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「お久しぶりでございます、婆様[ババさま]」

静まり返った和室は、二人で使うにはいささか広い。
正座のままスッと頭を下げる。作法は全て目の前の老女から幼少より叩き込まれたものだ。
女将さんが気を遣ってくださったのだろう、突然押しかけてきた老人にわざわざ客室まで用意してくれた。

「…元気そうやのう」

「お陰様で…

ちなみに、どうして私がここに居ることを…?」

「瀬々良が会いに来てくれたんや」

「あらぁ、さようでございましたか」

やっぱりな!!

にっこりと笑った婆様に、こちらも既に少し引きつった口角を引き上げてにっこりと笑って返す。するとみるみる彼女の顔が般若へと化した。

うわぁやっばい。

「こっっんの馬鹿孫娘がぁぁぁぁ!!!!」

「(ヒィィィィ!!!!)」

怒号に呼応するようになぜか向かい風のようなものを感じた。それだけ力強い声だった。

「府立の高校受かったんに勝手に奨学金で正十字行って!何が祓魔師や
アホちゃうか!!アホや!あんたはアホ以外の何者でもない!このババ不孝者が!!」

もう80近いというのに大声で叱咤する婆様に何も言えずただただ正座。
あー生徒の皆に恥ずかしいところ見せちゃうなあ。

しかしおとなしく黙ってお説教を受けているような私ではない。

「婆様も、母さんかて祓魔師やったやろ!確かに黙って出て行ったんは悪い思うてる!せやけどそこまで祓魔師の仕事を否定されるいわれはない!」

婆様と話すとすぐに京都弁が出る。緊張が取れるのと、
今の場合は同時に頭に血が上っているからだ。
婆様やから、と引いてしまわずに思ったことは思うままにぶつけろというのは樋口家の家訓の一つとも言えよう。

「私もあの子も祓魔師なってええ思いせんかったから、あんたにはせめて普通に生きてもらいとうてやな!」

「嘘や!せやったらなんで私に魔法円の書き方教えたん?小学生んときに婆様が教えてくれたからうちは朱歌と瀬々良に会うてんで?」

当時流行っていた魔法少女ものの漫画の読みすぎで、ませた言葉で呼び出した初めての私の使い魔、朱歌と瀬々良。
二匹を婆様に見せた時は、それはそれは喜んでくれた。

部屋の隅で身を縮こませていた二匹は、自分の名前が出たことでぴくりと反応した。表情は不安気だ。
その様子を見て婆様は少しトーンダウンした。

「あんたは、祓魔師になったらあかんかったんや…」

「なんでそんなこと…あたしはなりたくて祓魔師になったんよ、この仕事にかて私なりに誇り持ってやってんねんで?なんでそんなに頭ごなしに否定するん?」

中学に上がった時とほぼ同時に、婆様は私に祓魔師なんかになるなと度々言い聞かせるようになった。

「それから、もう隠すつもりもありはらへんやろから私から言わしてもらうけど…

母さんと父さんは、もう死んでるんよね?」

その言葉を聞いて、婆様は今日で一番悲しい顔を見せた。

「いつ死んだんかまでは知らんけど、嫌や言うほど情報の集まる本部で二年も仕事して私自身世界中で仕事して、それでも樋口夫妻の名前一個も聞かへんのよ。
正十字で藤本神父に会うた時に、あの方は隠してくれはったけど確信した。


婆様がずっと言わへんかったんは、なんで?」

婆様に会ったら一番に聞こうと思っていたこと。
でも怖くて聞きにくかったこと。
祓魔師をしてるんだから、いつ命を落としたっておかしくない。両親の死は辛いけど、それを知って悲しませたくない、と気遣われるほど私は子どもだっただろうか。もう20歳にもなるのに。

「茜あんた、父さん母さんと最後に会うたん覚えてるか」

「最後は…新幹線の駅やったわ。ヴァチカンに行くから、って婆様に引き取られた日」

「それから青い夜、てあったやろ」

「…なにが言いたいん」

青い夜。祓魔に関わる人間にとっては穏やかなワードじゃない。
青い夜に死んだのか。両親はサタンに殺されたのか。

「あんときに母さんは、サタンに見初められた」

「みそ…」

は?待って、炎にのっとられて死んだんじゃなくて?

「母さんを自分のものにせんとしとるサタンの思惑に気づいて、サタンのものになるくらいならと母さんは自害した」

「なにそれ…自分のものって?」

「虚無界に連れて行くとか、手はいくらでもあったんちゃうか?


