賢いカノジョ 14
「はぁー、やっぱり大学生っていいなあーーー!くぅー、待ってて私のキャンパスラブライフ!!」
「あー、それ中学の時も言ってたわ」
「言ってた言ってた。どうせ大学生になったら社会人いいなーとか言うんだよ」
「オフィスラブ!!ってな」
「もう!ちょっとは乗ってきてよ!!」
きゃいきゃいと騒ぐ可愛らしいクラスメイトを他のメンバーで総弄りして面白がる優羽たち。なんてことない昼休みの光景で、それは以前となんら変わりはなかった。一点から強烈に感じる視線を除いては。
「及川、見過ぎ」
「何したんかしんねーけどさっさと謝って許してもらえよ」
「…そんな簡単な問題じゃないんだよ」
苦々しくそう言った及川は、はぁー、と深くため息をついた。
「飯がまずくなるからどっか行け」
「ちょ、岩ちゃん辛辣すぎない!?」
「まあ理由も言わずにそんなんなってたら岩泉じゃなくても思うわ。失せよメシマズ川」
「南無阿弥陀仏」
最後に真顔でそう付け足した松川に、及川はまた俺は悪霊じゃない!と吠えた。
「…ねえ、一個ききたいんだけどさ」
「んー?」
「俺が優羽に告ったらさ、どうなると思う?」
やはり視線は優羽に向けたまま、及川は問うた。返ってくる答えがどんなものでも、心は安らがないと分かっていても。
「…知らんわ、優羽に聞け」
「まず普通に話せるところにまで関係を修復するのが先だろ」
「…やっぱそうだよなあ…」
花巻と岩泉の、バッサリと斬るような答えに対して、いつもならなんでそんなこと言うの!と騒ぎたてそうなところを素直に受け取った及川に、いよいよおかしくなってきたなコイツ、と三人は顔を見合わせた。
そんな時。
「優羽ちゃん、お呼びだし来てるよ」
「へ?あ…うん、ありがとう」
クラスメイトの声に教室の出入り口へ目を向けると、緊張の面持ちで優羽を見つめる男子生徒が一人立っていた。大方の予想はつくというものだが、手紙でもなく直接呼び出しに来られては逃げようもないというもので、優羽は席を立った。
「最近多いねえ、モテる女は違うわあ」
「からかわないでよね。ちょっと行ってくるわ」
「ほいほい〜ごゆっくり〜」
手早く弁当を片付けて足早に教室を後にした優羽と入れ替わるように、及川が素早く女子グループに近づてきた。
「ねえねえねえねえねえ」
「なに及川、きもい。てかさっきからこっち見過ぎ」
「そんなんどうでもいいの。いまの呼び出しの相手、誰か知ってる?」
「はあ?」
「ほんと及川って優羽のこと好きだよね、あんた。さっさと付き合えっての」
「いーから!教えて!及川さん今窮地なの!」
女子グループからの白い目に負けじと吠えれば、グループの女の子の一人がたしか…と口を開いた。
「若宮だったと思うよ。野球部の。一年の時クラス一緒だったけど、結構モテてたよ、及川と違って硬派って感じで」
「いいねー硬派な男!及川と違って!」
「……おっけー、ありがと」
「いやいやおっけーじゃないでしょ、なんか反応しなさいよ。本当大丈夫?最近優羽関係になると途端に余裕なくなるね及川」
「敵が多くて困りますホント…」
「まあがんばれ、あんたの気持ちに気付いてないのなんて本人くらいのもんだから」
「本末転倒なんだけどそれ…」
苦笑しつつ女子グループを離れ元の席に戻ろうとした及川は、窓の外の花壇に優羽と件の若宮が向かい合って立っているのを見つけた。
ここからでは優羽の表情は窺えないが、及川と同じく外面の良い優羽はきっとにっこりと笑っているのだろう。そしてさらりと告白を躱すのだ。
そのまま及川が窓際に頬杖をついて様子を見守っていると、ふいに優羽が顔を上げた。ぱちりと、視線が交わる。互いに驚いた後で、優羽はふわりと笑った。
何かを、諦めたように。
「ごめん、いきなり。俺のこと、知ってる?」
「もちろん。野球部でピッチャーしてたよね?」
「知ってくれてんだ」
「クラスも隣だし、若宮くん背高いから目立つし」
「はは、ありがと。
それで、まあ分かってるとは思うんだけどさ」
「うん」
涼しい笑顔を貼り付けながら、優羽は及川を想っていた。
今日一日避け続けていることに対して彼は思いのほかダメージを受けているらしく、朝から頻繁に視線を感じる。クラスも違うのに休み時間になるたびに教室にやってくる。その視線の意味はよくわからないけれど、何か弁明して元の幼馴染に戻りたいというものに他ならないだろう、と推測していた。
