴のアトリエに呼ばれたのは、俺と恋人であるなまえだ。
俺達二人がアトリエに入って早々に告げられたその一言に俺達は顔を見合わせてから、言葉を発した張本人…亜貴の方へと視線を向ける。亜貴が改まってこうやって言ってくるのは珍しい。深く吐いた溜め息の後、亜貴はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「今度開催される模擬結婚式のモデルとして、二人に出てもらいたくて」
「模擬結婚式?」

亜貴から伝えられた一言に、思わず二人して首を傾げてしまう。どういう事か理解が追い付かない俺達に、亜貴は簡潔に説明を続けてくれる。

「実は、取引先から依頼されたウェディングドレス、ブライダルフェアの模擬結婚式用に作ったんだけど、そのドレスを着るモデルの子が急遽出れなくなっちゃって。その代わりを探してるんだけどギリギリなのもあってか、中々見つからないんだよね」

深い溜め息を吐きながら深刻そうに続けられた亜貴からの言葉に、話しが繋がっていく。
俺もなまえもこういった催しを表立ってやるタイプでもない事を長い付き合いである亜貴は分かっている。本当にモデルが見つからなくて困っている時でも、亜貴はなんとかして自分の作った服に見合うモデルを探して依頼をしたりするし、なるべくなら俺達に負担が来るような事は避けている。だから、こうやって直々にお願いするという事は相当切羽詰まっているという事なんだろう。

「…でも、私に出来るかな。緊張してもしも失敗とかしたら…」
「そこはやるとなったら、俺もフォローするから」

亜貴からの一通りの説明に、なまえは不安そうな表情と言葉を零し、俺はそんな彼女を安心させるように優しく言葉を掛けてやる。気持ちは分からないでもないし俺自身も不安が無いわけじゃないけど、だけど亜貴の為にも出てやりたいという気持ちも同じくらいにある。
俺達のやり取りを亜貴はじっと黙ったまま見つめていて、トルソーに飾ってあったウェディングドレスに少しだけ視線を移してから、今度はなまえの事をじっと見据えた。

「亜貴くん…?」
「どうした?」
「…なまえが断るならもう一回モデルを探そうと思ったんだけど」
「だけど…?」

亜貴が途中で止めた言葉をなまえが不思議そうに繰り返す。しっかりと彼女を見据える亜貴の瞳には自信に満ち溢れているような色が映っていた。

「今回作ったウェディングドレスのイメージと、着る予定だったモデルの子の雰囲気が、なまえに似てるんだよね。だから、やっぱりなまえに着て貰いたい」
「私に…?」

迷いもなくしっかりと告げられた一言に、なまえは数回瞬きを繰り返す。その繰り返された言葉に亜貴は頷いてから、今度は視線を彼女の隣にいる俺に向ける。

「それで、なまえに着て貰うって考えた時に隣に立つのは、やっぱり慶ちゃんが理想。前にも二人には別の時で試着してもらった時あったけど、二人が並ぶと雰囲気全体が柔らかいしバランスも良い。まあ、普通は恋人同士が模擬結婚式のモデルをやるって事はあまり無いらしいんだけどね。でも、実際の恋人がやった方が見てくれてるお客さんもイメージ湧きやすくなると思うから」
「亜貴…」
「もちろん、どうしても難しいなら断ってくれても良いんだけど。でもそうじゃないなら、是非二人にお願いしたいなって思う」

亜貴は俺となまえをじっと見据えて、はっきりと自分の意思を伝えてくれた。だけどその言葉の中には「決して強制では無いし、無理はしないで良いから」という意味合いもちゃんと含まれているのが分かる。…でも、デザイナーである亜貴に妥協されるのは選ばれた側からしても嬉しいし、何よりやっぱり助けになってやりたいと思う。
俺自身の返事は決まっているがなまえはどう思っているのか。ちらりと彼女の方に視線を送れば、丁度俺の事を見ていたのか視線が交差した。彼女は少しだけ不安そうにしていたけど、それでも俺と同じ答えを決めてくれたのか、小さく頷いてくれた。