父さんはイタリアの方やさかいもともと疎遠で、ババともそれから連絡取ってへん。今では死んだかも分からんし、生きとるかも分からん」

婆様の声はさっきまでと打って変わって随分と低い。

「ババが怖いんはな、母さんの生き写しの様に似とるお前までもがサタンに狙われる事なんや」

「…私とお母さん、そないに似てるん?」

「もうそっくりや。最初はババはな、娘の敵討ちに孫を、やなんてアホな事考えとったんや。魔法円も教えたし、
祓魔の基本も叩き込んで、ああ、勿論弓も」

せやけど、

そこまで言って顔を伏せた。

…ああ、泣いてる。
いつも毅然として弱さを見せない祖母が泣いている。

でも肩が震えたのは一瞬で、すぐに顔を上げた。

「目の前のあんたが、母さんやなくてあんたが、可愛くてしゃあなくなってなぁ」

次に泣くのは私だった。

「あんたまで奪われたら私はどうなるやろか、て考えたら…もう、祓魔なんてもんを教えた自分が忌々しくて…」

婆様にとって母は大切な一人娘だったんだ。
それを奪ったサタンに復讐したくても自分は老体。そこに未来ある孫がいるとなれば、縋るのも道理だ。

流れた涙を、驚く程自然に受け止めてなおも正然としていられたのは、婆様の方が対照的な程に心を乱していたからだとすぐにわかる。

本心はするりと舌を流れた。

「もし、私が婆様に祓魔を教えてもらわんかっても」

いつの間にか流れた涙はいつの間にか止まっていた。

「私は婆様が大好きやったし、祓魔師にもなってたよ」

むしろ晴れやかといえよう私の顔は、泣きじゃくる祖母の心を癒せたようだ。




カタン、

襖が動く音がした。


「お婆さん大丈夫やったか」

「金造」

部屋の前で胡座をかく彼の浴衣はシワになっている。
女将さんか誰かから話を聞いて私が戻るのを待っていてくれたらしい。

「うん、凄く泣かせちゃったけど最後はいつも通り口煩い婆様だったわ」

「さよか」

私が少し笑うと、金造も笑った。
彼に話をすると聞いてくれるだろうか。優しい彼のことだからもちろん聞いてくれるだろう。

話しておきたい。大切な人だからこそ自分の大切なことを知って欲しい。
でもそれ以上に、

「金造、入って」

スッと襖を開けると金造も特に気にすることなく部屋に入った。

パタリと襖を閉めてから、
ほとんどどつくにも近いくらいの強さで、後ろから金造に抱き着いた。

「うおっ!?なんやなんや」

驚いた、というよりは仔犬をあやしているような声だ。
髪をわしゃわしゃと撫でられる。
なんとなくまだ声を出したくなくて、
もっと腕に力を込めてぎゅっと抱き着いて、金造の浴衣を掴んでくいっと下に引いた。

座って、の合図。

金造は何も言わずその場に胡座をかいて、私を後ろから抱き寄せる形で座らせた。


話したい、聞いてもらいたい。

でもそれ以上に、彼の温もりを感じたい。今だけは甘えていたい。

私を緩く抱きしめる腕にしがみつく。
金造はされるがままに受け止めてくれる。

「聞いてくれる?」

「話してくれるんならいくらでも聞く」

私の肩に顔を埋めた。

それが聞く体勢か、と思ったが腕にしがみついて甘えている私が言えたことではないし、なにより肩越しに伝わる熱ですらも愛おしかった。

まだ恋人同士になって2日も経っていないというのに、この男はどうしてここまで私のして欲しいことが分かるのか。

そんなことが愛おしさと共に脳裏を掠めつつ、私はぽつりぽつりと話し始めた。


両親は祓魔師だった。

日本支部に勤務していたが、私が幼い頃夫婦揃ってヴァチカンに転勤になり、自分は唯一の親類である祖母に預けられた。
祖母は既に引退した祓魔師で、京都に来てからは厳しく躾けられた。
それからすぐに青い夜。
サタンに見初められたという母は抵抗して自害した。
父はその後音信不通。本部の記録をみればあるいは分かるかもしれない。

母の仇を取るために祖母は私を祓魔師にしようとしたが、成長するにつれ母に似て行く私、そして母を通してでなく私自身への愛情を感じて、祓魔師にすることを止めようとした。

私は中学生という多感な時期の反発もあって勝手に正十字学園に入学。
それからは祖母と連絡は取り合っていなかった。

「…とまぁ、ここまでが私の身の上話」

「…おう」

金造はずっと黙ったままで、時折相槌のように私の手を握り直していた。

「それで、ここからが話しておきたいことなんだけど」

婆様がわざわざ旅館に来てまで私に伝えたかったこと。これから起こりうる可能性。

「私、本当に母に似てるらしいのよ」

ぶっちゃけてしまうと、母の顔はほとんど覚えていない。肌身離さず持っていた写真は任務中に失くしてしまったのでもうかれこれ3年は見ていない。

しかし婆様いわく、見た瞬間に呼ぶ名前を間違えそうになるほどらしい。実の母がそこまで言うのなら私は余程似ているのだろう。

「で、仮にまたサタンが物質界に直接干渉してくるようなことが起きた場合…娘の私に危害が及ぶかもしれな…


金造?」

話の途中から気になってはいたが、どんどん後ろから抱きしめる力が強くなっている。いい加減に苦しいくらい。

身をよじって見えない表情を伺おうとすると、金造は私の首元に更に顔をうずめてしまった。

「くすぐったいんだけど?」

「あー情けないわ、俺」

「え?」

「茜の命に関わる、めっちゃ大事なことをやで?付き合い出したばっかの俺なんかに話してくれて、そんだけ信頼してくれてんのにやで?
俺、格好つけて「俺が守ったるから安心せえ」て言われへんねん」

「はは、そこは嘘でも言ってくれて良いのに、変なところ正直ね」

金造が私を大切に思ってくれていることは分かっているし、私も金造を大切に思っているから、ただ知っておいて欲しかっただけ。



私といるとサタンからとばっちり受けかねないから離れてた方が良いよ、



と言えなかったのは、私が金造と離れたくない我儘。それでも、金造にサタンに恐れる仕草が少しでもあればそのようなニュアンスの言葉を吐くつもりだった。



守ること前提で話しとることがもう既に格好ええねんで、あほ。

なんて、言ってやらないけど。

「まぁ実力は私の方が上だしねえ。金造に守ってもらうような、か弱い女の子じゃないもの」

「わーっとるわ、せやから情けないんやんけ」

強い人は好きよ?でも、強いは戦うことだけやないでしょう?知ってる癖に。

「じゃあ…今夜は私よりも強くなって、悲しんでる私を慰めてくださらない?」

トン、と後ろに体重をかけて金造の胸にもたれかかった。

「……お前はほんまに…」

「ん?」

「なんでもない」


俺にはもったいないわ、と言ったつぶやきは重なる唇の間で溶けて消えた。


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