以前ヒロトに梅干し食べた時の顔をしてくれと言われた。あの酸っぱさを想像して口の中に唾液が広がるのを感じつつ口を思いきりすぼまして目を細めて見せたら、それがキスするときの顔なんだと笑いながら告げられる。


「なんていうか、ひどいね」


私とキスしたこと無い癖に良くそんな失礼な事言えたもんだ。しかし、仮にも異性に酷いなんて言われた私がショックを受けなかったわけがない。キスなんぞ絶対にしないぞと決意してにやにやしているヒロトを殴った。




目の前の彼と睨み合い、基、見つめ合いを初めてからかれこれ十分位か、こんな事を思い出しながらなんとか十分過ごしている。部屋に来て他愛も無い会話、と言っても私が話題を一人で盛り上げて彼が、ふうん、とか、そう、とか相槌を打つだけの端から見ると冷めきっているものだが、いつもの通りの時間を過ごしていたのだ。

段々話題がつきかけてきたころ急に彼が相槌を打つのを辞めて、じっとこちらを見つめ始めた。不思議に思って名前を何度も呼ぶが、一つも返事を返してくれない。仕方なく私もこうして彼の方を見つめてみたが、そんな事しても彼の真意なんてさっぱり分からなかった。それどころか真っすぐに私の方に注がれる彼の視線が恥ずかしくて、彼の澄んだ青緑色の瞳なんてものを直視することが出来無くなって、情けないが段々と視線が彼の喉元に下がりつつある。ああ、なんて細くて白い首なんだろう、私もあれくらい綺麗に成りたいものだな。

そんな風に彼の首元ばかり見ていたからか、彼がこちらに腕を伸ばすのを気付け無かった。白くて冷たい彼の掌が私の右頬にぴたりと張り付いてきて、こんな事は付き合いだして以来初めてだった。驚いて彼の名前を呼ぼうと口を開く前にもう片方の頬も彼の左の掌で包み込まれて、自然と上の方を向かされた。向いた先には先程から見詰めてくる硝子玉みたいに綺麗な彼の瞳。

なんだかいつにもまして距離が近く感じる。いや、実際近い。だって普段余り接近しない分見えない所が段々とはっきり見えてくるじゃないか。伏し目がちに細められていく彼の瞳に乗っかる粉雪みたいに綺麗な睫毛が見える、長くてキラキラしてる、羨ましいな、私も長い睫毛が欲しいや。なんて見とれている場合じゃないんじゃないか私。

「あのっ、」


必死で絞り出したはずの声は酷く小さくか細く情けなかった。蚊の鳴くような声もこんな至近距離でなら流石に届いたのか、秀麗な彼の眉がピクリと動いてみるみる眉間に皺が刻まれていく。機嫌を損ねたのは一目瞭然だったが、意外にも彼の方が薄い唇を動かして答えてくれた。

「なに」

「ふ、風介、もしかして、…えっと…」

「だから、なに」

「あの、き、…きす、する?」



キスだなんて言葉にしただけでみるみる体が熱くなっていくのが分かる。私の体温上昇と共に彼の真白い頬がほんのり桃色になるのを見て、やはりと嬉しくなる気持ちより不安の方が少し上回った。


「嫌なのか」

「違う、けど、あの、」


しどろもどろと目線があちこちをうろついてしまう。

嫌な訳が無い、寧ろ凄く嬉しい、光栄だ。会話なんて相槌を打ってくれるだけだし何処かに一緒に出かけたりもしない、お付き合いだなんて形だけかなと寂しく思っていたのだ。そんな彼からキスの誘いだなんて、断るはずが無い、だからこそ、あのキスの顔の話がいきなり私の脳裏を掠める。おのれヒロトめ。今度会った時には大粒の梅干しを出会い頭口に放り込んでやる。


「じ、じゃあ目閉じてやって!!」

「は?…なんで」

「えと、私、変だから、」

「何が」

「き、キスする時の顔、すっごい変だから!!!」


と言われたんだ。だってそんなに酷い顔、あなたに見せられるわけ無いじゃないか。好きな人なんだから、私の事好きでいてもらいたいのだから、見せられるはずが無い。恥ずかしくて顔を手で覆う前に見た彼の顔があんまり綺麗だったから、顔を隠さなきゃならない自分が本当に嫌になる。ああ私も風介ぐらい綺麗な顔だったなら、梅干しも優雅に食べてキスだって上手にこなせられるんだろうな。

鼻の奥がつんとなってきたなと思っていたら、顔を覆う手を取られてもう一度視界が明るくなる。


「変じゃない」

「え、」

「変じゃない。」


明るくなる視界の中一番に飛び込んできたのは彼の透き通る青緑色の瞳だった。相変わらず眉間に、目尻に、うっすらと皺が寄っているが、なんでか今は不機嫌さは感じられない。そのせいでか、私は瞬きも出来ずにばっちり目を開けていなければならなかった。段々と近づくのも分かっているが、頬に固定された冷たい掌は、ピクリとも動かせないように張り付いている。


「変じゃない、」


繰り返し言い聞かせてくれるように、彼は同じ言葉を繰り返す。彼の真白い鼻が私のそれを掠めた時に、緊張で思わず泣きそうになった。
終に冷たくて柔らかいなにかが唇に触れた時に見た彼の目が、普段よりあんまり優しげだったから、つい我慢していた鼻を啜ってしまった。ああやっぱりきっと変な顔なんだろうな。








100222/ちゅうは緊張する話