「これで良いか?」
「うん。大丈夫」

そして模擬結婚式当日。さっき、俺よりも早く衣装室に入っていったなまえの後ろ姿を亜貴と共に見送った俺は、先に着替え終わったタキシードの最終確認をしてもらっている。亜貴が選んでくれたのはブルーのジャケットに同じくらいの色のブルーのベストと淡い色のネクタイ、胸元には白と青の花で作られたブートニアが添えられている。普段あまり着ない色だから少しだけ驚いたけど、亜貴曰くこのタキシードがなまえの隣に並んだ時に一番バランスが良かった、らしい。
亜貴からの「ちょっと腕上げてもらっていい?」「もう少しだけ背筋伸ばして」など指示された動きをしながら、衣装室へと入っていった彼女の事を思い出す。

「(結婚か…)」

年齢的にも結婚の事を考えていない訳ではないし、将来的には、という気持ちも勿論ある。ただ、考えてしまうのは本当に俺が彼女の事を幸せにしてやれるのか、という事だ。

「(俺のせいで悲しい顔をさせたりするのは、嫌だからな…)」

過ってしまうのは、いつも面倒事に巻き込まれてしまう自分の体質の事だ。その体質は、時には自分の大切な人も巻き込んでしまう事がある。なまえが大事だから、自分のそれのせいで幸せよりも不幸にしてしまうんじゃないか。その思いが強いからこそ中々大きい一歩を踏み出せないでいる。…でも、この模擬結婚式を参加する方に回る事によって、少しでも自分の考えが良い方向に動けば良いと思っている。
ぼんやりと思考を巡らせていれば自然と肩に力が入っていたのか、衣装の確認を終えた亜貴が軽く俺の肩を叩いた。反応が無い俺に心配してくれたのか、少しだけ眉間に皺を寄せている。

「慶ちゃん、肩に力入りすぎてる。…緊張してる?」
「あ、あぁ、流石にな。でも、頼まれた以上ちゃんと成功させるから」

こんな機会を設けてくれた亜貴には感謝してるし、余計に失敗なんて出来ない。その一言は喉の奥に引っ込めてから肩の力を抜く為に、小さく息を吐き出した。
そんなやり取りをしていれば、準備が整ったのかゆっくりと衣装室の扉が開き、なまえが少しだけ顔をこちらの部屋へと覗かせている。

「あ。準備終わった?」
「う、うん。これで良いのかな…」
「最終確認は僕がするから。ドレス引き摺らないように気を付けながら、ゆっくりこっち来てくれる?」

中途半端に開いていた扉を全部開けて、亜貴はなまえに視線を送りこっちの部屋に入ってくるように促した。その言葉になまえは小さく頷いてから亜貴に指示された通り、ドレスを引き摺らないように裾を持ち上げて恐る恐る俺達がいる部屋へと足を踏み入れる。

「っ、」
「…うん。似合ってる」

ウェディングドレスを纏っている彼女に思わず息を呑んだ俺とは対照的に、出来上がりに満足なのか亜貴は上から下までなまえの姿を確認して、小さく言葉を落とし嬉しそうに頷いている。

「亜貴くんが作ってくれたドレスが素敵だから…」
「それでも、それを着こなしてくれてるのはなまえでしょ」

目元を緩ませて優しい表情の亜貴からの褒め言葉に、なまえは恥ずかしそうにしながらも嬉しそうに笑顔を浮かべていた。それから先程言った通り、亜貴の手でなまえへの衣装と全体の最終確認が行われる。そんな二人を近くの壁に寄り掛かりながら眺めていた俺は、彼女の方へともう一度視線を送る。
纏っているドレスは、ふんわりとした形のドレスでウエストラインから胸元部分には花の刺繍が施されている。背中にはワンポイントなのか大きめの白いリボンが添えられており、いつも下ろしている長い髪は後ろでハーフアップにしてあって、淡い色の花をモチーフにしたヘアアクセサリーで纏められている。花柄のレースが施してあるベールとそれとお揃いのグローブに、メイクはいつもとは少しだけ違う明るくも柔らかい色を使ったものが施されていて、表情がいつも以上に明るく見えるように俺の視界に映った。

