それは私がまだ赤いランドセルを背負っていた頃のことだ。
「…あー…」
やってしまった。
小学生といえど、女の子は一丁前にみんな恋をする。
恋をすると、時として友情がもつれる。
私はそのもつれる状況に巻き込まれてしまっていた。
「自分さあ、坂下のこと好きなん!?」
「…ううん、好きちゃうよ」
「じゃあなんで休み時間あんな楽しそうに喋っとったん?うちが坂下のこと好きなん知っとるやろ!?裏切るやなんて酷いやんか!」
好きじゃない、と言い切る前に被せかかるようにきゃんきゃん喚いた怒声の後ろには、私を牽制するように数名の女子が立っている。
…好きじゃない男子と喋っちゃ駄目なのか。それは知らなんだ。
はたから見れば数名対一人のいじめのようにも見えるが、悲劇のヒロインのように今にも泣き出しそうな目の前の少女を見れば、むしろ虐めているのはこちらのように見える。私はこの状況が気持ち悪くて仕方がない。
彼女を慰めるように後ろの女子も出てくる。
「ちょっと自分のこと可愛いや美人やって思い上がっとるんか知らんけど、せやからって友達の好きな人取るとか最低や!」
じゃあ相手の言い分聞かんとイジメみたいなことしとるあんたらはどないやねん。そもそも取った覚えないっちゅうねん。
と出かかった言葉はさすがに飲み込んだ。
こういう時は、必ず誰かが譲歩して、大人にならなきゃならない。
でも小学生の、恋に恋してちょっとませた時期に、大人になるということは皆、私も含めて不可能だった。
私もその可愛らしい修羅場の空気に酔っていたのかもしれない。
「…あたしは、坂下くん好きちゃうって言うてるやんか!
そもそもこんなとこでイジメみたいなことして、わざとらしゅう泣き真似しとる女に惚れる男子なんかおるかいや!
あたしが誰と仲良くしようがあたしの勝手じゃ!いちいち口出すな!」
張り上げた声に、これ幸いと目の前の女子はわんわん泣き出した。無理矢理声を出して周りの気を引こうとするあたり嫌な女の典型だ。
「そんな言い方ないやんか!」「酷い!」「友達に向かって何言うてんの!?」
正義の味方気取りで私に手をあげる子もいた。
何も言わずに帰ろうと踵を返した時には、もう誰とも関わらないと幼心に誓おうかとすら思った。面倒ごとは嫌いだし、こういうことを上手く対処できるほど私は大人じゃないもん。
何やの、皆してあたしを悪者呼ばわりで、悪いことしてへんのになんであたしが責められなあかんのよ。
ランドセルを引っ掴んで、つかつかと廊下を歩く。その間にも内心でもやもやと黒い感情が渦巻く。
わけもわからずいっそ大声で泣いてしまいたくて、でも誰かに見られるのはなけなしのプライドが許さなくて、手持ち無沙汰に視界が歪んだ、そんな時だった。
バスッとランドセル越しに背中を叩かれた。
「お前めっちゃかっこえーなー!」
「へ…」
誰だおまえは。
さっきの一部始終を見ていたのかいなかったのか、突然声をかけてきた黒い髪の男子が一人。
「あんなしょーもない女、気にすんなよ!俺1組の志摩!なんかあったら俺が助けたるから一人で泣きなやー」
へら、と笑ってからランドセルを振り回して走り去った少年。
「…あたし…かっこよかったかなあ…」
ぽつんと取り残された私は、何の面識も無かった彼の強烈とも言える明るさに、もやもやとした気持ちをぴしっと正されたような気になった。
後からちゃんと知った、彼は志摩金造。
私の淡い初恋の相手だったわけなんだが、その時以降に特別交わした言葉もなかった癖に、私は彼に特別な何かを感じていた。
「…なーんて、コイツは知らないんでしょうねえ」
目の前で机に突っ伏してぐーすか寝ている金髪になんだか苛立って、おでこをぴんっと弾いてやった。
こうして高校生になってから全く別の地で同じ志を持って再会できたことは、現実主義に近い感性を持つ私にすら運命という言葉をチラつかせた。
「んー…」
「ほらっ復習の続きやるよ!起きなさい金造!」