なんとなく教室のある校舎を見上げると、そこに及川を見つけた。
いつもなら何見てんのよ、と睨みをきかせるところだっただろう。
しかし、その少し驚いた顔がマヌケで、やっぱりかっこよくて、ああ、何をされてもやっぱり彼のことが好きなのだな、と思い知る。
おもわず、少し口角が上がった。もうこの恋心も潮時だと、分かっているのに。
「日向さん、?」
「…あ、うん」
やばい一番大事な告白のセリフ聞き流してた、と慌てて優羽は若宮に向き直る。
「まあそういうわけだから、えっと…返事は急がないからさ」
「…いいよ」
「…え?」
「いいよ、私と付き合おう?若宮くん」
にっこり笑って優羽がそう言うと、若宮は更に顔を赤らめて目を見開き、口をぱくぱくと動かした。
「…まじで?」
「ふふ、うん。まじ…「まじじゃない!!」
こくりと頷こうとした優羽を遮るように、背後から大声が聞こえた。
「と、徹…!?」
「優羽はお前とは付き合わないよ。俺のだ」
優羽は、その瞬間に自身の体内の血が騒ぎ出したように感じた。いままでなにをしていたのだという程に。
歓喜と、驚愕と、不安に脳内はショートする。
なんでそんなことを言うの。またそうやって弄ぶの。自分はすぐに彼女作る癖に、私には作るなって言うの。どうしてそんな勝手なことするの。どうして、私の顔はこんなに熱いの。
あっという間に手首を掴まれてその場から連れ出され、部室棟の裏にまでやって来る。
「はなして」
「嫌だ」
「はなしてよ!!」
「絶対に離さない!!」
手首をしっかりと掴まれたまま優羽が黙り込むと、及川も口を閉ざししばしの沈黙が訪れた。
「逃げないから、はなして…」
呟くように発された言葉に反応して少し震えた及川の手は、ゆっくりと離れていった。
「話したいことが…謝らないといけないことが、たくさんある。聞いて欲しい」
「…うん」
「遅くなってごめん。ずっと甘えてたんだ、俺」
「うん」
遠くで予鈴のチャイムが聞こえたけれど、二人ともその音には反応を示さなかった。元から人影はなかったが、授業がはじまることで更に人の気配はなくなった。
近くの芝生に移動して、並んで木陰に座り込む。
優羽は何も言うまいと、静かに及川の言葉を待った。
そして及川の独白は、ぽつりぽつりと、過去から繋がる糸をひとつひとつ辿るように始まった。
「物心ついたときから…ううん、多分もっと前から。俺は優羽のことが好きだった。最初はそれこそ姉ちゃんや妹みたいな、家族愛に似たようなものだったのかもしれないけど。おままごとで優羽の旦那さん役になりたかったから、虫取りほったらかして優羽と遊んだりしてたんだよね」
そう言われて、優羽は幼い記憶を思い返した。男2人に女1人の幼馴染。虫取りが大好きな男の子らしい岩泉に連れられて、及川も虫取り網と虫カゴを携えていた。だけど、1人寂しく砂場で遊ぶ優羽を見つけてしまえば、及川は途端にそれらを放りだして優羽の元に飛んできた。おままごとしようよ、と。
そんな行動と可愛らしい容姿のせいで女男、と詰られることも少なくなかった及川を、岩泉と優羽で守っていたっけ。もしや、守られていたのは優羽の方だったのだろうか。
「小学校になって、バレー始めて。あのときは男女の区切りなんてなかったから優羽も一緒にバレーしてたよね。本当に楽しくて、でも優羽より下手くそなのが悔しくて、かっこつけたくて、めちゃくちゃ練習した」
小学校のバレークラブ。あの頃は完全ローテーションでポジションなどなかったけれど、優羽は上級生をも容易くしのぐ実力をもっていた。それは及川や岩泉にも言えることで、優羽達の学年は近隣の小学校でも少し有名だった。
「中学になって、周りがみんな恋愛恋愛言い出して、いろんな奴が優羽に告白してさ。さらっと断って俺たちのところに戻ってくる#ぬう#を見るまでは毎回心臓が止まりそうな気分だった」
「どうしてそのとき、言ってくれなかったの?」
「…情けないんだけど、中学になって女バレ行くんだろうと思ってた##がマネージャーとして俺たちと一緒に居てくれることになってさ、めちゃくちゃ幸せだったんだ、あの頃。もし告白して、ダメで、せっかくまだ一緒にバレーができるのに離れていかれたら、もう生きていけないと思ってた。要するに怖かったんだ、拒否されるのが」
