11


 その日、いつもの場所に京一の姿は無かった。

 クッションも、本の山もそのままで、京一だけがいない。隅にお弁当箱が置いてある。蓋が開けられた様子は、ない。


「――芥菜…?」


 俺の声だけが、虚しく響いた。






 ――京ちゃん、…最近どうしとるん?


 不安そうに瞳を揺らした大助に、俺は有りのままを話して聞かせた。
 半ば図書館に住んでいるようになっていること。毎日弁当を作ってくれること。廊下に山積みにされている、…ぬいぐるみの事も。
 けれど、京一が毎日あそこから大助を見ていたという可能性の話しだけは、しなかった。してはいけない気がしたのだ。大助の、京一の机を見詰める視線。後悔しているのだろうか。間宮さんと付き合いだした事を。京一を、突き放すような結果になってしまった事を。








「―――っ…!」


 駆け出す。

 言いようのない不安感。
 胸のあたりが、ぐちゃぐちゃしてて、気持ちが悪い。

 俺は京一が好きだ。
 好きなんだ。

 大助になんて渡さない。他の奴らに渡す気も、毛頭無い。あの目が見るのは、彼の大好きな本と、俺だけで良い。髪の毛一本だって、やらない。
 俺はね、京一…。








 ―――…最低。


 図書館の自動ドアが、背後で小さく音を立てて閉まる。
 きつい陽射しの中、俺は馬鹿みたいに立ち止まる。数人の生徒が、不思議そうに俺を見て首を傾げ、中に入っていく。

 頬を、汗が伝って行く。

 遠くで鳴く蝉の喧しい声を聞きながら、俺は久しぶりに聞いた大助の標準語での台詞を思い出していた。

 ―――…最低、だな。俺って。

 泣きそうだった。
 あの、大助が。

 違うんだ。違う。

 最低、なのは…




「米川…?」


「――…、…から、しな」


 片手に、購買で大人気のふんわりプリンが大量に入った袋を携えて、京一がいつの間にか、俺の前に立っていた。
 俺の名を呼び、先刻すれ違った生徒と同じように不思議そうに俺を見る。


「こんな所に突っ立って、どうしたんだ?」


 歩み寄って、やけに白い手が、俺の腕を自然に掴む。
 思わず、ぴくりと肩が揺れた。それには気付かなかったのか、京一は優しげな微笑みを浮かべ、目を細めた。

 今日はやけにご機嫌だな…。

 何時もならそれぐらいの事は考えたかもしれない。だが、今の俺にはそんな余裕すら、無かった。


「カウンターの奴らに頼まれて買い出しに行っていたんだ。お前の分も買ってある。中で食べよう」


 熱い。
 京一が触れている腕が。

 ――…溶けて、しまいそうな程に。





 自動ドアが開く音が、遠くで聞こえた。

 蝉の声は、もう聞こえない。


 ただ、頭の中が真っ白になっていた。


 何も、考えられなくて。




「――…、…ン…ッ!」




 京一の、苦しげな声が聞こえて、ようやく意識が浮上した。
 色が、世界の輪郭が、戻って来る。

 途端に腕に、咥内に激痛が走って、思わず腕を前に突き出した。

 手に、何か触れた。


 俺は…


 ――俺は、今、何をしていた…?


 視界に飛び込んできたのは、京一だった。
 誰かに突き飛ばされでもしたかのように、床に尻餅をついて、俺の足元にふんわりプリンの袋が落ちていた。

 誰かに。


 …誰に?


 ――…俺、に。




「っ、…か、芥菜」


 ごめん。違うんだ。
 こんなつもりじゃなかった。
 ごめん。

 伸ばした手は、すぐさま振り払われた。

 怯えたような京一の視線が、俺を捉える。


「――俺に触るなッ!!」


 …、泣きそうだ。
 瞳いっぱいに、涙を浮かべて、彼は叫ぶ。

 ゴメン、とも、もう言えなくて。


 俺は、…その場から逃げた。

 カウンターに居た奴が数人、京一に駆け寄ったのが見えた気がする。
 蝉の声が、思い出したようにけたたましく響く。
 頭が割れそうだった。






 大助。
 ごめん。

 やっぱり一番最低なのは、



 ―――俺だったよ。





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