「風介女の子だったらよかったのに。」


先程まで心地好く幸せな沈黙が支配していたというのに、斜め前から聞こえた酷く間のぬけた声が、まるで平な水面上に無作為な波を起てるように、彼女の声は部屋の空気をぶち壊して私の耳の穴を通って脳に貫通した。

いつもなら彼女のこんな間抜けな思いつきは当然スルーなのだが、先程放たれた言葉、このまま放置していてはまた放たれるだろう第二機が再び脳に直撃し、更なるダメージを受けてしまうと予想した。回避行動をとるべく口を開く。


「やめろ、不愉快だ」

「えー、ただ希望を口にしただけだよ、いいじゃん別に。どうせ叶わないって分かってるし」

「分かっているのなら口に出すな」

「はいはい」

「はい、が多いぞ」

「はい、はい」


なんだか無性に腹が立つ。思わず引っ込めていた足を、あの剥き出しの脛の方に思い切り伸ばして蹴り込みたい気分にかられた。彼女は私をちらりと一瞥した後盛大にため息をついて机に突っ伏す、なんだ、まるで今の私に不満ありまくりですよと言う様なその態度。柄では無いが酷く傷つきそうだ。

「私が女の方がいいのか」


自分でも血迷ったのではないかと思う。先程の彼女の吐いたため息を最後に再び静寂が戻ってきたというのに、自分から安寧の時を放棄するなど血迷う以外のなんだと言うのか。それでもあえて彼女の言葉に返事をしたのは、いつになくがっかりとうなだれる彼女が生物学上男である今の自分を本当に必要としてくれているのかと、少し、本当に少しだが確認したい焦りからなのだ。


「うん」


即答された。彼女は、つまり、男である私の存在を私が尋ねてから約0コンマ2秒以内に否定したのだ。ああ心臓を一刀両断されるとはかような感じなのだろうか、断ち切られたせいで噴き出した血が飛沫をあげながら身体の底の方に沈澱していく様に、胸の辺りからすーっと体温が無くなっていく。引き裂かれた胸の痛みはきっと他人には計り知れない。文字通り血の気の引いた私の顔を見ても彼女は気にも留めずに瞬きを三回し、続けて口を開く。このうえまだ追加攻撃があるのか、もうやめてくれ



「だってもし風介が女の子だったらもっと一緒にいられるだろうなと思ったんだよね。」

「……」

「服の買い物だって女の子なら同じお店入っても風介恥ずかしがらないだろうし、お洒落だって相談しあえるし、練習の後のシャワーだって一緒に入れるし、更衣室だって別れて入ったりしないでいいし、寝る時だって気兼ね無く一緒にいれるし、」

あとなんだっけ、と眉間の皴を擦りながら首を捻る彼女。どうやら今までの彼女の思い付きの発端は、私ともう少し長く共にいるために編み出されたものらしい。それは嬉しい、嬉しいが、なぜに女の幸せばかり語るのだ。男であれど男なりに共にいてやる事も出来るし、私が男で在るために得られる幸せもあるではないか。しかし今の彼女にとって男の私はまるで不便で仕方ないと言われているように感じるのは気のせいか。昨日の夜寝ながら考えたらしい私が女である場合の自らが得な幾つかの項目をつらつらと語る唇に、私は今まで何度だって異性として意識してきたし、回数は少ないが口付けたりしてみたのだ、とても柔らかくて大好きだった。だが今その柔らかくて大好きなものから放たれ続ける彼女の幸せは、私に両断された心臓を治す暇さえ与えてくれない。更に細切れにされて無くなる前に、殺傷能力が高い彼女の言葉から逃れるべく彼女の白い鼻を摘む。


「んがっ、ちょっ!?なにずんの」

「うるさい」



突然鼻を摘まれて騒いでいた彼女が私の顔を見た途端酷く驚いて目を真ん丸にした。私は何か言ってやりたいのに、なんだか言葉が見つからなくて、唇を噛み締めるだけだった。

「風介、大丈夫?お腹痛いの?」

お腹なんかより胸が痛い、張り裂けそうだ。これが女の私ならこの胸の痛みにも彼女は気づいてくれたのだろうか、気づいてあの温かい柔らかいものを私のそれにくれたのだろうか。
顔色どころか物凄い剣幕だったらしい私の顔を見て、彼女はやっと心配そうに私の背中をさすって来る。私はみっともなく泣きそうな顔を隠すために彼女の肩に目頭を押し付けて、その薄い背中に腕を回そうとしたところで、はたと気づいた。
なんとまあ今の私の情けなさ女々しさといったら、失恋した女が泣きついている様子に瓜二つじゃないか。




100211/彼女の野望願望