14
 布団にに転がってうとうととしていたらいつの間にか朝になっていた。握りっぱなしの携帯はちかちかとランプを点灯させてメールと着信があったことを俺に知らせる。見れば発信者はすべて倉森や笹木だった。
 メールを開くと明日は絶対に学校に来いというようなことが書かれていた。彼らに言われなくてもそうするつもりだ。気怠い体を起こし、ハンガーにきちんとかけておいた制服のシャツに腕を通す。京一は今日も学校にきてくれているだろうか。図書館に籠りきりになって、食事をおろそかにしてはいないだろうか。
 朝食を済ませて部屋を出ても尚、俺の頭の中は京一のことでいっぱいだ。だから反応できなかった。玄関を開けたその先、廊下に背筋を伸ばして立つ人が誰なのか、理解するのに数瞬を要した。


「―――…、」


 あまりのことに言葉も出ない。
 そこに立っていたのは、――――京一だったのだ。

 伏せられていた鋭い瞳が、少し持ち上がって俺を捉える。たったそれだけのことに胸が震えた。細い腰を抱き寄せて、彼の唇をもう一度奪ってしまいたくなる。そんな獣の衝動をどうにか押さえて絞り出した声は、想像していたよりずっと震えていた。


「――お、…おはよう……芥菜」


「………」


 彼は応えない。
 ただ、鋭い目で俺をじっと見つめるだけ。どうして彼はここにいるのだろう。どういうつもりでここにいるのだろう。自分の唇を強引に奪った相手の部屋の前に、どうして。俺を待っていたのだろうか。尚更、…どうして。
 京一はピクリとも動かない。耐えられずに視線を彷徨わせながらなんとか部屋の鍵をかけ、彼に向き直る。俺が彼を見るとき、身長の差から自然と上目遣いになってしまう。もしかしたらそれが気に入らなかったのだろうか、表情をうかがおうと彼を見るとさっと視線をそらされてしまった。


「………おはよう」


「……う、ん」


 気まずくなって俯いてしまう。彼の足元を視界に入れてなんとかそれだけ返すと、ピクリともその場を動かなかった彼が動いた。
 彼は後ろを振り返ることもせず、廊下を一人で歩いて行ってしまう。その場に一人取り残されるのもなんだか嫌で彼の背中を追って駆け出す。隣に立って歩くのはさすがに駄目だろうと思い一歩後ろのところを歩く。


「………」


 互いに無言。話すことは何もないと口元を引き結ぶ京一の表情を不意に目にして、さっきまで頭の中をぐるぐるしていた「どうして」という疑問を彼に尋ねることはできなくなってしまった。
 そうしてただただひたすら一緒に歩いて、気が付くと教室についていて、気が付いたら自分の席に座り、気が付いたら授業を受けていた。目の前では数学の教師がよくわからない公式の説明をしている。教室内を見回すが真面目に聞いている奴なんてほとんどいない。ほかのクラスなら半数くらいは聞いているかもしれないが、ここはFクラス、学園内で一番出来の悪い奴らのクラスなのだ。この光景が日常だ。
 それからぼんやりとしているとすぐに授業終了のチャイムが鳴り、昼休憩になった。
 教材を片付けて食堂に行く準備をしていると「米川」と凛とした声が俺を呼んだ。


「…米川、いくぞ」


「え、あ…芥菜?」


 突然のことにうろたえる俺を気にする風もなく、京一は俺の手をつかんで半ば強引に席を立たせて歩き出した。クラスメイト達が何事かと騒ぐ中で、倉森たちに視線をやるとやけに落ち着いた様子で俺と京一を見ていた。
 何がなんだかわからないまま、京一に連れて行かれた先はいつも一緒に昼食を食べていた第二図書分館だった。入口から入るのかと思えばそうではないようで建物の裏手に回り、我が物顔で裏口の鍵を開けて中に入る。そういえば彼はここの鍵を持っているんだったか。
 ようやく彼の定位置の本棚の間につくと、つかまれていた手がやっと離された。


