「雪村」
「はい!」
その日の見回りは土方さんと一緒だ。厳格な土方さんだからいつもより一層気を引き締めて行かないと。
「今から新撰組と縁のある者に会うことになっている。ついでに向こうにお前を紹介するからそのつもりでいろ」
「…はい!」
紹介だなんて。どんな方だろう…。土方さんはなんだか少し気まずそうな、バツが悪いような表情だ。
「その…ろくでもない奴だが、腕は確かだ」
「?はぁ…」
腕って、剣術の腕?どこか幕府と繋がりのある道場とかなのかな…
そうして到着したのは一つのお店。
簪や帯留など、女性向けの小物を多く扱う小間物屋のようだ。
こんなところに土方さんも認めるような強い人がいるのだろうか。
「(いや、こんなところだからこそただものじゃない感じ…?)」
土方さんは私以外の隊士を通りに残して、お店に足を踏み入れた。
細かい装飾のなされた色鮮やかな小物の数々は、私が男装してさえいなければ飛び付いてきゃあきゃあと騒いでいたことだろう。
「いらっしゃ…おー新撰組さんやないですか」
「よう。あいつは」
にこやかに笑顔を向けた男の子は私と同い年くらいだと思う。
すらりと背の高いいかにも好青年といった感じだ。
仏頂面(まあいつものことかもしれないけど)で土方さんが尋ねると、男の子はニコッと笑って「上におらはりますよ」と人差し指で天井を指した。
はんなりとした京都弁は屯所ではあまり聞かないものだから、なんだか心地よかった。
私に行くぞ、と声をかけてから、土方さんは奥へと進んだ。
男の子にぺこりと挨拶すると、にっこり笑って手をひらひらと振ってくれた。
階段を上がってから迷わず奥の部屋に向かう。
私も黙ってついて行くと、土方さんは襖に向かって一言「俺だ」と声をかけた。
「はて、どちらさんやろなぁ」
襖の向こうから聞こえた声は、なんだかとても艶々とした女性の声だった。
「?」
てっきり男性に会うものとばかり思っていたものだから、私は一気に状況が読めなくなる。
女の人ということは、腕は確かっていう腕って、何の腕なの?
私が一人考え込んでいると、土方さんはチッと小さく舌打ちしてから襖を開けた。
「土方だ」
突然襖が開いたものだから慌てて私は頭を下げる。
「ゆ、雪村と申します!」
「あら可愛らしい…お話には聞いとりますえ、千鶴ちゃん」
「へ?」
下の名前でちゃん付けで呼ばれて、思わず間抜けた声が漏れる。
顔を上げた先には、黒髪を綺麗に結いあげた美しい女性がいた。思わず感嘆の息が漏れてしまう。
彼女は口角をやんわりと上げると、手に持っていた小さな筆と掌程の大きさの何かを机に置いてこちらに身体を向けた。
「柳屋店主の柳若菜、言いますのんや。以後よろしゅう」
「こっこちらこそ!宜しくお願いします!」
一つ一つの仕草が洗練されたように綺麗で、うっとりしてしまうところだったが、あわててこちらも頭を下げた。
「…約束通り紹介したぞ、満足か」
土方さんがそう言うと、柳さんは面白くなさそうに眉を下げた。
「お江戸の男はせっかちで敵わんわぁ、ねえ千鶴ちゃん?」
「へ!?いえそんな、私も江戸の女ですし、えーっと」
「おい、時間ねえんだ早くしろ」
土方さんはイライラしたような声色だが、表情は屯所にいる時とはどこか違う。なんだか、参っている?ような、そんな感じだ。
「せやけどわざわざ大金払うて買わんでも、うち一人落としたら全部お代要らずやのに。物好きな殿方達やねえ」
「お前一人落とすのにどんだけ金がかかるか考えたら、必要な時だけ買ってる方が割にあってんだよ」
「金かけへんと女一人も落とせんやなんて、天下の新撰組鬼の副長も大したことあらしまへんなあ」
「落とせねえんじゃなくて落とさねえんだよ見誤んな」
