君はサンシャイン 3
その日の部活中のこと。体育館の入り口から担任の先生に名前を呼ばれて振り向いた。
先生の隣に立っていたのは生徒会長と、たしか美和のお兄さん。お兄さんには一度会ったことがある。
バレー部のみんなもなんだなんだ、と視線をこちらに向ける。
スクールアイドルの話か。
私は少しため息をつくと、潔子さんにことわってから先生のもとに向かった。
「生徒会の人達が秋宮さんにお話があるって!」
先生はにっこりと笑っている。自分のクラスの生徒にスクールアイドルの白羽の矢がたったことが嬉しいという純粋な笑顔だろう。とはいえなんだか素直に笑い返すことはできない。
先生はじゃあ!と言って仕事が残っているのか職員室に戻って行った。
「秋宮さん、ですよね。部活中にごめんなさい」
「いえ、大丈夫です」
「ここだと他のバレー部の人の邪魔になるし、場所変えようか」
会長は私の背中を軽く押して、体育館を出ようと促す。
ちらりと後ろを振り返ると、バレー部のみなさんが少し心配そうにこちらを見ていた。優しい人達だ。
「えっと、何の話かは分かる?」
生徒会室に招かれた私は頷いた。
「スクールアイドル、ですよね」
「うん。俺の妹口軽いから、もう聞いてるかなーとは思ってた。ごめんね、いきなり」
美和のお兄さんは眉を下げて申し訳なさそうに笑った。
良い人なのを知っているから、怒ってない、という気持ちを込めてわたしも少し微笑む。
生徒会長が口を開く。
「正直ね、烏野ってイマイチこれといった強みってやつがないんだ。部活もそうだし、学力も高くはない」
「たしかに、全国出場とかの垂れ幕、うちにかかってるのあんまり見ないですね…」
数年前はバレー部の全国出場の垂れ幕がかかっていたものだが、飛べないカラスと呼ばれる今はそれもない。
「そう。今や烏野の入学希望者は減少傾向だ。このままではいけない」
「それでスクールアイドルですか」
「うん、君に烏野の広告塔になって欲しいんだ」
「私、そんなに華やかな外見じゃないですよ?」
私の思う美人ナンバーワンの潔子さんを思い描く。あんな人にスカウトが来るならまだしも、なんで私。ダンスだけでアイドルにはなれないだろう。
「いやいや、美和から聞いてるよ。入学してからすでに何度か告白もされてるんだって?俺なんかに言われても嬉しくないだろうけど、ひかりちゃんは充分可愛いし魅力的だよ。カラオケでの平均点も高くて歌もうまいって聞いてる」
美和め。明日ほっぺた抓ってやろう。
「でも私、もし望んでいただけているとしても、バレー部が大切なので…スクールアイドルはできません」
「ああ、いや、スクールアイドルは部活じゃないよ?むしろバレー部はしっかり続けて欲しい。高校生活をしっかりと充実させている君のまま、そのままスクールアイドルになって欲しいんだ」
恋愛も禁止しない。
こんなことまで付け加えられては、ぐ、と反論のネタに詰まる。
でも…と口を開くものの、続く言葉が思いつかない。
「本当に嫌なら無理強いはしないよ。でも、去年の県内ダンスコンテストの映像見る限り、君にとっても悪い話じゃないと思ってる」
生徒会長、コンテストの映像みたんだ。
「君は、烏野のスクールアイドルには欠かせない存在だ。君がやらないなら、最悪この企画自体が破談になると言ってもかまわない。まぁ、脅しているわけではないけど…
いまここで返事しろとは言わないからもう少し考えてみて。それじゃあ、部活の邪魔して悪かったね」
いえ、と小さく声を出してから椅子から立ち上がり、お辞儀をして生徒会室を出た。
とぼとぼと第二体育館に向かって歩く。長々と話していたつもりはなかったのだが、もう練習が終わる時間だった。
まだ体育館に皆いるかもしれないし、とりあえず向かおう、と足を体育館に向ける。
マネージャー業に悪影響がないのなら、悪い話じゃないんじゃないか。
いや、今はそう言ってくれているけれど、人前でパフォーマンスをするのならきちんと練習が必要だ。部活を休むことも一度や二度じゃなくなる。マネージャーとは部に、選手に尽くす人。それが片手間なんて、迷惑になるんじゃないか。
みんなに申し訳ない。まだ仕事を覚えきったわけでもないのに。