「…綺麗だな」

自然と自分の口から出ていた言葉は、誰にも聞かれないまま消えていく。全部が彼女に似合っていて、つい見惚れてしまっていた。




「それじゃあ、また呼びに来るから」

なまえの衣装の最終確認が終えた亜貴はそう一言残し、スタッフに呼ばれてるから、と言って部屋を出て行ってしまった。
亜貴が出て行き、俺となまえの二人だけになる。俺は椅子に座ったままだったなまえの傍に歩み寄り、真正面に回るのと同時に「慶くん」と小さい声で名前を呼ばれた。

「どうした?」
「…タキシード、似合ってるよ。いつもと雰囲気が違うけど、それも新鮮に感じるし、青のタキシードに白と青のブートニアも色合いが綺麗。…凄く格好良いよ」

恥ずかしそうになまえから紡がれる不意打ちの一言に、自分の気持ちが高揚するのが分かる。単純な話しだけど自分の恋人に褒められるんだ、嬉しくない訳がなくて。思わず緩みそうになる頬を誤魔化すように彼女の膝に置いてある手を取り、少しだけ潤んでいる瞳を見つめ返す。

「なまえも、似合ってる」
「…!」
「ドレスも、それに合わせたメイクも髪もベールもグローブも。柔らかい雰囲気のなまえに全部合ってて、…凄く綺麗だ」
「あ、ありがとう…!そう言って貰えて、凄く嬉しいよ…」

想っている事を全て言葉にして伝える。そうすれば先程よりも徐々に頬をほんのりと赤く染めていき、俺の一言一言に嬉しそうに幸せそうに口元を綻ばせた。
ウェディングドレスを身に纏い、本当に幸せそうな笑顔を浮かべる彼女の姿にぎゅっと胸が締め付けられる。その笑顔を見る度に傍にいたい気持ちがどんどん強くなっていき、それは確信に変わっていく。

「(…悩む事なんて、最初からなかった。物心ついた時からずっと好きでいて、今も一番近くにいてくれて。…やっぱり俺が一緒に幸せになりたいって思うのは、なまえだ)」

先程まで散々悩んでいた事が嘘のように、決意が固まっていく。そんな俺を不思議そうに見つめるなまえの手を今度は両手で包み込めば、優しく握り返してくれる。

「もうそろそろだな」
「そう、だね。…慶くんは、緊張してないの?」
「あまり見えないかもしれないけど、俺も緊張はしてる。…でも、なまえが隣にいるから」

だから、大丈夫。彼女の手を握り締めたまま、その一言を紡ぐ。今から行われるのは模擬結婚式で、自分達の結婚式ではない。それでも、緊張するのはしょうがない事で。目を瞑り、小さく深呼吸を零してからなまえの方へと視線を送る。まだほんの少しだけ不安そうに揺れている瞳と視線が緩く交差した。

「…緊張するけど、頑張ろう。亜貴の為もそうだけど。…何より俺達自身の結婚式の時に、失敗しないように」
「…!それ、って…」

緊張しているのも、亜貴の為なのも、最後に乗せた一言も、全部本心で大事な事で。それをなまえの瞳を見てしっかりと伝えて見せれば、言葉の意味を理解したのか落ち着いたと思ったなまえの頬がまたほんのりと赤く染まっていく。そんな姿もただ可愛くて、つい口元が緩んでしまう。

「(今の一言で、俺の気持ちが伝わったとは思うけど。…プロポーズも、ちゃんと考えないとな)」

時間が迫ってきたのか、ドア越しに亜貴が俺達を呼ぶ声が聞こえる。
その声にゆっくりと立ち上がろうとするなまえを支えてやりながら、プロポーズの言葉を伝えようと決意する。立ち上がった彼女の傍らに置いてあったブートニアとお揃いの白と青の花のブーケをなまえへと手渡してから手を差し出せば、恥ずかしそうにしながらも差し出した手にそっと手を重ねてくれる。

「…じゃあ、行くか」
「…うん」

まだ少しだけ恥ずかしそうにしているなまえと視線を交わらせて二人で小さく笑いあえば、彼女が付けているベールがふわりと揺れた。近い将来の自分達の為にもこの模擬結婚式を成功させようと心に決め、重なったままの小さな手を優しく握り締めて、俺達は部屋の扉を開いて歩き出した。



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