くすぐったい、もごもごともぞもぞと、何かがお腹の上をはい回る感触で瞼が上にあがった。寝起きの麻痺しきった頭をフル回転させ、首を持ち上げて腹部周辺を見ろ、と身体中の神経に命令伝達を送ると、見たことがある人影が、しょぼしょぼ瞬きを繰り返してぼやける視界に飛び込んできた。人影が私の上に馬乗りになり腹周りの服をめくりあげて、さっきから執拗に掌で撫で回していたのだ。人肌に触れているとは思えない冷たさの掌だったので、覚醒しはじめた意識により漸く悲鳴をあげることが出来た。ひええ、なんて、情けないが、蚊の鳴くようなそれに気付いた彼が腹の上を行き来していた手を止めて、こちらを見下げた。

「ああ、起きたのかい」

「うああ、なに、なんなの、なんれすか、なにしてんの!?」

「気にするな。続けていいよ。」

「ええ、なに、なにを?」

「さっきまであんなに馬鹿面丸出しで寝こけていたじゃないか。」

「五月蝿いな、もう無理だってしっかり起きちゃったよ!」

寝起きは滑舌が悪い、少し噛んでしまった上に絞り出した問い達にすごみはなく、ただ状況を飲み込めずに焦る私はなんとも滑稽だろう。「ああそう」の一言で終わらしてしまう彼の傍若無人っぷりに今だ狼狽しているが、何故だかいつも通り過ぎて逆に落ち着き始めてきた。まだ少しどくどく五月蝿いが、先程よりは脈拍も治まりだしている。一言を呟いた後に再び動き出す冷たい掌にまたびくりと肩を揺らしてしまうが、この掌の低体温を覚えている私の身体は二、三度めの往復でもう驚きはしなくなった。まだどきどきと胸が苦しいが。
ちらりと仰ぎ見ると、私の腹部を見詰める青碧色の瞳が目に入る。相変わらずなにを考えているか分からない、冷たくて鋭い光を放っているそれは、私にまた不安を煽らせる。

「ねえ、風介、なにを、してるん、ですか、」

動揺でおかしな敬語を使い彼に問い掛ければ、桃色の薄い唇が開かれ、白い歯をちらつかせると赤い舌から返答を滑り出してきた。

「確認している。」

確かめる様な手の動きで、まだ腹部が執拗に撫でられている。

「えっと、何を、」

問い掛けと同時に今まで腹部に向けられていた彼の目線が、私のそれとぶつかる。思わず口をつぐんで黙り込むと、彼の瞳が、余り見たことが無い温度でゆらりと揺れた。緩やかに生温く光り細められたそこには、口を開けたまま呆けている私の間抜けな顔が揺れている。次に瞬きをした時には、彼はまた視線を腹部に戻していた。
彼の細められた瞳の意味が全く理解できずに、口だけが何か言おうともごもご動く。とりあえずいい加減お腹を触るのを止めて欲しくて上体を起こそうとすれば、グクッと腹部を掌で押さえ付けられた。痛い、苦しい、いきなり何を仕出すんだ。ぐええっと呻いて起きかけていた上体をまたベッドに沈めれば、下の方から彼の押し殺したような笑い声がする。「蛙みたいだな」と笑った。あんたのせいだよ、一体私が何をしたって言うのですか。

「苦しい、もう、なんなの、触らないでお腹なんか撫で回しても何もでないから、止めて、恥ずかしいんだよ」


恥ずかしい、とにかく恥ずかしいのだ。理由などあげればきりがないが、きりがないその理由に比例して羞恥の体温計はぐんぐんと上昇していき、今にも体中の血液を沸騰させて私を内側から熱死させそうだ。死因が腹を撫でられて恥ずかしいから熱死だなんて、私の身体はどんだけ単純に出来ているんだろう。

「ああ、何も無いみたいだ。」

私の体がいくら沸騰しようが、触れている彼の手が温かくなることはなかった。なにもない、何も無いと呟いた彼の声色は、なんとも嬉しそうで悲しげに私の鼓膜をようやっと響かせる程に頼りない。

「よかった、よかったよ、でも少し残念だな、」

冷たい掌が再び動き出して、彼の右手か左手か分からない片方がスルリスルリと私のシャツの中に侵入をはじめる。冷たい刺激にびくつき強張っても、不思議だ、冷静でいられる。彼の手がなんの防壁も施していない私の貧相な乳房に触れたとして、やはり身体が緊張するだけ。触れてくる掌が、毎夜与えてくれる愛撫と違う、何故かきちんとそう頭の中で確信できていた。這い纏わる掌が私の形を確かめるように上に下に左右に擦れて摘まれて撫でられた次には握られた。抵抗できるはずだが私は嫌じゃなかった。腹部以外を之でもかとまさぐられているのに、羞恥の与える衝撃が私の体温を上げていく事があまりない。それが愛撫じゃないだけで、私は酷く冷静で、意味が分からなくて、ちらちらと何度も脳裏を不安が掠めた。口の中にたまった唾を飲み込めば、なんでか少しだけ気持ちが落ち着く。

上体を這い纏わる掌に気を取られていたせいで、突然腹部に触れた冷気に寝起きで一番大きな奇声を上げてしまった。「うるさいな」と不機嫌な彼の声がまた下から聞こえたから、きっと今の衝撃は彼が腹部に頬を押し付けたからなのだろうか。そうして押し付けてくる頬の冷たさは掌の比ではない位に冷たくて、彼が吐く度に腹にかかる息の生暖かさを常に意識させられた。くすぐったい、それにぞくぞくする。今、恥ずかしい事をされているのだと急に脳が理解して、彼の頭を退けようと両の手を柔らかな銀髪に押し付けると、身体をまさぐっていた氷の手が、離すまいと私の腰にしっかりとしがみついてしまった。彼の息遣いが直接お腹の上に響いて、前より吐く息が熱い、でも頬も巻き付く腕も掌も、震えるほど冷たい。ぐっと堪えて銀髪を掴む指先に力を込めると、息なんかじゃない熱くぬめる蠢きが音も起てずに腹部をはいずった。強張る身体と反比例して「ふあっ」だなんて力が抜けた声が零れ出したら、ぬめる唾液にフッと笑みを宿す息がかかった。生温い恐怖を抱きながらなんでか、無意識に感じた。ああ、風介が喜んでる。


「いつかこの中に、君の見初めた人の種が入るんだね」


うっとりと夢でも見ている様な声を吐き出すと、風介は冷たい手の平を、頬を押し付ける下腹部にぴたぴた当てる。しっかりと、優しく、冷たい掌と、生温い舌とで、私の中を確かめていた。


「私だったらいい」


「そうだろう?」とでも言いたげに、ぐぐっと強く腰にしがみついてこちらを見上げた風介の瞳に、私も黙って瞬きを返すしかない。それを見て酷く安心したように目を細めて笑う彼は、いつもの大人びた冷気を無くした、ただの無力な子供の様だった。



「早く入りたいよ、なまえ」



ぐりぐりと頬を押し付ける下腹部に、彼は帰りたいのか。相変わらず冷たい風介の体温にびくびく反応しながら、子供をあやすようにその銀髪に覆われた頭を撫でてやると、唾液塗れの下腹部にふふふと笑い声が響く。ああ、風介が喜んでる。












100809/むしろ帰りたいんだ