つまり、
「みんなに嫌われたくないなあ…」
ということが、スクールアイドルを拒む最大にして唯一の理由なのだ。
「ひかり」
「!き、潔子さん!すみません部活抜けちゃって!手伝います!すみません!」
「ひかり…大丈夫?泣きそうな顔してる」
「へ?あ、いやいやそんな!大丈夫ですよ!ちょっと考え事してただけで、平気です!」
私が明るくそう言うと、潔子さんはそう、と微笑んで私の頭を撫でて、それ以上は聞いて来なかった。本当に良い人だ。ありがたい。
体育館に戻ると、すでにスコアボードなどの備品は片付けられたあとで、モップがけも終わりかけていた。三年生達はもう部室に着替えに戻っているようだ。
「秋宮!おかえり!」
「菅原さん…」
部活抜けちゃってすみませんでした、と言うと、なーに言ってんだ!と笑ってくれた。
「生徒会にいじめられなかったか?なんかあったら俺に言えよ!頼りないけど!」
そういって菅原さんは笑ってくれた。
「そんな、頼りなくなんかないです!菅原さんはすごく頼りになります!」
「そう?秋宮に言われると特別嬉しいな。ありがとう」
そう言って私の頭を撫でてくれる。じゃあさ、と、菅原さんは私の頭に置いた手はそのままに口を開いた。
「よかったら今日、一緒に帰らない?頼りになるって言ってくれるんなら、頼って欲しいよ。明らかに悩みありますって顔してる」
なんでこうも先輩ってのは優しいんだろう。潔子さんも、菅原さんも。他の二年生や三年生も、みんな優しい。
「じゃ、じゃあ…相談しても、良いですか?」
「おう!可愛い後輩の相談に乗れるなんて、先輩冥利に尽きる、ってもんだ!」
すこしおどけてまた私の頭にぽん、と手を置き直すと、後でな、と残してみんなの元に向かって走って行った。
もう何人かは帰った後で、私は体育館の壁に背中をくっつけて座り込んでいた。
うん、やっぱりバレー部が好きだ。ないがしろにしたくない。
そんな気持ちで体育館を眺めていた。
携帯がブブ、と震えてLINEの着信を示す。夕だ。
『スガさんと帰るんだよな?俺龍達と先に帰るからな!おつかれ!』
余計な心配の言葉とか、そういうのが一切ない、少し勢いのある夕のメッセージ。夕は、私がスクールアイドルやるって言ったらなんて言うのかな。びっくりする?バレー部はどうすんだって怒る?他のスクールアイドルの可愛い子紹介しろ、とか言ってくるかな。
どれもありえそうで、どれも夕らしくて、少し笑えた。
「秋宮、遅くなってごめんな!帰ろう」
菅原さんは急いでくれたのか、少し汗ばんでいた。まあ部活終わりだしね。
はい、と笑って立ち上がる。
菅原さんは私なんかよりももちろん背が高い。私はいかにも平均的な身長で、166cmの潔子さんよりは少し小さい。
いつも隣が夕なせいで、男の人と歩いている、という感覚がリアルに来る。
並んで歩くことなんて初めてじゃないのに、なんだか少し緊張するな。先輩、私に歩調合わせてくれてる。優しいな。
いやいや、なに浸ってるのよ、私。私が相談したいって言ったんだから私から話さないと。
「あの、菅原さん」
「ん?」
「…たとえば私が、バレー部の他に部活やるって言ったら、どう思いますか?」
「えっと、兼部ってこと?」
「…そんな感じです」
「うーんそうだなー、秋宮がやりたいことならもちろん応援するよ。でも、まあ、ちょっとさみしいかな」
体育館に秋宮がいるの、もう当たり前って思っちゃってるからさ
そう笑う菅原さんに、また胸がキュンとした。
「実は…なんか、烏野高校に、スクールアイドルを作るらしくって」
「あ、…アイドル…?」
「アイドルです。あの、アルファベット三文字48みたいな、アイドル」
「それを、秋宮が、やるの?」
「さっきの生徒会は、それの勧誘だったんです。私昔からダンス習ってたから、それをどっかから聞きつけてきたみたいで…」
「秋宮がアイドル…」
菅原さんはびっくり顔のまま顎に手を添えている。
「や、やっぱり似合わないですよね!私がア、アイドルなんて!身の程わきまえろって感じですよね本当に!なんかすみませんこんなことで悩んだりなんか!やっちゃだめですよねこんなんがアイドルなんて!あはは!」