「へえへえ、ほな近藤局長によろしゅう」
そう言って何枚かの紙の束を土方さんに差し出した。
橙色の紐で左端を編んで丁寧に製本してある。土方さんは元々用意してあったのだろう、お金が入っていると思われる小袋を柳さんに手渡した。ジャラリと音がする。
柳さんは中を確かめることもなく、それを両手で持ってからまたにっこり笑って、
「毎度おおきに」
と軽く頭を下げた。
土方さんは長居は無用とばかりにその場を立ち、私も後に続いた。
部屋を出る前に柳さんへ振り返ると、柳さんはちょいとお待ち、と言って私を手招きした。
「女の子一人の場所は何かと難儀やろから、いつでもご相談においでやす」
と言って先程土方さんに貰っていたものとは違う袋をくれた。中を少し覗くと、一階のお店に並んでいたような可愛らしい櫛や手拭いが入っていた。
「こんな高そうなものいただけません!」
「あら、お友達記念やと思うて取っといて頂戴な。着飾るのは女の特権。たとえ外見を男に見せなあかん時でも、女としての美しさを常にお持ちにならなあきまへんえ」
土方はんに急かされる前にはようお行きやす、と言いながら私の袖口に袋を入れると、柳さんは私の背中を優しく叩いた。
「ありがとうございます…」
「ほなまたね」
帰りも一階の男の子に見送られて店を出ると、土方さんは足早に隊士達の元に歩いた。私も後に続く。
土方さんが紹介したかったのはさっきの柳さんで間違いないんだろうけど、さっき買っていた本(にしては薄かったけど)はなんだったのだろう。土方さんを認めさせる確かな腕って、結局何の腕だったの?
きっとそんな溢れんばかりの疑問が顔に出ていたのだろう、土方さんがぽつぽつと説明してくれた。
「あいつは情報屋だ」
「情報…?」
「ああ。あいつの繋がりは底が知れねえ。どこからか情報を掻き集めて来て、どこにでも高値で売る。その気になりゃ長州にもな」
「えっ」
最後に付け加えられた言葉に思わず声が出る。
「長州って…」
「最近はねえみたいだがな。幕府が金であいつを雇おうとしたが、自分はあくまでも京の小物屋だ、金には釣られん、配下に置きたきゃあ口説き落としてみろってよ」
「口説き…ですか…」
柳さんの話をする土方さんは少し愉快そうだ。
「ああ。それからお上はあの手この手であいつをモノにしようとしたが…上方商人を舐めちゃいけねえ、今でもあいつは誰のモノにもなっちゃいねえんだ」
「だからさっき落とすとか落とさないとか言ってらしたんですね」
「ああ。あいつの扱う情報は表沙汰にしたくねえ事も多い。羅刹の事もあいつは全部知ってる。他にもな。しかも表社会でも商人として名が知れてるもんだから、手荒な真似すりゃお上の信用にも関わる」
「なんだか…すごい方なんですね…」
彼女をぼんやりと思い出しただけでも、ただならぬ雰囲気を感じられるようだった。
「新撰組が京に来たばっかの時によお、俺らに若い奴が多いからってあいつを落とせなんていう無茶な命令が来た。そんで一応隊士どもがあいつに代わる代わる会いに行っては口説き落とそうとしたんだが…」
その口ぶりでは恐らく駄目だったんだろうなあ、と思いつつ続きの言葉を待つ。
「落とされた奴は大勢いたが落とした奴はいなかった」
「ふふっ」
思わず笑うと、土方さんもとんでもねえ女だよ、と付け足した。
土方さんはきっとその落とされた$lたちには入っていないんだろうけど、それでも土方さん自身にとっても柳さんは特別な方なんだろうと思えた。だってすごく楽しそうに話すから。
隊のこと以外、ましてや女性のことで、土方さんが饒舌になるなんて少しびっくりなことだったけど、相手が柳さんなら納得できるようにも思えた。