賢いカノジョ 6
「青城と比べたら規模は小さいけど、これはこれで青春って感じしていいなあ」
と、おばさんのようなことを口にしては校内をぷらぷら歩く優羽。
時刻は放課後で、烏野高校ではあちらこちらから部活動に励む声や楽器の音が聞こえていた。
普段ならこの時間は優羽も部活中なのだが、今日は月曜日。青城バレー部は休みだ。
青城の白い制服は、黒い烏野の制服の中では随分と浮くものだが、堂々としていればさして怪しまれることもなかった。
バレー部が練習しているという第二体育館を見つけて扉に近づくと、運動部らしい怒声が聞こえてきた。
「レシーブ脇閉めろ!!姿勢!!」
青城のコーチを彷彿とさせる成人男性と思しきその声だが、練習試合では烏野にコーチなどおらず、物腰柔らかな顧問一人だったはずだ。
そろりと扉を開き中を伺うと、案の定そこには優羽の知らない男性が立っていた。マネージャーの清水さんから渡されるボールを叩き、容赦ないレシーブ練が展開されている。どこのバレー部もこの感じは変わらない。
部員の方に目を向けると、こちらも変化があった。
「あ、こないだ居なかった2人、ちゃんと居るじゃん」
優羽が烏野との試合において注意すべき人物として挙げていた2人は前回の練習試合では姿がなかった。そして、エースである東峰の動きは以前よりも鈍っているように感じられて、優羽は思わずはて、と首を傾げた。
「うお、どうした影山!?」
すると、ドリンクを飲んでいた影山が思い切り吹き出したらしく、隣にいた日向が心配する言葉と同時に笑い出した。その日向は小豆色のジャージに身を包んでいる。
「な…っ、なんで居るんすか、日向さん!!」
噎せた苦しさから目を少し潤ませつつ、影山は少し開いた扉から中を覗く優羽を見た。
「え!?優羽姉!?」
「わぁ、見つかっちゃった」
さして隠れるつもりもなかったくせに、そう言ってへらりと笑う優羽に、ボールを打っていたコーチとおぼしき男がなんだなんだ、と動きを止めた。
「練習中ごめんなさい、お届け物があって」
ローファーを脱いで体育館に入った優羽は、申し訳なさそうに眉を下げて、持っていた袋を掲げた。
「あ!俺の練習着!!」
「翔ちゃん、朝玄関に忘れてったでしょう」
「そうなんだよ〜だから今体育のジャージ着てて…」
「今日は部活休みだったから私が届けられたけど、ちゃんと気をつけなさいね」
そう言って袋を日向に渡すと、優羽は慣れたように日向の頭をふわりと撫でた。
「へへ、ありがと」
「日向と日向さんって一緒に住んでるの?」
菅原の言葉に優羽が顔を上げて周りに目を向けると、レシーブ練を終えて休憩になっていたのか、周囲は部員がこちらを少し気にしながらドリンクを飲んでいた。
「ううん、昨日はたまたま翔ちゃんがお泊りに来てたの。私今も北一の校区内に住んでるから、翔ちゃんの家よりは烏野が近いんだ」
「へえ…」
「青城の日向って、日向と関係あったのか。名前が一緒だとは思ってたけど」
そう言って近づいて来たのは、教育者とはとても言えない金髪のイカツイお兄さん。しかしその顔は少し見覚えがある気がして、優羽はしばしその顔を見つめた。
「…烏養監督の、お子さん?いや、年齢的にはお孫さん、ですか?」
「へ?」
「ああ、いえ、以前まで烏野で監督をされていた烏養監督に、お顔が似ている気がしたので」
「ああ、なるほどな」
「優羽姉も烏養監督知ってるの!?」
「当たり前でしょう、すごい方なんだから。翔ちゃんみたいに小さな巨人だけ見てるわけじゃないの」
そう言って優羽が日向を小突いていると、わらわらと人が集まって来た。
「すげえ、翔陽と従兄弟ってまじだったんか!」
「従兄弟とはいえ全然似てないな」
そう言って近づいてきたのは、練習試合には居なかった西谷と東峰だ。
「こんにちは、青城の日向です」
「俺一回中学の時に話したことあるんスよ!覚えて無いかもしれないですけど!」
そう言った西谷に、優羽はくすりと笑って答えた。
「忘れてるわけないじゃないですか。中学でベストリベロ獲ってた千鳥山の西谷くん」
