ある日部活に来ると、部室で立向居君が戸田君に怒られていた。パイプ椅子に座ってしょんぼりという湿っぽい効果音を出しながら、白い紙束を握っている戸田君を恐る恐る見ている立向居君。そして青筋をたてる戸田君。ため息とと共に私の方を振り向く。

「ああ、みょうじ」
「一体何を怒ってんのかな」
「テストだよテスト」
言うが早いか白い紙束を私に押し付ける戸田君。テストはどれもこれも赤インクで、決してお世辞にもいいと言えない点数を囲む丸が書かれていた。これは我が校特有の再テストの刻印である、要するに赤点。そして刻印の横にはなかなか立派な大きさで立向居勇気と黒鉛で書かれた筆跡。
「字は立派だねえ。」
「あ、ありがとうございます!」
立向居君は救われた様に喜びの表情を見せる。そうじゃないだろう、と私に言ったのか立向居君に言ったのか、戸田君は呟きながら近くのパイプ椅子を引っ張って座るとさっきより盛大なため息をついた。
「全部はないだろう、立向居…」
「ぜ、全部じゃありません、保健体育は出来ました!」
「ギリギリな」
「…す、すみません」
「まあまあ戸田君、」
戸田君を宥めつつ立向居君の横のパイプ椅子に座る。
「立向居君も頑張ってるもんね?」
「は、はい!」
「頑張ってても、このままじゃ部長として見過ごして置けないな。」
「ええっ!」
休部させてでも勉強させるからな、と言う戸田君。彼の愛の鞭なぞ知らずに立向居君は一人、死刑宣告された罪人の如き青い顔をして、悲鳴をあげた。なんだか可哀相だ。でも庇ってはあげられない、立向居君にとっても赤点は悪いことだ、メリットにならない。しかし彼の事だ。大好きなサッカーを休んでまで勉強をやらされるなど、拷問以外の何物でもないだろう。
「あの、私がここで毎日部活中に教えてあげればいんじゃないかな。」
咄嗟に出た言葉を狭い部室に響かせると、驚いた二人が揃って振り向いた。突然戸田君に引っ張られて無理矢理立たされると、部室の隅に連れて来られた。
「お前、何言ってんだ!」
「だって、私だって何か立向居君の助けになりたいし、一応先輩だし、一年の問題ならある程度分かるつもりだし、」
「違う。そういうことじゃなくて、あの立向居を人並みな点数をとれるようにすることが出来る自信があるのか、って聞いてるんだ。」
「人並みって…案外酷いね戸田君。」
「真面目に言ってんだ。」
戸田君はいつになく切羽詰まった様に眉間に皺寄せて言う。
「立向居が今度の期末で全教科赤点なんて知れたら、休部どころか、担任がサッカー部退部させるって言ってるんだ。」
「えええっ!」
「俺はなんとしてもあいつにいい点数とって、これからも一緒にサッカーして欲しい。だがあいつはさっき見た通りの赤点常習犯だ。そんなあいつを、お前は後一週間で人並みにすることが出来るか?」

そうか、戸田君はそこまで考えて私に立向居君を教える自信と気持ちがあるか聞いたのだ。なんて後輩思いな部長だろう。そんな風に言われちゃ私も半端な気持ちで勉強を教えるなんて言っちゃいけない。真剣な眼差しで戸田君に力強く頷く。

「分かった。私も立向居君と一緒にサッカーやりたいもん、絶対に立向居君に一教科だって赤点、とらせたりなんてしないよ!」
「絶対か?」
「絶対に!」
「その為なら何でもするな」
「うん!何でもするよ!」
そうか、と戸田君は感無量と言うように頷いて約束だぞと言うと、私の肩をぽんっと叩く。

「立向居、今からみょうじがお前の勉強を見てくれるからな。」
「ほ、本当ですか!?」
立向居君は酷く驚いたように戸田君を見た後、私を恐る恐る見た。大丈夫!絶対君に赤点はとらせないからね、とアイコンタクトして頷いてみせたら、立向居君は凄く嬉しそうに目をうるうるさせてありがとうございますと言ってくれた。よおし、絶対君に辛い思いはさせないよ。私は机に向かって教科書をめくり始める。視界の隅で戸田君が立向居君に何か耳打ちしていた、立向居君が顔をまっかっかにして私を見た。うん?ああ、頑張ろうね!




期末試験の結果、頑張って一緒に勉強した立向居君はギリギリだが全教科赤点は免れた。私は立向居君と一緒に泣いて喜んだ。よく頑張ったね、本当によく頑張ったね。わしゃわしゃと頭を撫でて褒めまくったら、はい!と何度も返事をして満面の笑顔を見せてくれた。戸田君もやって来て同じ様に立向居君の頭を撫で回して言った。
「よくやったな立向居!」
「はいっ!」
「約束通りなまえがお前の彼女になってくれるぞ!」
「はいっ!」
「……え?」
なんか今聞いたことない話しが上がった。しかも、私が、立向居君の、彼女、だとか。え、約束?

「ちょっと、戸田君、なにそれ、誰の話し?え、聞いてないよ?」
「何言ってんだみょうじ。」
話しについていけないで間抜けに口を開けた間々、戸田君の肩をぐいぐい引っ張ったら、戸田君はムッとしたように言う。「立向居の為に何でもするって言ったろう。」
ああ、それ、そういうこと。てっきり部長の愛の鞭かと思ってノッちゃったじゃん、あれ。
チラッと立向居君を見ると、いつかのように顔をまっかっかにして私をうるうるしたきらきらな瞳で見つめてきた。やめて、そんな目で見つめないで、断りづらくなるじゃない。

「お、俺、その、ずっと、ずっと前から、みょうじ先輩が、す、す、」
ああ、言わないでよそこまで言われたら完璧逃げ場がないよ。まったくなんて奴だ戸田君。まさかテストも私とお付き合い出来る前提で頑張って、赤点なしだとでも言うのか。
立向居君が絞り出した告白を聞き終わり、私は固まった頬の筋肉をなんとか頑張って吊り上げて笑みを浮かべて見せた。まったく冗談じゃないよ。





100401/嵌められた。