きみだけに呼ばれたい 


*恋人設定。ヒロイン視点。


***


久し振りに桧山くんのオフィスに足を運んで数分。「少しだけ待っていろ」と言われて通されたのは桧山くんが作業する場所でもある社長室だ。素直にソファに腰掛けて慶くんと亜貴くんから預かってきている情報をスマホで確認しながら待っていれば、ガチャリと扉が開く音が聞こえる。スマホに落としていた視線をドアの方に向ければ、そこには一仕事終えた桧山くんの姿。

「お疲れ様、桧山くん」
「ああ」

労いの言葉を掛ければ軽くだけど言葉を返してくれる。なんか、今日はいつもより疲れてるようにも見える。疑問に思いながら視線を桧山くんに向けていれば、彼は私の隣に腰を下ろした。そのまま、じっと私の事を見つめてくる。

「?……桧山くん?」
「……」

不思議に思いながらも少しだけ待っていれば、漸く「なまえ」と小さく名前を呼ばれる。掛けられた声に安堵しながら、彼からの次の言葉を待つ。

「聞きたい事がある」
「なに?」
「どうしてお前は俺の事を名前で呼ばないんだ?」

真っ直ぐな視線を私に向けたまま、桧山くんは突拍子もない疑問を口にする。のと同時に私の口から出てしまった「え、」なんていう言葉。そんな私に構わず、彼は言葉を続ける。

「槙と神楽は幼少期から一緒にいたから分かるが、羽鳥も名前で呼んでいるだろう」
「ああ……うん。そうだね……?いやでも、あれは羽鳥くんが呼んでって言ったからだしみんなも名前で呼んでるよね?」
「それはそうだが……」

珍しく言葉を濁してから、私からそっと視線を外す桧山くんに何事かと再度首を傾げる。
実際、みんなは羽鳥くんの事名前で呼んでるし、高等部で初めて会った時に彼から名前で呼んでくれと言われて今の状態が続いている。だから、今更呼び方を変えると言われても難しいと思うんだけど……。
口篭る桧山くんにずっと視線を向けていれば、綺麗なミルクティー色の瞳と視線が交わる。そのまま小さく溜め息を吐かれたと思ったら、形の良い唇が言葉を紡いだ。

「……羽鳥は名前で呼んでいて、恋人である俺は名前で呼んでくれないのか」

はっきりと告げられた予想外な一言に、思わず瞬きを繰り返してしまう。だけれど、言った本人は至極真面目な顔で私の瞳を捉えたままだ。
それよりも、珍しく言葉にしない事をてらいもなく言われて、なぜだか無性に恥ずかしくなる。普段言われ慣れてない分、余計、なのかな。自分でもじわりと頬に熱が集まるのが分かる。若干眉を顰めている様子からみれば、私が羽鳥くんの事を名前で呼んでいる事に対してあまり良く思ってないようにも思える。つまり、これって嫉妬……?

「桧山くん、あの……」
「……」

少しだけ緊張した声で彼の事を呼んでみれば、言葉は返される事は無く先程と同じくただじっと真っ直ぐにこちらを見てくるだけ。その様子から、名前で呼ばないと反応してくれないという事に気付く。
慣れない呼び方に戸惑いつつも、浅く深呼吸をしてからゆっくりと口を開く。正直、桧山くんと視線を交差させたままで恥ずかしいし、彼の事を名前で呼んでる人なんていないので緊張で唇が震えてしまう。

「た、……貴臣くんっ」

意を決して、名前で呼んでみる。それは慶くんや亜貴くんや羽鳥くんの時とは違って、緊張してしまって少しだけ上擦ってしまったけど、それでも彼にとっては充分だったようで、嬉しそうに頬を緩ませながら息を吐き出して笑みを浮かべている。

「なまえ、顔が真っ赤だ」
「い、言わないで……」
「だけど、そんなお前も可愛らしい」

花を慈しむような表情で私の頬を桧山くんの手が手袋越しにするりと撫でてくれる。その行動と表情だけで動悸が早くなっているのに、更に普段言われ慣れてない言葉を直球で言われ続けて頭の中が混乱してしまっている私を桧山くんは不思議そうに首を傾げている。

「どうした?」
「い、色々キャパオーバーだよ……」

頬に集まる熱で自分が赤くなっているのが分かり、見られたくなくて顔を両手で隠そうとすれば、「隠さないでくれ」と彼の手がそっと優しく私の腕を掴む。本当、天然って怖い……!

「なまえの顔が見たい」
「桧山く、」
「……一度だけしか名前で呼んでくれないのか?」
「っ、た、かおみ、くん……」

今の言い方はずるい。無意識なんだろうけど、甘い声でそう問い掛けられてしまえば、呼び慣れない名前を再度たどたどしく呼ぶ。呼べば彼は嬉しそうに口元を緩めた。
いつも名前で呼ばれていた私には分からないけれど、これってすごく嬉しい事、なのかな……。

「やはり、名前で呼ばれるのは良いものだな」
「そういうもの、かな?」
「ああ。好きな女性から名前で呼ばれるのは、特に嬉しく思う」

慈しむように私を見つめてからそっとこめかみに口付けを落とされて、そのまま桧山くんは壊れ物を扱うように優しくきゅっと私を腕の中に収めてくれる。

「呼び慣れなくってごめんね……」
「いや、俺も急に言ってしまったからな。……すまない」
「ううん。……二人の時は、なるべく自然に呼べるように頑張るから……!待っててくれたら、嬉しいな。……た、貴臣くん」

桧山くんの瞳を見つめながら三度目の名前呼びをしてみれば、彼は少しだけ驚いた後に「ああ、楽しみにしている」と言って今度は額に口付けを落としてくれた。
その後はなんだか無性に恥ずかしくなってしまって、彼の胸の中に顔を埋めてしまったけどこの言葉自体に嘘偽りはない。照れ隠しで桧山くんの背中に腕を回せば、優しく抱き締め返してくれた。

今は名前呼びが慣れなくっても、いつかは慣れる日が来るって思うから。そうしたら羽鳥くんにからかわれながらも、みんなの前で「貴臣くん」って自然に呼べる日が来るんだろうなあ。


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