「あの時のこと覚えてくれてるんですか!」
「もちろん」
「あの時って、何か話す機会でもあったの?」
そう聞く菅原に、優羽はハハ、と渇いた笑いをこぼした。
「いやあ、本当に群を抜いてすごかったから、試合の後練習法聞きにいったんだけど…ハハ、なんというか、語彙力が独特で…」
そこまで言ったところで、部員の多くが悟ったような表情になった。
西谷の説明力の無さは、後輩も入ってきて教える立場となった今では周知の事実で、効果音ばかりで意味がわからないと言うのがここにいる全員の総意である。
「まあ、西谷はセンスで生きてるやつだからな」
そう言ったのは澤村だ。
「もう休憩終わるよね?邪魔しちゃ悪いし、私は帰るね」
「ありがとう優羽姉!」
部員に軽く挨拶をして体育館を去ろうとすると、ちょっと待て、と後ろから声をかけられた。
声の主は烏養コーチだ。
「時間あるなら、練習見ていかないか?」
挑戦的な笑みを浮かべる烏養に、メンバーは「え!?」と苦い顔をする。女子高生アナリストの異名を欲しいままにする彼女の前で練習を見せては、こちらの手の内を全て見られることに他ならない。
「私、青城バレー部なんですけど…敵を招いて大丈夫なんですか?」
「見られようが実力は落ちねえよ。ただし条件として、練習の終わりに感想として、見たこと、感じたこと、こいつらの欠点なんかを全て教えてほしい」
「…なるほど、情報を与える代わりに私の意見を得るってことですか。ええ、そういうことなら喜んで。包み隠さずお伝えしますわ」
優羽がにっこりと告げると、烏野のマネージャーである清水に案内されて脇のパイプ椅子に腰掛けた。
その隣に清水も腰掛ける。
「私も一緒に見ていて良い?今からは試合形式の練習だから、ドリンク用意くらいしかすることなくて」
「ええ、もちろん!美人マネージャーと話せるなんて光栄だわ」
「美人って…それは日向さんのほうでしょう」
「まあ顔がある程度整ってる自覚はあるけど、私は清水さんみたいな色気のある美人が好きだわ」
「色気…?」
ぽんぽんと軽口を叩きながらも、優羽の目線はコートから離れない。時折携帯で写真も撮っているようで、ノートとペン、携帯、と手元はせわしない。そのくせ清水との会話は滞りないものだから、頭が良いのだな、と清水は一人感心した。
「日向さんのところも、マネージャーは一人なんだよね?」
「うん、うちは人数多くて一年生部員が結構手伝ってくれるから、それで回ってるんだよね」
「そうなんだ…人数多い分マネージャーも必要なのかと」
「あー、それは正しいと思うよ。ただ、ウチは及川っていうひたすらに目立つ優男がいるからさ、アイツ目当てでマネージャー希望する子が多いのよ。ファンの延長で来られたらこっちにとっちゃ迷惑以外の何物でもないから、表向きに勧誘してないの」
「なるほど…大変なのね」
「まあね…だから私たちが引退したら、マネージャー好きなだけ入れてくれれば良いと思ってるよ。
烏野は、勧誘してるの?」
「うん…春にしてたんだけど、全然集まらなくて。正直その時はそれでも良いかな、とか思ってたんだけど…でも今は、やっと少しずつ強くなって来てるし、私がいなくなったら誰もマネージャー業できないし…日向達には、バレーに集中してもらいたいし…」
「一年生入れたいけど、もう部活入っちゃった子多いから今から勧誘っていうのもなあ、って感じかな?」
「!…うん、そう」
「まあ、いろいろ思うところもあるのは分かるし、清水さんは私なんかと違って表立ってあーだこーだ主張する性格じゃないから、根本的に考え方は違うと思うんだけど…でも確かなのは、本当に入れなきゃって思うなら、行動しなきゃだよね」
もうインハイ予選だよ。そう言った優羽はコートから視線を離して清水を見た。そしてそのまま椅子を立ち、2階から様子を見たい、と去って行った。
あまり見ても申し訳ないか、と思い見ないようにしていた優羽の手元のノートは、去り際に清水がちらりと目を向けただけでも分かるほど、びっしりと文字で埋め尽くされていた。