辛い気持ちを隠そうとする君を慰めたくて


*恋人・同棲設定。槙視点。
*仕事でミスをしたヒロインを慰める話し。


***


「ただいま…」
「おかえり」

彼女であるなまえと同棲をし始めて数ヶ月。
今日は俺の方が先に帰宅し、家の片付けや家事をしながらなまえの帰宅を待っていた。そんな彼女が帰宅したのは俺が帰ってきてから一時間後。いつもより疲弊した雰囲気の彼女に「大丈夫か?」と声を掛けてみれば本人は「うん、ちょっと仕事が長引いただけだから」と口にするだけだった。

「…風呂出来てるから、先に入るなら入ってきても良いから」
「うん、ありがとう」

彼女から買い物袋を受け取りながら、言葉を続ける俺の言葉になまえは小さく頷く。買ってきてくれたものを整理しようとリビングへと歩き出そうとした瞬間、不意に服の裾が引っ張られる感覚がした。

「え、」
「…慶くん」

少しだけ躊躇いながら呼ばれた名前に、返事をしようとした言葉は、後ろから俺に抱き付き背中に顔を埋めてきたなまえの行動によって、喉元で止まってしまった。

「なまえ?」

突然の出来事に少しだけ混乱しながらも、俺の腰に腕を回しているなまえの事を呼んでみる。だけど彼女からは特に返事はなく、代わりに俺に抱き付いてきた腕に少しだけ力が篭もるのが分かった。
…こんな状態の彼女を見るのは、久し振りな気がする。

「(…あれはいつだったか。確か、仕事を連続で失敗した時、だったか)」

記憶を辿りながら、過去の状態と今を比べてみる。当時は付き合ってなかったからこんな風に抱き付いて来る事は無かったけど、あの時も今と同様に声を掛けても落ち込んでいたのか反応が返ってくる事は無かったなと、思い出す。

「…どうした?」

もう一度、今度は腰に回されている腕を優しく落ち着かせるようにぽんぽんと叩きながら、声を掛けてみる。その声に漸く、背中に埋められていた顔が少しだけ上げられたのを、小さくゆっくりと溜め息を吐き出された事から感じた。

「急にごめんね…」
「それは別に良い。けど…、なんかあったのか?」

言いたくない事なのか、それとも言えない事なのか、否定も肯定もせずに彼女は沈黙を貫いたまま、もう一度俺の背中に顔を埋めてしまった。中々胸にある事を吐き出そうとしないその様子から、恐らく仕事で何かあったんだと悟る。…まあ、仕事の事は内部事情とかに繋がったりするから、立場上不満を零したりするのも難しいからな。
先程から体勢は変わらず、ぎゅっと背中にくっつかれたままのその様子にどうしようかと思案する。言いだしづらいのもあるんだろうけど、俺としてはこの状態のなまえを少しでも何とかしてやりたい気持ちがある。そんな風に悩んでいると、ふと今日同僚が話していた事が脳裏に過った。


『今日は8月9日で「ハグの日」らしいぜ』


休憩中にたまたま居合わせて聞いていた話しだった。そんな日があるのか、と思いながらも耳を傾けていたのは、その続きの言葉が少しだけ意外で記憶に残っていたからだ。

「(本当に効果があるのかは分からない。だけどハグには、ストレス解消効果とか癒し効果とかもあるって言ってたな)」

同僚の話しによると、ハグには癒やしやストレス解消効果などもあるらしい。ただ単に噂程度かもしれないし、信憑性なんて薄いし無いのかもしれない。だけど「抱き締める」という行為自体には安心させるというものもあると聞いた事がある。その効果が、今のなまえを落ち着かせるには必要なものかもしれないなとなんとなく思った。

「…悪い。ちょっと、ごめん」

後ろからよりも、前からの方が安心させられるんじゃないか。そう思いながら一言断りをいれてから、一旦腰に回されていた腕を離れさせる。離れさせてからなまえの方に身体を向けてみれば、曇った表情をした彼女が俺の視界に映った。その表情に、やっぱり何かあったんだと確信を得てから、リビングへと移動して買い物袋を机へと置き、彼女と共にソファへと足を進めて広めのそこへと座る。先に座った俺に倣うように、素直に俺の隣に座るなまえの事を今度は俺からそっと抱き締め直した。

「慶く、」
「ハグすると気持ちが落ち着いたりする、って聞いた事があって。…でも、嫌なら離すから」

俺が正面から抱き締めた事に少しだけ戸惑っていたなまえだったけど、俺からの言葉で行動の意味を理解したのか首を緩く横に振ってから、瞳をゆっくりと閉じていく。そのまま少しだけ躊躇いがちになっていた腕を俺の背中に回してくれた。そんな彼女の髪を優しく梳きながら、頭をぽんぽんと撫でてやれば擦り寄るように俺の胸に顔を埋めてくる。

「仕事でなんかあったんだと思うけど、話したくないなら、無理に話さなくて良い」
「っ、」
「嫌な事全部とかは言えないと思うし、言葉にして吐き出したくなったら言ってくれれば良いから」
「うん…」

優しく頭を撫でながら、傷付けないような言葉を選んで紡いでいく。ゆっくりとだけど落ち着いてきたのか、なまえは先程よりは少し明るい声色で小さな相槌を打ってくれた。

「ありがとう、慶くん…」

俺の胸に顔を埋めたまま、なまえが小さく言葉を零すのと同時に背中に回された腕に力が篭められて、ぎゅっと抱き付いてくるのが分かる。小さい事でも吐き出して欲しいって思いはあるけど、無理に話して欲しいわけでもない。ただ、少しでもなまえの気持ちがこれで落ち着かせられるならそれで良いから。そんな思いを胸に抱きながら、彼女を支えるように俺も抱きしめる腕に力を込めた。



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