誘惑を待ち続けて


*恋人設定。ヒロイン視点。


***


「…あのさ。もしもなまえが良ければだけど。今週末、泊まりに来ないか?」
「え…?」

仕事終わり。職場近くの和食屋さんで私と慶くんはご飯を食べていた。
他愛のない会話の最中、控えめに慶くんが口にした一言に私は間抜けな声を零して、一瞬理解が遅れる。目の前でご飯を咀嚼する彼をじっと見つめてから、どう返そうか言葉を探してしまう。悩んでいる私を見兼ねてか、ご飯を喉に通してから苦笑いを浮かべて慶くんは優しく言葉を続ける。

「日曜休みって言ってたろ。最近、来てなかったしなまえが嫌じゃ無ければ、だから。…疲れてるとかなら、全然断ってくれて良い」
「こ、断るなんてしないよ…。慶くんがそう言ってくれるなら、是非泊まりに行きたいな」

どこまでも控えめに紡がれる優しい言葉に、本心を交えて返事をする。私だって久し振りに慶くんの家に泊まりに行きたいと思っていたし、何よりも誘ってくれる事が凄く嬉しかった。
返した言葉に優しく笑みを浮かべながら「じゃ、約束な」と言って慶くんは私の頭を優しく撫でてくれた。



週末。約束通り私は慶くんの家に泊まりに来ていた。
夕飯は仕事終わりの私を迎えに来てくれた時に近場のレストランで済ませて、デザートにはカップアイスが食べたい、という彼の希望でコンビニに寄りバニラ味と苺味のカップアイスを買ってから、そのまま慶くんのマンションへと彼の車で向かった。

マンションに着いて彼の部屋に入り、ある程度荷物の整理をし終えた私に慶くんは「風呂、出来たから。先に入ってこい」とバスタオルを渡してくれて、そのお言葉に甘えさせてもらった。
浴槽に浸かりながら久し振りのお泊まりに緊張しつつも誘ってくれたのがやっぱり嬉しくて、つい口元が緩んでしまう。

数十分後。私がお風呂を出て少ししてから今度は慶くんが「じゃあ、入ってくる」と告げてお風呂場へと向かっていき、それを見送る。彼がお風呂場のドアを閉めた事を確認してから、カーペットに座り深呼吸して小さく息を吐き出した。

「…持って来てみたけど、こんなの私に似合うのかな…」

そうポツリと呟きながら、今度彼氏の家に泊まりに行くんだ、と友達に話したら渡されたものを鞄から取り出す。広げてみれば、それは薄いピンクの布地で膝丈よりも短い、ぱっと見はキャミソールのようにも見えるもので。だけど、友人曰くこれは寝間着にも使える、セクシーランジェリーの一つのベビードールというものらしい(分類はネグリジェらしいけど)
自分が着ているルームウェアと手に持ったそれを何度か交互に見つめる。慶くんはさっきお風呂に入ったばかりで、まだ出てくる気配が無い。着替えるだけ着替えてみて、出てくる前に元のルームウェアに着替えれば良い。似合うかどうかは分からないけど可愛いから着てみたいっていうのとやっぱり少しだけこういうものにも興味は惹かれてしまう。ほんの少しの欲に勝てず、暫く一人で悶々と考えてから私は友達から受け取ったそれにいそいそと着替え始めた。


「た、確かにこれは、なんていうか…色々際どい、かも…」

ルームウェアを脱いで、もらったランジェリーを着てみてから姿見で自分の姿を確認して、思わず感想が零れ落ちる。
それは、全体的にレースが基調となっている。胸元は布地で覆われてそこにフェミニンなレース重ねが可愛らしく施されている。真ん中には小さいリボンが添えられていてそれも可愛らしい。私が着れば膝丈よりはちょっと上くらいの丈だ。下の方は裾までたっぷりのドレープとレースの二段で作られている。だけど、透け感のあるレースで覆われているし、それの同じ色のショーツは透けて見えてしまっていてなんとも色っぽく見えてしまう。

「(誘惑とかしてみればいいじゃん、って言われたけど。でも…)」

裾を持ち上げてまじまじとそれを見つめながら友達からの言葉を脳内で繰り返す。確かに、そういう事も最近は全くしてないと言えばしていないし、触れ合いたい気持ちも少なからずある。だけど、誘惑なんて出来る自信も無いし、何より慶くんがそういう風に考えていなかったら、自分だけ浅ましい事を考えているんだとしたら。幻滅させてしまう気がして、それを繰り返し考えては気持ちが沈んでいってしまう。