先輩の口から私がアイドル、なんて言葉を聞くとなんだか一気に恥ずかしくなってしまい、一気にまくしたてる。
「いやっ違う!そうじゃない!絶対可愛いよ、今でもう、すごく可愛いんだから、秋宮がアイドルなんてやったら、絶対可愛い」
きらきらの目でこちらを向いてそんなことを熱心に言われてしまうと、そ、そうですかね…としか言えず、少し顔が赤くなった。
あたりが暗くて助かった。こんな顔してるのがバレたら恥ずかしすぎる。
「秋宮はやりたいって思うの?その、アイドル」
「正直…ちょっとだけ、やってみたいです。舞台に立つのは小さい頃から好きだったし、中学でダンスやめちゃったから少し物足りないって思うことも、ないわけじゃなかったし…
あっでも!マネージャーも本当に楽しくて、毎日充実してるんですよ!本当に!アイドルなんてしなくても、バレー部のみなさんがいてくれればそれで、楽しいんです。
だから、迷っちゃって」
「でもさっき言った感じだと、マネージャーやめなきゃいけないわけじゃないんでしょ?兼部って言ってた」
「はい。生徒会長さんも、主軸はバレー部で良いって言ってくれています。でも、いつか両立ができなくなって、マネージャーの仕事に支障が出たり、逆にアイドルの方が疎かになったりしたら、どちらにも申し訳ないし…なにより…、」
「うん、なにより?」
先輩の落ち着いた雰囲気に包まれて、言うつもりがなかったことまでぽろぽろと口からこぼれていく。この人に私、隠し事なんてできないな。
無性に泣きそうになる、
「みなさんに、菅原さんに、嫌われたくないんです」
決死の想いでそう言うと、菅原さんは一瞬キョトンとしたあと、へ?と間抜けな顔をした。
「嫌うわけねえべ、なんで嫌われると思った?」
「だって私、マネージャーだけに専念しなくなるんですよ?みんなが必死で頑張ってるのに、私、他のことにも目を向けてしまって、」
「秋宮がアイドルをはじめたら、秋宮はバレーに、本気じゃなくなるの?」
「そ、そんなことないです!何があってもバレーは大好きでバレーをしてるみなさんが大好きです!ずっと本気で応援します!」
必死にそう言うと、菅原さんは満足そうに頷いた。
「うん、じゃあ良いんじゃない?」
「…良いん、でしょうか…?」
「体が二つになることはないから、きっと秋宮は忙しくて大変になると思う。それでも、アイドルになってもマネージャーを続けてくれるんなら、俺はそんな秋宮を応援するよ」
きっと、他の奴らも。菅原さんはそう言って笑いかけてくれた。
「他の奴らは喜びそうだなー、俺らの後輩がアイドル!とか言ってさ」
「ふふ、それはなんだか照れますね」
俺らの後輩、って思ってもらえるなんて、なんかお兄ちゃんがいっぱいいるみたいで幸せだな。
「決めるのは秋宮だけど、俺らを理由にして諦めるのは間違ってる。これだけは言っとく。
えーと、秋宮の家、もうこの辺だよな?」
そう言われてえっ、と辺りを見回すと、もう家はすぐそこだった。
「そうです、やだ、すみません私、先輩に家まで送らせてしまって」
「何言ってんの、普段は西谷がいるから安心だけど、女の子1人で帰すわけないでしょ。送るくらいさせてよ」
「部活終わりで疲れてるのに…ありがとうございます」
「ん!また明日な!」
「はい、色々、ありがとうございました!また明日、」
そう言って手を振ると菅原さんは来た道を戻って行った。
ああ、かっこいいなあ。
好き、だなあ…
去って行く背中をみつめて、思わず呟いた。
「好き。…菅原さん、好きです…」
すると、菅原さんが突然こちらに振り向いた。
「!!?」
もう随分離れてるのに、まさか聞こえた!?
何も言えずに目を見開いたまま菅原さんを見る。すると彼はにかっと笑って手を振ってきた。
「まだ夜はさみーんだから、はやく家入れよー!お見送りサンキュ!」
さわやかで大きな声が私にまっすぐ届く。私は慌ててお辞儀をして、すぐに家に入った。
ああもう、タイミングよすぎでしょ!ほんとにもう!
さっきまで体育館で鬱屈した思いを抱えていたというのに、今では心は軽く、でも大きく速いリズムで高鳴っていた。
「ありがとう、菅原さん」