中学時代。自分が及川と岩泉に出来る最大限のことをしようと知識を磨くことに目覚めた時期。他校分析、自校分析、戦略知識、スポーツ学、できることは全部した。必死だった。ただ及川達にいらないと言われたくないがために。それはおそらく幼馴染達への深い執着と愛情と、当時から有力セッターとして視線を集めていた及川から離れたくないと願う小さな恋心からである。
「それでも優羽は彼氏を作らなくて、俺たちと一緒にバレーに一直線で。もう、ずっと一緒にこうしていられるなら、それで良いかもしれないって思えてきてたんだよね。
もちろん、本心では優羽と付き合いたくてしかたなかったわけなんだけど。それすらも隠して、優羽に気がないフリをして、しれっと横に居たんだ。優羽、あの頃自分に好意寄せてくる男のこと思いっきり避けてたでしょ。もはや嫌悪に近いくらいの勢いで。でも俺はそんな優羽の隣に居られるってことがもう最高に嬉しくてさ。特別なんだよ俺は、みたいな。その位置を守るために彼女作って、優羽には気がないんだってアピールしてた。そうしないと、死ぬ程好きってことがバレて俺も優羽に避けられるかもしれないと思ってたから」
どこか遠くを見つめながら話す及川に、優羽は何も言わなかった。言いたいことはたくさんあった。
そんなことするわけないじゃん。私はあんたのことが好きで、あんた以外いらなかったからああやって他を遠ざけていたのに。なんで自分も避けられるなんて、変なマイナス思考持っちゃうのよ。
言葉にしそうになって、今それを言ったところで何も変わりはしないのだ、と視線を下げた。
「そんなときにさ、あれだよ、推薦」
「白鳥沢の?」
「うん。一緒に青城行こうって岩ちゃんと三人でずっと言ってて、それが簡単に覆されるって思ってたわけではなかったんだけどさ。優羽みたいに戦略を練って思いっきりチームに口出しちゃうマネージャーって普通居ないから、当時は結構嫌味言う奴いたじゃん。部内でも、部外でも。優羽はそんなの平気って顔作ってたんだろうけど、俺や岩ちゃんには無理してるの丸わかりだったよ。だからこそ、優羽が1人のアナリストとして認められたいって思ってること、わかってた。そしてそれは俺たちでは与えられないものだってことも、わかってた。どれだけ俺たちが##をすごいって、優羽が居なきゃダメだって言っても、優羽は笑って眉下げて笑うしかしないから。そこに白鳥沢からの推薦だよ?マネージャーとして。前代未聞だもんね。こんなことがあったら、優羽、実力が認められたことが嬉しくて白鳥沢に行っちゃうかもしれないって思った」
「……」
「ここで、俺は間違えたんだ。
優羽にちゃんと告白する勇気もないくせに、なし崩しみたいにして優羽を、抱いた。最低なことをした。離れたくなくて、でも、優羽の口から白鳥沢に行くなんて言葉聞いちゃったらもう、俺駄目かもとか思って。行くなよって引き止める権利が俺にあるとは思えないし。結局、優羽が欲しくてたまらなくて、自分の中の引き止める口実みたいなものだったんだ。このまま俺に縛り付けられてくれないか、っておもった。焦がれ続けて、好きすぎて、今思っても本当、どうかしてた。そんで、そこで優羽に本気で拒絶されなかったことが心底嬉しくて、正直めちゃくちゃ浮かれた」
「……」
このわけのわからない関係はこうして始まったのか、とぼうっと考える。なにか、自分とは関係のないものの話をされているような気分だった。
「高校入って、中学以上に優羽も俺も、やたらモテるようになったでしょ。そこでも俺は惰性みたいに彼女作って別れて、みたいなことしてた。まあでもさ、すぐ別れるのなんて当たり前なんだよね。いつも付き合う時には言ってたんだ。「君よりも大切な女の子がいて、きっと君と彼女が同時に困っていたら迷わず俺は彼女を助けに走るけど、それでもいいのか」って。大体の子はそれでも良いって付き合うんだけど、まあそりゃあ、別れるよね。彼氏が他の女のこと好きなんだもんね」
「優羽はずっと彼氏作らなかったでしょ。正直それにものすごく期待してた。どんな奴からの告白も断るのに、俺の身体は受け入れてくれるんだって思ったら、もうたまんなく嬉しくて。ごめんねこんなんで。
あ、誤解無いように言っとくけど、俺優羽以外の女の子抱いたことないからね」
「え!?」
「え!?そんな驚く!?」
「驚くでしょ普通…自分が高校入ってから一体何十人と付き合ってると思ってんの…」
「まあ、たしかに…」
「あーごめん、話遮っちゃったね。続けて」
