先程コンビニで買ってきた蜜柑ゼリーがごろごろと、落とした衝撃でビニール袋から飛び出ていってしまった。お見舞いだから奮発して買った、高くて滅多に買わないゼリー。私も大好きでヒロトも好きだ。きっと熱を出して苦しんでいるだろうと思って、その場でお財布と相談無しに二人分買った。別に私も食べたかったわけじゃない。ただ普段から気を使いっぱなしの彼なら、私の目の前で自分だけ美味しいゼリーを食べたりなんてしないから、無駄な気を使わせないために私も一緒に食べてあげる必要があるからだ。
そのお高いゼリーがごろごろと彼の部屋の床を転がって、一方は机の下に消えて、もう一方を小さな手が拾い上げた。
掴みきれない大きなゼリーを小さな両手でしっかり持って、それをまじまじと見る大きな目は暫くゼリーを眺めた後、上を向いて真ん丸な瞳の中に私を映した。

「おちたよ」
「……え、」
落ちた、そりゃそうだ、私が今しがたビニール袋から手を離してしまったせいだもの。そんな物理現象なんか気にしちゃいられない。いくらお高くて好きなゼリーでも、いくら風邪を引いたヒロトの為に買ってきたゼリーでも、それが落ちたなんて気にしちゃいられない、そんな場合じゃないんだ。

「…ヒロト?」

目の前で私を見上げる小さな男の子に、恐る恐る語りかけてみる。見たことがある赤い髪に、何処か似ている目の形、少し病弱そうな肌の色なんて、私が今日奮発して買った高いゼリーを食べてもらいたい風邪引きの病人、彼にそっくりだった。何を馬鹿なと言った後自分で思った。だってヒロトは私と同じ中学校で同じクラスで隣の席だ。目の前の少年は若干年齢五才かそこいら、少なくとも私の知る基山ヒロトではないと思った。
私が呼んだ名前に一瞬だけピクリと小さな肩を震わした後、謎の少年は大きな碧色の目をゆがまして私を睨んだ。

「ちがうよ。」
「…ちがうの?」
「ちがうよ。」

信じたい。このこの言う通り、このこはヒロトじゃなくて親戚のヒロトとそっくりな子を世話してたとか、そんな感じであることが好ましい。でもそんなことは無いのだ。彼の親戚だと言う人に会ったことはないが、少なくとも彼と血の繋がりのある人が彼に会いに来るとは、余り思えない。だから私がすべき事はただ一つしかない、目の前で起こったであろう有り得ない現象を受け止めることだけだった。目の前で私の予想する現実を否定する少年、彼はヒロトなのだろう。それならば、なぜ否定する必要があるのだろうか。

「…ヒロト、風邪の、せいなの?」

「ちがうよ、ヒロトじゃないよ、きみだれ?」

埒があかなくなってきた。私がどんなに名前を呼んでも、少年は断固として自分の名前をヒロトだと認めやしない。それどころか私の事を誰呼ばわりしやがる。誰のために学校を早く出てここまで走ってきたと思っているんだ、奮発して高いゼリーを買ってきてやったのに。大体君がヒロトじゃなかったら、一体体調不良の彼はどこに行ってしまったというのだ。ただでさえこの奇怪な状況に取り乱しているのに、そもそもこのこ、本当にヒロトなんだろうか。早々と結論付けたがもし違っていたら私は何だろう、だいぶイタイ人なのか、ああ駄目だ、これ以上普段使わない脳みそを働かせたら間違いなく頭が爆発する。ぐいぐいと制服のスカートを引っ張られる感覚で我に還る。
下を見れば少年が不安げに眉を下げてこちらを見上げており、もう一度「きみはだれ?」と聞いてくるので仕方なく名前を教えた。

「なまえだよ。」

「なまえ、姉さんは?」

「へ?」

「姉さんはどこ行ったの?」

姉さん姉さんとまるで餌を待つ雛鳥の様に呼び続ける少年がなかなか力強くぐいぐいとスカートを引っ張るので、このままじゃホックがいい音を立てて外れそうだ。少年を諌めつつ、とりあえず「姉さん」に連絡する為に鞄から携帯を取り出す。瞳子さんに間違い無いと思うが、違っていたらどうしよう。きっともっとめんどくさい事になるだろうな。
お見舞いに来た私なんか知らずにヒロトだと思われる少年は、彼のために仕事に行っている瞳子さんの名前ばかり呼び続けるので、なんだか少し憎々しい。画面に表示された瞳子さんのアドレスを見つけて、ため息を吐き出した後、通話ボタンを押す。

お見舞いなんて来なきゃよかった。



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