賢いカノジョ 12
その日の夜。
何時ものように夕飯を作り食べ終えた優羽は、見る気もあまりない付けっ放しにしたテレビを前にソファへと身を沈めてぼう、と物思いにふけっていた。
「もう何回目かな、こんなの…」
及川が告白を受け、彼女を作った日はいつもこうなる。
さっき作った夕食の味ももう覚えていない。先ほどまでは岩泉といたからまだ良かったものの、一人になった今頭を巡るのはもう一人の幼馴染のことばかりである。
どうせすぐ別れる。いつもそうなんだから。…でも、今回は違ったら?及川が心底惚れてしまうような、そんな子が相手だったら?…いや、あんな面倒な性格の持ち主を受け入れられる女なんてそうそういるはずない。…多分。
そんな考えばかりがぐるぐる回って、テレビの中ではうるさいくらいの笑い声が響いているというのに、優羽の表情筋はぴくりとも動かなかった。
時刻はもうすぐ20時。一体何日後のこの時間に、及川はやってきて私を抱くのだろうか。その時を嫌がる自分と、好きな男に触れられたいと浅ましくも願う自分。相反する心にうんざりだ。
きっと今頃あいつは新しい彼女を想ってにやにやしているんだろう。もしかしたら今も一緒にいるのだろうか。ああ、いらいらする。
「あー、もうほんとに牛若と付き合っちゃおうかな」
独り言にしては少し大きなその声は、思わぬ形で返事を貰った。
「なに言ってんの」
「…は、え、徹!?なんで!!」
「俺が勝手に入ってくるとかいつものことじゃん。てかLINEしたんだけど、見てなかった?」
「携帯…あ、鞄に入れっぱなしだわ」
「そんなことだろうと思った」
言いながらソファに近づいてくる及川に、優羽は思わず逃げたくなって身を縮めた。触れようと伸ばした手を止めて、及川はいささか不機嫌そうに疑問を口にする。
「…なんで嫌がんの」
「…私が今まで喜んであんたを受け入れてると思ってたの」
「どうしたの、ご機嫌ナナメだね。今日はしたくない?」
「今日は、じゃない。いつだってしたくない」
再び触れようと近づいてきた手をはねのけて、背中を乗せていたクッションを顔の前に移動させる。
情けない盾を挟んで、なおも優羽は口調をわざときつくした。
「彼女できたばっかりで私に手を出そうとするその神経がわからない」
「は?彼女?」
「…え?」
「彼女ってなに…あー、そうか、そいや今日告られたね俺」
「女の子からしたら一世一代のものだってのに、そうも軽く扱うかね」
及川は優羽に触れるのを諦めたのか、優羽の座るソファに腰掛けた。優羽はさりげなく腰を引いて及川から少し距離を取る。
「普段ならもっと丁寧に返したよ。申し訳なかったけど今回は断った。
っていうかこれからもう全部断る。事情が変わった」
「事情?」
「…牛若と、付き合うの」
そういえばこいつ、ウチに来てから一度も笑ってないな、と今になって気付いた。どこか怯えたような、捨てられた子犬のような様相を滲ませている。
「…んなわけないじゃん」
「さっき言ってたのは?」
「あんなの独り言よ。良い加減彼氏でも欲しいかなーと思ってたの。
ああ、でも良いかもね?あいつも私も大学東京だし?昨日だってすっごいさりげなくエスコートしてくれて、久々に女の子らしく扱われてなんだか特別な気分だったわ。牛若ならきっと彼女のこと大事にするんだろなーって思ってたのよね。それに…、ちょ、!?」
言いかけていた言葉は勢い良く近づいてきた及川によって阻まれた。噛み付くように奪われた唇の中、んー!とくぐもった声で抵抗すると、ゆっくりと唇は離された。
「それ、本気で言ってる?」
「……腕、離して。痛い」
「質問の答えによるね。本気で言ってんのそれ」
押し倒される体勢で掴まれた手首は、逃げられないようにかギリギリと音がしそうなほどに握られている。
上から目線なその言葉が優羽にはなんとなく許せなくて、意固地になった。内心でごめん牛若、と謝っておく。
「嘘は言ってないわ。まあ牛若は私みたいなのを相手にはしないでしょうけど」
「……まあそうだろうね、あいつは##みたいな俺のお古なんか嫌だろうから」
「………お古…」
その言葉に優羽は言いようのない悲しみを覚えた。お古にしたのはお前だろう、という怒りと、それ以上に、いつもこのまま本当は自分のことが好きだと、愛しているのだと言ってはくれないかとチラリとでも思っていた淡い期待をすべて打ち砕かれたような気持ち。絶望だ。
この男が私に与えたのは都合のいいセフレという称号だけで、それなりに感じやすいこの身体は及川には死んでも言わないもののなかなかにセックスが大好きな、いやらしい身体になってしまっていた。そうさせたのは紛れもない目の前の男で、そいつはやはり、ああ、やっぱり、最後まで私を選ぶことはないようである。
いっそ妊娠でもしてしまえば責任を取れと迫れそうなものなのに、ととんでもないところにまで思考が飛ぶ。ああ、もうだめだ、溜め込んでいた何かが溢れてしまいそう。
そもそもこの時期がダメなのだ。クリスマス前だからと、受験勉強に勤しむ中でもやはり恋人を欲しがるクラスの雰囲気。肌寒くて人肌恋しいこの季節。こんな時に長年の想い人に現実を突きつけられてみろ。もう、私は、ダメだった。
「優羽?」
「……て…」
「え?聞こえないよ」
「はなして!!!!」
至近距離からの優羽の激昂に、反射的に及川は握っていた手首を離し、被さっていた身体を起こした。
驚きで目を見開く及川に、小さな声で帰って、と呟く。それっきり、優羽はなにも言わなかった。
及川は何か言いかけてから口を噤んで、静かにその場を後にした。