優羽が相槌以外の言葉を発したことが嬉しく、及川はこれまでよりも表情を和らげて話を続けた。
「まあ…とにかく、そんな感じで俺らは岩ちゃんも含めて仲良しの幼馴染でさ。満足かって言われたら頷けないけど、それでも十分俺は幸せだったんだよね。最近に至っては俺、きっと優羽も俺のことが好きなんだと思ってたし。あ、確信はもちろんなくね。優羽、いつも俺のこと受け入れてくれてたけど、自分からしたいって言ったことなかったでしょ。まあしたくなかったならそれはまあそこまでなんだけど…何か、意地でも言ってやらない、みたいに思われてる気がして。欲張りになってたんだ、俺。自分で始めた関係で、俺は優羽に欲をぶつけるだけの最悪な奴だったのに、今度は##の心を欲した。優羽に、欲されたいと思ってしまった」
「……」
「彼女と別れろ、とか、そういうの、言って欲しかったんだと思う。優羽からシたいって言ってくれるだけでもいい。そう言われた瞬間に、俺は優羽に最中の戯言みたいなのじゃない、ちゃんとした告白をしようって決めてた。一回そう思っちゃったら、ほら俺性格めんどくさいから、意地になっちゃって。優羽が俺を欲しいって言うまで、このままで居ようって決めた。まあつまり、告白して拒絶されたくないから自分から言えなかった腰抜けの、かっこわるい建前だよ」
及川は折り曲げた膝に肘をついて、目元を手で覆った。フゥ、と静かに息を吐いているのがわかる。泣いているわけではないのだろう。優羽にはそれが懺悔のように見えて、静かに見つめることしかしなかった。
「…そこで、昨日の牛若ってわけ」
「…牛若がなんだっていうの?」
「俺は結局、一度も牛若に勝てなかっただろ。もはや決まったことみたいに。優羽と牛若がデートしたって聞いて、ここでも俺は負けるのかって思っちゃったんだよね。正直もう気が気じゃなかった。相手が全然関係ない奴とかだったら多分、相手のやつに軽く牽制してやるくらいで大丈夫だったんだ。でも相手が牛若。勝利だけじゃなく、優羽までも俺から奪って行くのかって思った。
みんなの前では取り繕ってたけど、ちゃんと直接優羽に牛若のことなんて好きじゃないって言ってもらわない限り、ずっと不安だと思って。呼び出しのせいで一緒に帰れなかったから、夜家に行ったんだ」
「それで、昨日のあれね」
「…うん。冗談でも、牛若と付き合うって考えが優羽の中にあるのが俺にはこの世の終わりみたいに思えたんだよね。乱暴してごめん」
そこまで言って、及川は口を閉ざした。話は終わったらしい。
「…徹」
「……はい」
「徹はこれから、私をどうしたいの」
「…許してほしいなんて、言えないけど。もし叶うなら、今までみたいに…いや、今まで程じゃなくてもいい、幼馴染としての最低限でもいいから、俺が##の近くにいることを、許して欲しい」
そう言うと優羽はあからさまに眉を顰めた。そして大きく溜息をつく。
「…あ、そう。分かったわ」
「…へ?」
そのまま優羽は立ち上がり、スカートについた芝を払い落とした。
「待って待って待って」
「なに?話は終わったわよね。
許さなくていいんでしょう?じゃあ許さないわ。彼女でもない私のこと散々抱いて、他の男見られないようにしたことも許さない。ついでにトチ狂ってあんたが行く大学と近い大学に決めちゃったことも許さない。一生恨んでやるわ」
「お、怒ってる、よね…?」
子犬のように##を見上げる及川に、優羽は冷たい視線を投げる。
「なんで怒ってるかわかる?」
「お、俺の…あ、悪行に対して…?」
「…その悪行はさ、なにが原因だと思うわけ」
「へ?」
「こんなことになる前に、徹はどうすれば良かったと思うの?」
「もっと早く、好きって言えば良かった…?」
「そうね」
「思ってることを…ちゃんと言えば良かった…」
「そうね。今、思ってることをちゃんと言ったの?」
「…言って良いの?」
「知らないわよそんなこと。勝手にしなさいよ。でも、私は…」
そこまで言って、優羽は言葉に詰まった。涙がすぐそこまで来ているのがわかる。顔を下から覗き込まれている状態を避けたくて、顔を横に向ける。
「私は、好きな人になら何されても良いとか思っちゃうような馬鹿女だから、案外さっさと許してくれるかもよ」
耐えられなくなったように、じゃあね、と残して優羽は及川に背を向けた。
背を向けたのと、及川が立ち上がり手を伸ばし、優羽を抱きしめたのは、ほぼ同時だった。