「(そもそも、こんな格好でいたら驚くだろうし、ひ、引かれたりするかもしれないし…。…やっぱり元のルームウェアに着替えよう…)」

彼が出てくる前にルームウェアを手に取り、それに着替え直そうとした時。お風呂場のドアがガチャリと音を立てて開いた。

「あっ」
「え」

ほぼ同じタイミングで私の焦る声と慶くんの不思議そうな声が重なる。慶くんはスウェット姿で髪を拭きながらこちらに視線を向けている。そしてそのまま私の姿を見るなり、バスタオルを床に落としてしまった。一瞬私と視線を交えたかと思えばそれは直ぐに私の着ているものに移される。先程と違うものを着ているから見られてしまうのは分かるけど、こうして改めて見られるのは恥ずかしい上に居た堪れなくなって、持っていたルームウェアで少しだけ身体をそっと隠した。

「おまっ、なんて格好してるんだよ…」

声を荒げ口元に手を当ててから、漸く慶くんは私から視線を外してくれる。その頬は心なしか、ほんのりと赤くなっていて、それに釣られるように私も頬に熱が集中していく。

「あ、の…久し振りのお泊まりだから、たまにはこういうの着るのも良いんじゃない?って友達に勧められて…。思いきって着てみたんだけど、やっぱり似合わない…よね…?」
「……」
「ごめん、着替えてくるね…」

何も返ってこない様子に、先程自分で考えていた事が一瞬脳裏に過ぎる。その考えを振り払うように手に持っていたルームウェアを抱え直して立ち上がろうとした時、私の真正面に慶くんが座って行く手を阻まれる。彼の行動を不思議に思って少しだけ高い位置の彼を見上げれば、私の瞳をじっと捉えていた。

「慶、くん…?」
「似合わないとか、そういう事じゃなくて」
「え」
「あー…だから…」

頬を赤く染めて照れくさそうに言葉を続けていく。その間も、瞳はじっとこちらを捉えたままの状態で、彼の視線に私は次第に動悸が早くなるのを感じた。

「…似合ってるし、可愛いから」
「あ、うっ…本当…?」
「ん。…ただ、そんな格好されたら誘われてるって、勘違いするだろ…」

語気を強めに言葉を落とされて、優しく頬をするりと撫でる指と困ったように眉を下げて笑う表情にドキリと心臓が高鳴るのが自分でも分かる。流れるような仕草で優しく包むように私の頬に手を添えてから顔を寄せられて、先程よりも近距離で慶くんと視線が交わった。

「…その、つもりでも…あったんだよ…」

二人だけしかいない部屋に私の声が響く。震える唇で必死に言葉を探して紡いだ内容は、普段は絶対言えないような一言で、先程より頬に熱が集中するのが分かる。でも、触れたいと思ってるのも本心できゅっと慶くんのスウェットを握り締めながら、交わる視線を見つめ返した。

「なまえ、」
「か、勘違いしてほしいって思っちゃうのは…だめ、かな…。久し振りのお泊まりだし、触れたいなって…」
「…バカ。そんなこと言われたら、止まれなくなるだろ」

眉を下げた表情のまま頬に触れていた手は、下におりてきてゆっくりと私の手に触れる。慶くんの大きい手がきゅっと指を絡ませ繋いだのと同時に、寄せていた顔が更に近付いてきて一度だけ触れるだけのキスが交わされた。一瞬の出来事に理解が追い付かない私に、慶くんは小さく笑みを零しながらゆっくりと言葉を紡いでいく。

「…俺だって、久し振りに泊まりに来てくれたのが嬉しいし…触れたいって思ってたから。なまえと一緒」
「慶、くん」
「なまえにその気が無いなら、やめる。でも大丈夫なら、俺は触れたい。…どうする?」

最後まで私の意思を尊重して問い掛けてくれるその一言に、慶くんの胸にそっと寄り添ってから小さく頷いて肯定の意思を伝える。慶くんは「良かった」と小さく呟いてから嬉しそうに優しく笑ったあとに、もう一度触れるだけの口付けを落としてくれる。

「なまえ、…好きだ」

口付けから開放されて、欲の孕んだ瞳で見つめられながら合間に紡がれる言葉に心が満たされていくのを感じる。行為を始める前にいつも確認するように紡がれるその言葉に私も同じ気持ちだよの意味を込めて、触れるだけの口付けを送り、その瞳を見つめ返す。照れくさそうに笑う慶くんとこれから始まる甘い夜に、ゆっくりと目を瞑った。


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