「芥菜…?」


 俺に背を向け黙ったままの彼に声をかけてみるが反応はない。俺はどうしたらいいんだろうか。彼はどうしてここに俺を連れてきたのだろう。疑問は尽きない。けれどその疑問を口にしたところで彼は答えてくれないような、そんな気がした。
 今までまでと変わらない彼の定位置にはクッションが一つにその周りには多くのぬいぐるみが置かれている。心なしかまた増えたように見える。あのライオンのぬいぐるみ、あれはこの間まではなかったはずだ。そんな些細な違いが分かるほどに俺はここに毎日来て、彼と昼食を共にして、他愛のない話をしていたのだ。日が暮れるまで。
 その日々が、今では遠く感じられる。自分の軽率な行動のせいだ。自分のせい、なのだが…、


「米川」


 思考に耽っていた俺を現実に戻したのは京一の声だった。まだ俺に背を向けたままだが、その声音に俺を責めているような様子は見受けられない。


「何故、昨日学校へ来なかった」


「え、…」


 緊張して口の中が乾いて、うまく言葉を口にすることができない。口ごもる俺を勘違いしたのだろうか、彼は肩を小さく震わせて不安そうな声を漏らす。


「…どうして、あんなことしたんだ」


 震える彼を見ていることができず、目を伏せる。俺が休んでいる間、彼は彼なりに悩んでいたのだろうか。友人だと思っていた男に急にキスされるなんて、想像し難いもんな。


「米川……」


 俺の名を呼ぶその声は、今まで聞いたことないほどに震えていて、泣いているかのように聞こえた。


「―――俺が嫌いなのか?」


 彼が口にした言葉の意味を理解した途端俺は大きく首を振っていた。けれど背を向けている彼にそれが見えるはずもなく、彼の震えは止まらない。その姿があまりにも痛々しく、俺は反射的に腕を伸ばし、彼の細い体を抱きしめていた。


「…………嫌いなわけ、ないだろ」


 俺より大きな彼を抱きしめるのは一苦労で、はたから見たら俺が京一に抱き着いているように見えるかもしれない。けれど、ちゃんと伝えなくちゃいけない、俺の、思いを、彼に。


「……嫌いじゃないんだよ、芥菜。俺は…―――」


 君が好きなんだ。

 それを、つたえようとしたのだけれど。
 俺の腕を振りほどき突然振り返った彼が、俺を床に押し倒した為に叶わなかった。


「……芥菜?」


 ぽたり。
 彼の瞳から零れた大粒の涙が、俺の頬に落ち、流れていく。

 どうして。
 どうしてそんなに。
 苦しそうな顔を、している。


「――俺は、…どうしたらいい?」


 そう、俺に問いかける彼は、今にも壊れてしまいそうで、ひどく、脆く、見えて。

 ぽつぽつと零れ落ちる彼の涙が、まるで彼の心が流す、血のように見えて。


「……芥菜」


 これ以上涙を流す様を見ていることができず。

 彼を追いつめてしまったのはきっと、自分なのだから。


「芥菜は俺が好き?」


「わからない」


「芥菜は大助が好き?」


「わからない」


「芥菜は何が好き?」


「本だ」


 それから…、と、小さな声で続ける。


「お前といる時間は、好き…だ」


 涙は未だ止まらない。


「なくしたく、ない」


「芥菜…」


「お前に嫌われたくはないんだ」


「芥菜」


「どうしたらいいのかわからない」


「――京一」


 涙で濡れた瞳を、まっすぐ俺に向ける。俺に嫌われるんじゃないと不安そうな様子で震える彼がいとおしくて仕方なく、濡れた瞳のその上。彼のメガネを避けて額にそっと唇を押し付けた。


「米川…」


 ひくりと震えてから、弱々しく俺の名前を呼ぶ彼が、好きで好きで堪らない。


「…俺は京一を嫌ったりしないよ」


 嫌いになれるわけない。この人を、俺が嫌いになるわけないのだ。安心させたくて微笑んでみせると、彼はさらに大粒の涙を零し始めた。

 俺の胸に額を押し付け嗚咽を零す彼の背後で、昼休憩の終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。


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